HOME
風の便り
フォーラム論文
編集長略歴
問い合わせ
生涯学習通信
「風の便り」(第100号)
発行日:平成20年4月
発行者:「風の便り」編集委員会
1. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性
2. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性(続き)
3. 知識と行動、学力と実践力−「生きる力」の定義と「学力」概念の構造と範域−
4. 「肉体の硬直、精神の停滞 −熟年者の進退と活動の「マンネリ化」防止−
5. 感謝の辞−100号総括
6. お知らせ&編集後記
「肉体の硬直、精神の停滞 −熟年者の進退と活動の「マンネリ化」防止− 1 下関市立神田小学校放課後子どもプラン始動 新年度早々でしたが、4月の第2週に1年の流れを見通して、第3回volovoloの会山口フォーラム(山口県生涯学習推進センター研修同期生学習会)を実施しました。初日は、下関市立神田小学校放課後子どもプランの発会準備式、2日目は同期生による学習フォーラムでした。この会は年々成長し、自分でも胸の踊るような、大人の生涯学習成果を実感できる時間になりました。役所の研修などというのは「ハウツー知識」の切り売りで、ろくに役に立たず、税金の無駄だ、と多くの研修場面を担当して来た自分自身が思っていたのですが、「やり方次第」なのですね。山口県立生涯学習推進センターの赤田博夫主査(当時)と大島まな九女短大准教授のお二人と3人4脚で、実践と座学を組み合わせた研修を4年間積み上げました。結果的に、山口県各地に意欲満々の生涯学習実践の同志を生み出しました。 今回の下関市立神田小学校放課後子どもプランの始動はその素晴らしい成果の一つだったと思います。事業の成功はもとより、何よりも参加したわれわれが回を重ねるごとに"進化"している実感がありました。 初日の学校のランチルームは地域の方々、保護者、同窓生、その他のお客様で満杯でした。小さな学校ですが子ども達の半数以上が出席しました。地域の出席者からは口々に協力の意向と賛辞が寄せられ、プログラムの裏方で応援に回った同期生の実力を思い知りました。100名を越える参加者に子ども達が調理を担当した豚汁の昼食が振る舞われ、会場は和気あいあいに話が弾みました。受付から子どもの指導まで、会場設営から後始末まで、裏方は全て同期生が遺漏なく担当しました。仲間を褒めるのは手前味噌になりますが、調理、会食、研修のすべてを予行演習もなく、その日に集まった仲間たちが、子ども達を指揮して、時間通り、予定通りにまとめあげたのは何よりも実践で鍛え上げた実力の賜物です。その力は通常の大きな公民館機能を遥かに越えているでしょう。 大元の企画を担当された赤田校長や矢田教頭先生には失礼ながら、実践経験の乏しい現代の教師集団では、読みきかせからネイチャーゲームまで、大人と子どもの混合チームに対する連続の指導はとても歯が立つ事ではなかったでしょう。 放課後子ども教室は、5月に正式発足し、夏休み前には成果の発表会を持つという流れで動きます。筆者にまた新しい実践の現場が出来そうで気持ちが弾んでいます。すでに、筆者も「豊津寺子屋」、「霞翠小学校」、「八木山小学校」と経験を積んで来たので、子どもを楽しませながら、関係者が納得できるように子どもを変えるということに自信がつきました。神田小は、筆者が知る限り、近県では初めて学校主導で学校と学童保育が連携した記念すべき放課後子どもプランです。成果をご期待ください。 2 肉体の硬直、精神の停滞 さて、本題はvolovoloが主催した「山口フォーラム」です。参加した同期生からたくさんの活動報告がありました。みんながそれぞれの地域で思い思いに実にユニークな動きをしているので時に興奮を禁じ得ず、時に拍手が沸いて静かな熱気がランチルームに満ちました。生涯学習を通して、大人が変わり、実践が進化して行くのがよく分かりました。 ところで、自分はわずか2時間の相互報告会にノートを取りながら行儀よく参加していただけで身体が固まって血流が鬱屈して来ている事を感じました。固い子ども用の椅子だったせいもあって、肩も、腰もガチガチでした。こうした現象こそ筆者が名付けた「老齢実感」です。幸い、休憩になったので、手洗いを済ませて廊下で体操をして肩、腰、手足の硬直状態をほぐしました。(体操は実に妙薬です。) 筆者の発言の番が回って来たので、高齢者の人生には、生き方の「マンネリ化」、活動の「マンネリ化」が最大の「敵」であると指摘しました。若い時であればいざ知らず、年を取ったあとは、肉体の硬直は精神の停滞に通じているというのが筆者の主題です。