MOOCが機会となる人、脅威となる人

 先日、10月11日に「日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)」が設立されました。海外の高等教育界に大きな変化をもたらしているMOOC(大規模公開オンライン講座)の動きに対し、国内でも主要大学や大手企業が大規模に連携して、この分野で本格的に活動開始する動きと言えます。
大学のオンライン講座の無料化を目指す「JMOOC」発足–ドコモがシステム開発(CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/business/35038431/
 MOOCに関して、1年前にどういう状況だったかちょっと確認してみたところ、コーセラへの東大の参加検討や今年3月に開催したBEATセミナーでコーセラのダフニー・コーラー教授の講演企画が動き出したのはもう少し後のことで、実は国内での動きがここまで来るのにまだ1年経っていないのでした。
BEAT特別セミナー 変革期を迎えた学習プラットフォーム
講演:ダフニー・コーラー氏(Coursera共同創設者・スタンフォード大学/教授)
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/archives/beat/seminar/052-2.html
 昨年秋頃には、海外の動向に目を向けているわずかな人たちを除き、国内ではほとんど関心を持たれていなかったMOOCでしたが、今年2月22日に東京大学がコーセラで講座配信を開始することがアナウンスされた頃から関心を集め出しました。
東京大学とコーセラ(米国)が大規模公開オンライン講座(MOOC)配信に関する協定を締結
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_250222_j.html
 今年初めに準備を進めていた段階ではどうなることかと思いましたが、9月から村山斉先生の「ビッグバンからダークエネルギーまで(From the Big Bang to Dark Energy)」を開講し、先日無事に講座配信が終了して、ようやく最初の履修証を修了者に届けられるところまで来ることができました。
 そして明日10月15日からは、藤原帰一先生の「戦争と平和の条件(Conditions of War and Peace)」が開講します。この週末も開講準備に追われていました。世界中の受講者からの反応が楽しみでもあり、最初の試みで不安なところもあり、とにかくも無事に最後まで講座提供ができることが第一です。
Coursera: Conditions of War and Peace
https://www.coursera.org/course/warandpeace
 そして今回のJMOOC協議会の設立となり、すでにMOOCは国内の高等教育界においても主要な関心事となってきた感があります。立場によっていろいろな見方があり、大きな機会として捉えている人もいれば、脅威と感じている人もいると思います。ここまでの動きを見てきて、どういう人にとって機会となり、どういう人にとって脅威となるかという話題を提供したいと思います。
MOOCが機会となる人
1.オリジナルな教育コンテンツを持っている人
 まず、この人にしか教えられない、この人に教わりたい、というキラーコンテンツやニッチなコンテンツを持っている人にとって、MOOCは大きな機会となることでしょう。MOOCの特徴の一つは、Massive Open Online Coursesの名称通り、大規模な受講者数にリーチできるプラットフォームが提供されることです。今までは教室単位で数十人、数百人で提供していた授業を、数万人、さらには十万人規模の受講者に届けることができる機会が生まれます。教室での授業が小規模なライブハウスでのライブだとすれば、MOOCとして提供される授業はスタジアムやドーム球場でのコンサートイベントを提供するようなイメージでしょうか。
 これまでは提供する手段が限られていたために埋もれていたニッチなコンテンツが多くの人に届くことで、新たな価値を生み出す動きも出てくると思います。そのようなコンテンツを持った人には、MOOCの展開が大きな機会となります。たとえば、有名大学や大企業のブランドに頼らずとも、地域ニーズに合ったニッチなコンテンツや、特定テーマにリソースを一点集中して開発した講座で注目を集めて新たなブランド構築を行うような戦略もとりやすくなるでしょう。
2.関連するノウハウや経験のある人
 次に、MOOCのベースとなっている技術は必ずしも新しいものではなく、以前から進んでいるオンライン教育やオープン教育で行われてきたことが土台になっています。そのため、eラーニング講座の提供や映像授業の配信などの経験はかなりの部分で有効で、これまでに類似の取り組みの経験がある人はその経験を活かしてさらにスケールする機会となり得ます。
