ペンステートの図書館はあなどれなかった

 今日は新学期初日。キャンパスの景色はがらりと変わってものすごい人だかり。バスは激混み、道路は渋滞。こういう日は用事を済ませてさっさと帰るに限ると思いつつも、用事が多かったので午後一杯キャンパスにいた。
 先に雑用を済ませて、今やっている研究のコンテンツのアドバイスを受けに、歴史学部の東アジア研究プログラムで日本史を教えているDr. Smitsのオフィスアワーを訪ねた。この研究では、春に日本で行ったパイロット研究で開発したアプローチを改良して、日本史教育用の歴史的思考スキル習得支援教材の開発と評価を行っている。研究の進捗や苦労については、また改めて書くことにするが、今日は専門家の助けのありがたさをしみじみと味わった。教授には、今開発している教材や研究のねらいとするところについては気に入ってもらえたようで、引き続き内容面の改良や実験の参加者募集に協力してもらえることになった。


 彼から参考になるかもと教えてもらった本を探しに、その足で図書館に立ち寄った。立派な大学図書館だけども、日本史のマニアックな史料なんかそんなにおいてないだろうとたかをくくって、これまで資料探しはもっぱらオンラインと市販の手に入りやすい本をあたっていたので、図書館の日本史コーナーに足を踏み入れたのは今回初めてだった。書架を見つけた瞬間、迂闊だったことに気づいた。
 それはもう、あるわあるわ、平安時代の国司や朝廷の役人の全目録とか、各時代の古文書のような史料がかなりの量置いてあった。協力してもらっている日本史の教授の専門が琉球史だということもあってか、琉球史の文献もたくさんあった。明治30年代に出版された「玉葉」(平安末期の九条兼実の日記)もあった。平安時代末期の史料を探していたので、こりゃ使えるかも、と思って開いてみたが、よく考えたらオリジナルは漢文体だった。レ点とか受験の漢文知識を思い出しても足しにはならず、全く読めなかった。もちろん英訳なんてのはなくて(平家物語とかメジャーなものは結構英訳が出ている)、仕方無しに英語で書かれた関連書を何冊か借りて帰った。日本語の方が得意な日本人が日本史を英語で調べるというのも変な話だが、論文や教材を英語で書いているので、英語の文献の方がはるかに使いやすいのだ。日本語の文献であっても、漢文体の書物が読めなくて使えないのは残念。古文や漢文も一つの語学スキルなのだということを思い知らされた。
 帰り際に偶然、同じプログラムの友人Joshに出会った。彼も博士論文研究中のABDで、早く終わりたいとぼやいていた。ここ2年ほどの間に、同じ頃に入った友人たちはだいたい卒業して就職したか、ABDのまま就職してその後論文を仕上げる気配がないかのいずれかですでに大学院に残っていない。僕も含め残った連中はくたびれた様子でそれぞれ追い込みにかかっている。指導教授のBrianは「Jaded(くたびれた)だと感じるのは一人前になってきた証拠だな」とからかい半分に言う。彼は教育者というよりも変なところが親方感覚なので、そういうところで人の成長を見るところがある。Joshは、指導教授のChrisがサバティカルから帰ったらそのままペンステートから転出することが決まったりしていて、いろいろと難題が続いている。そんなお互いの近況を共有しつつ、30分くらい長い立ち話をした。
 少し話が逸れたが、今回は、米国のリサーチユニバーシティの図書館の実力をあなどっていたのを反省した。充実した論文データベースの恩恵はずっと受けていたのだが、データベースの発達する前は、そのパワーを使って蔵書の充実には力を入れていたわけだ。この大学に来てもう7年目になるが、まだまだ日々新しい発見がある。