はからずして毎年、年初と誕生日は自分の状態を振り返る時間になっている。今年は幸い何も予定のない週末に重なったので、しばらくぶりに少しゆっくりリフレクションの時間をとることができた。
今年の前半で、延々と7年半にも及んだ留学生活もようやく幕を引くことができ、4月から本格的に帰国後の人生が始まった。いろいろあったし、振り返れば後悔や反省することだらけだけど、とにかく自分の目指したところまでやりきれてよかった。それで良くも悪くもいろんなことが水に流せて、どうでもよくなることが案外あるのだと知った。論文がまとまらない昨年後半が一番しんどかったし、修正していた今年の年初も相当厳しかったけど、あれもこれも終わってみれば全部どうでもよくなった。
つらかったことだけ水に流せればいいのだけど、それと一緒にがんばる意欲も流れていってしまった感じもする。本来はこれから学会誌向けに論文書いたりとか、もっとがんばった方がいいことはたくさんある。けれどあまりに消耗したせいか、自分を起点にして何かを始める意欲がわいてこない。2カ月ほど経って、だいぶ前向きな意欲が戻ってきたので、モチベーションが復活するのは時間の問題だと思う。今はただ、授業の準備や仕事の〆切に追われつつも、博士論文という重荷のない穏やかな日々を、楽しく静かに送っている。
国内での活動は、いろいろ考えて悩んだ末に、留学を始めるときに送り出してくれた師匠のところにいったん戻ってお世話になることにした。これまでの人生でも、大事な岐路に立って悩んでいると、あるタイミングですっと道が開けるように物事が決まってきたところがある。今回もそんな感じで、決まってみればもともとそっちに進んでいたような不思議な感じがしている。
ここ数年、研究や執筆、プロジェクトなど自分のミッションのために直接的に時間を使える生活を送ってきた。4月からは組織に属して、人のミッションのために自分の時間の大部分を使う毎日を送ることになった。自分の性分として、人のミッションと自分のミッションの方向性が異なるところでは働く意欲がわかず、大きな組織に属するのに向いてないところがある。今回も、小さな組織に属するいろんな不便があっても、自分のミッションに近く、自由度の高いところを優先して選んだ。
組織に属さないフリーランスな生き方と、組織に属した組織人としての生き方、どちらがよいかと言ったらそれはその側面だけでは測れないところがある。組織に属してなくても自分の望まない何かに従属して生きざるを得ない状況というのは案外多いし、組織に属しているからといって、束縛だらけで何もできないということはない。どちらにも制約はあるし、自分の力量や工夫次第で制約でなくなることは多い。(人を雇ってたりしたら話は違うけど)結局のところ、職業人としての自分個人のスタンスは、提示された仕事をベストの体制で請けることの方が大事で、フリーでやるか組織の一員としてやるかというのはどうでもいい形式的な話だったということに気づいた。
そうこうするうちに、いつの間にか30代も後半の終わりの方に近づいていて、自分の人生の捉え方も変わりつつある。「将来」というのは若い頃には遠い未来の話だったけども、実はもうその将来を生きているのではないか、という捉え方もできる年齢になってきた。果たして自分はこういう将来像を描いていたのかと考えると、まだ道半ばであって、今の自分が考えている「将来」がさらに先に続いている感じがする。多分もう少し歳をとれば、この捉え方もまた変わっていくのだろう。若い頃にああすればこうすれば、と後悔する気持ちは湧いてこないわけではないけど、チャンスはあったのにできなかったのも他でもない自分自身だ。たぶん、後悔する暇があったら、その分これからをどうしたいのか考えた方がよい人生を送れるだろう。
でもあまりしゃかりきになって、過度にポジティブで前向きにやるのは疲れる。少しスローダウンしたい時には休み休みやりたい。うまく行く時もあれば、行かない時もある。できる人と比べるとへこむこともあるし、もっとやらないとと自分を焚きつけすぎることもある。そういうところは以前と変わらないし、自分の基準を変えない限りはいつまでたっても満たされることはないだろう。体力や気力もいつも万全とはいかないし、いろんな波はある。なんかそういうことをちょっと受け入れられるようになったかな、というのが37歳になっての今の心境。これからもがんばります。ごきげんよう。