 JMOOCが当初目指す登録者数を100万人としていますが、放送大学の受講者数が全体でも約8万人、他のeラーニングサービスも数千や数万人規模のところを、一気に数十万人のユーザーにリーチする機会が生まれます。これまでのオンライン教育のノウハウや経験を活かしてさらに大きな仕事ができる機会となるでしょう。JMOOC協議会には放送大学をはじめ、すでに映像授業やeラーニング講座を提供している企業や大学が参画しているのはそうした事情を反映していると思います。
 少々話がずれますが、関連するノウハウやリソースを活かして成功した例として、ニンテンドーDSの「脳トレ」ブームが起きた2000年代中頃のことを思い出しました。当時、多くの企業が学習ゲームや実用ソフト市場に参入しましたが、任天堂や既存のマーケティングチャネルを持っていた大手教育出版社以外で成功できた企業はわずかで、流行に乗って参入した企業のほとんどは成功をつかめませんでした。その中で成功をつかんだのは、DS登場以前からPC市場などで学習ソフトを提供していたノウハウを活かして、いち早くDS版を提供してスタートダッシュできた中小の開発会社でした。
3.教授スキルが抜群に高い人
 MOOCは多くの人にアクセスできる機会を提供する反面、映像コンテンツや遠隔教材で人を引き付ける魅力的な授業を行うのは容易ではなく、高度な教授スキルやノウハウが必要です。工夫のない退屈な授業を単にMOOCに載せても教育効果は上がりません。これまでにもたとえば大学受験予備校の業界では、大手予備校が映像授業を全国の塾や予備校に配信する事業を長年行っていますが、そこでは大教室でも飽きさせない魅力的な授業を行うスキルの高い講師は貴重で、大手同士で講師人材の獲得競争が行われてきました。
 MOOCにおいても映像授業が用いられる点はこれまでのオンライン授業と共通しており、魅力的な授業を行うことのできる講師が活躍する機会はさらに広がります。他の大学や企業が提供する講座と比較されて話題となり、無名だった地方の講師がスター講師となって多くの受講者を集め、講師のタレント化やアイドル化といった現象も今まで以上に起きやすくなるでしょう。
MOOCが脅威となる人
1.一般的な教育コンテンツしか持ってない人
 一方で、MOOCの展開が脅威となるタイプの人もいくつか考えられます。まず、誰でも教えられる代わりの効くコンテンツしか教えられない人には、仕事の口が減るような重大な脅威をもたらしかねません。海外の大学でMOOCに対する反発がみられるのは、この危機感によるところが大きいようです。高等教育界には、肥大化した教育コストを下げるためにMOOCに期待する面も大きいため、この流れの中でコスト削減にMOOCが利用される動きも出てくることが予想されます。その変化に対して今からどう準備していくか、組織としても個人としても問われている面があります。
2.旧来のブランドに守られていた人
 次に、これまでの教育産業の構造やブランドイメージに守られてきたおかげでやってこれた大学や企業にとって、このMOOCの動きが既存市場縮小や市場環境の変化の加速につながり、今までの延長線上でやっていくのはさらに厳しくなるかもしれません。既存の産業構造の中で何となくごまかしてやってこれたものがごまかしが効かなくなっているのは、すでに他の業界では珍しいことではありません。高等教育の世界での変化の動きをMOOCが象徴していて、JMOOCに参加する大学も企業もおそらくそのような危機感を共有していることと思います。
3.変わりたくない人
 対面授業の講師もオンライン教育の講師も、今までのやり方を変えたくない、という人にはMOOCの動きは脅威になるでしょう。MOOCを経由して提供される教育コンテンツを使った反転授業のような教育方法が普及すると、講師は少なくとも個人的なスタンスとしてそれらをどう捉えて、どう関わるか見識を持つことが求められるでしょう。オンライン教育提供者も、すでに一事業者が提供するプラットフォームは立ち行かない状況になっており、プラットフォームとの関わり方を決める必要に迫られます。今起きている変化を見なかったことにして、目を伏せてやり過ごすのが最もハイリスクな状況になっていると捉えた方が生き易くなると思います。
 もちろん、みんながMOOCに参加してコンテンツを提供しなければならないわけではありませんし、そんな状況にはならないと思います。利用する側として付加価値を高める戦略もありますし、他の組織と連携して付加価値の高いコンテンツを開発することもでき、工夫次第で様々な手が打てます。今のMOOCの流れがそのまま普及するかどうかは別としても、オンライン教育がコンテンツ提供の一手段として普及する中で、それに立場や戦略を考えて準備を進める時期に来ていると捉えた方がよいでしょう。
 なお、MOOCに関する基本的な情報や東京大学の取り組みについてだいぶ端折って書きましたので、わかりにくいところは少し前に書いた「大学教育と情報」の拙稿もご参照ください。
「世界的な大規模公開オンライン講座(MOOC)の動向と東京大学の取り組み」大学教育と情報, 2013, No.1
http://www.juce.jp/LINK/journal/1303/02_02.html