特に、高齢期の「慣れ」は精神の「硬直化」に通じ、「硬直化」はマンネリ化を意味するのです。しかも、精神の場合、休憩時間の簡単な体操や気晴らしだけでは「停滞−硬直」をほぐすことは出来ないのです。筆者の恐れは多かれ少なかれ、先頭に立って事業や組織を引っ張って来た参加者の実感の琴線に触れたと思っています。みんなそれぞれに精神の硬直や活動のマンネリ化の危機を感じていたからでしょう。 筆者の自分に対する処方は、思い切って「過去の環境を断ち切る」こととして、提案しました。例えば、豊津寺子屋の顧問を今年度末には辞任する事、ボランティアの英語クラスを抽選制にして、メンバーを入れ替える事、生涯学習通信「風の便り」は100号をもって編集、発送などの作成作業を外部委託を含めて自立する事、これまで以上にスピードを上げて新しい著作に挑戦する事、新しい指導や恊働の現場を発掘する事、アップルのコンピューターレッスンに通い続ける事などであることを紹介しました。要は、これまで「やったことのないこと」に挑戦するということです。具体的には、従来の活動でも、人間関係でも、「慣れが生じた状況」から離れて、「新しい関係を樹立する」方向で動く決心をしたということです。その中には、当該の「山口フォーラムのあり方」を含めていることは当然です。「学習」の意義と新鮮さがなくなれば止める、ということが原則です。 「慣れが生じる」のは必ず双方向的です。「マンネリ化」が生じた時、英語を続けて来た生徒は筆者の指導に慣れて、緊張感を失います。「寺子屋」実行委員会の皆さんは筆者の助言にもはや新鮮さを感じなくなっている筈です。自分がいちばん意義があると考えている事業であるにも関わらず、筆者は合併後、豊津地区以外の新しく加わった犀川、勝山の両地区に「寺子屋」事業を広げることに失敗しています。政治や行政の姿勢の結果だと言えば身もふたもありませんが、顧問である自分の説得力が足りないということでもあるでしょう。生涯学習通信「風の便り」も、協力してくれる教え子に甘えていつまでも編集や印刷を手伝ってもらい続ければ当方の依存心が慢性化します。 現場研究についても、いつまでも「霞翠小学校」や「八木山小学校」の成果だけを語り続けるわけにはいかないでしょう。事業も人間も、関わっている自分との「双方向の惰性」こそがマンネリ化の元凶です。動かなければ老いた肉体に硬直が生じるように、研究も、活動も惰性を生じるという点は同じです。新しい動きを求めなければ、マンネリ化は必然です。入学式があり、卒業式があり、人事異動があるように、実践の現場を選び直し、交流の場面を入れ替え、恊働の相手を組み替え、絶えず実践に動きを生じさせようとする視点が必要だと主張したのです。ある方からは"その通りだ"と「共感」をいただきました。また、別の方からは「自分が抜けたら組織の活動がつぶれる」という場合はどうすればいいのか、という質問がありました。本当にそうなのでしょう。しかし、本当にご自分の危機、組織の危機をお感じになっているのなら、「つぶせばいいのです」とお答えしました。さらに、別の方からは、過去に対して、あるいは過去にお世話になった方々に対して「双方向の惰性」の一語で片付けるのは「どうでしょうか」とお叱りを受けました。環境を変えるということは古い環境と縁を切るということです。「縁を切る」ということは「批判」を含まざるを得ないのです。撤退して、前進するということは、過去のあり方ではダメだと言う評価を含んでいます。「感謝」は感謝、「前進」は前進だという割り切り方は冷た過ぎるというお考えだったと思います。恐らくこの批判も当たっているのです。しかし、誰のことも傷つけない判断も、評価を伴わない選択もこの世にはありません。われわれは日常、都合が付かないのでご案内の会には出られませんと多くの方から連絡をいただきます。しかし、私は何ヶ月も前から会の予告をしています。多くの場合、「都合が悪い」ということは、別のことを選択して、あなたの「会」を選択しないという評価を含んでいるのです。当人にとって大事なことなら万障繰り合わせて出かける筈ではないですか!誰も目くじらは立てませんが、「都合が付かない」の多くは価値判断なのです。 それゆえ、年寄りは、多少の冷たさを含みながらも、硬直化を避け、己が老害の元凶になることを避けるために、環境を変えながら、前に進み続けなければならないのです、と申し上げたのでした。
←前ページ 次ページ→
Copyright (c) 2002-, Seiichirou Miura ( kazenotayori (@) anotherway.jp )
本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文の転載等についてはメールにてお問い合わせください。