センターを舞台に「生涯学習フォーラム」を始めたとき、当時の森本所長から参加者に「お土産」を持たせてくださいという要望がありました。口頭の提案に留まらず、後々残るように論文の形にしなさいという助言でした。書くことは好きではなく、文章が残って衆目の批判にさらされるというだけで、若い頃から苦しんだ経験があるので実に辛いことでした。しかし、嫌いなことも、苦手なことも練習を続ければ克服できるということをだんだん実感するようになりました。前回99号の巻頭小論「熟達の証明-八木山プロジェクト」の総括に書きましたが、なにごとも「熟達」すれば、仕上がりが早くなるのです。この間、長年の思いと勉強の成果をまとめて4冊の本を出版できました。今になって、森本さんから与えられた生き方の「枠」や勉強に対する他律の環境が人生にどれほど大事であるかを実感しています。独立の小論は東和大学の正平辰夫教授のご好意で福岡県飯塚地方の月刊誌:「嘉麻の里」に毎月掲載していただきました。原稿を整理して「市民の参画と地域活力の創造」(学文社)をまとめることが出来たのはひとえに毎月の生涯学習フォーラムに執筆・発表し続けた小論文のお陰です。
しかし、人間の努力には社会的承認が不可欠です。芝居に観客が不可欠であり、音楽会に聴衆が不可欠であるように、生涯学習フォーラムにも参加者が必要であり、筆者の論文発表にも聞いてくださる方々の評価が必要だったのです。島根の皆さんに救われたのはその頃でした。浜田満明さんをはじめ大畑信幸さん、渋谷秀文さんなどがお仲間を連れて遠路はるばると聞きに来てくださいました。1ヶ月をかけて書き上げた初のフォーラム論文は、環境問題を取り上げた「日本人はなぜみんなの海にゴミを捨てるのか」でした。大学改革の過程で教授会との苦い対立抗争の中で「みんなに良いこと」は必ずしも「われわれに良いこと」ではないのだという内向きのセクト主義を嫌というほど思い知らされ、「みんなの海」と「われわれの海」は異なり、「みんなの公園」と「われわれの公園」とは違うということを環境問題に応用したのです。大畑さんを始め、何人かの方が「おもしろい」と言って励ましてくださいました。人間が生きて行くには、他者からの支持、社会の拍手、社会からの共感、世間の承認が必要なのだと痛感しています。後日出版した「The Active
Senior−これからの人生」(学文社)は熟年者の「安楽余生論」的生き方に対する批判ですが、主要テーマを「定年後の社会関係」においたのはこの時の体験が強烈だったからです。他者からの承認を得られない時、「パンとサーカス」だけでは子どもも、老人も生きられない、というのが筆者の信念になりました。熟年者の生き方処方を「読み、書き、体操、ボランティア」と提案し、最も重要なのは「ボランティア」であると主張し続けているのも、社会との関係を絶てば「読み、書き、体操」もしなくなるからです。
「通信」が軌道に乗り始めた頃から読者の反応が寄せられるようになりました。MESSAGE TO AND FROMをコラムとして常設しました。
後半の「風の便り」を支えて下さったのは読者でした。「風の便り」は必要のない方には送らないことを原則にしています。したがって、1年更新の契約制にしました。年末にメッセージカードを同封して継続購読を続けられるか、否かを毎年お聞きしています。ここからたくさんのご意見が届くようになりました。インターネットに公開してさらに通信が増えました。在アメリカの藤本 徹さんにホームページの作成をお願いし、一気に読んで下さる人々の輪が広がりました。ホームページについても、自分でやろうとしてadobeなどのソフトも購入したのですが、結果的に藤本さんに依存して先延ばしにして来ました。昨年からアップルコンピューター福岡支社で若い先生のレッスンを受け始め、ブログぐらいは自分で作らなくてはと思うようになりました。何に付け、日本文化の中の年寄りが自立出来ないのは、若い部下や後輩の支援を当てにして、自助努力をしなくて済むからですね。日本文化の「年功序列制」が先輩世代の自学自習を妨げていることは至る所でみられる現象でしょう。筆者もその一人でした。若いコンピューター指導の先生から厳しい指導を受けるまでは不器用な自分から逃げ続けていたのでした。