昨日は某女子高の高3情報の授業でオンラインゲームを使った研究授業をしてきた。生徒の反応は極めてよく、その授業そのものはとてもうまくいった。今回は試行的な位置づけで行って、環境面では問題ないということがわかり、教育面でも課題の洗い出しができた。うまくいったことは純粋にうれしかった。
しかし、今回うまくいったのは、よく整備された環境で、よくできた教材(ゲーム)を使って、優れた教師が教え、よく教育された生徒たちが学んだからうまくいったのであって、研究者である自分がそこに何かをもたらしたからうまくいったという気がしない。教育現場の教育者たちが興味を感じる題材を教材として持ち込み、その題材を利用した授業の青地図を書いてその効果をみるというところが今回やりたかったことで、それはできた。でもそれはすでに高いレベルに到達している実践の場だからできたことで、自分の持ち込んだ付加価値ではなかった。その事実を突き付けられていて、あまり喜んでもいられない。
実践研究というのは難しい。飛び込む現場の知識や経験の不足を補う何かを持って臨めなければ大したことはできない。現場でじっくりやってその現場の知識と経験を高めるか、その現場に必要な研究的知識を持ち込むか、どちらかがないと変化を起こすことはできない。
それに現実とは切り離してコントロールしやすくなった環境で研究のために集められた被験者を対象に行う研究とは違い、向かうのは普通の教室であって、変なことをすればそこで学ぶ生徒たちの学習機会が損なわれてしまう。研究結果もさまざまな要因に左右される。研究の中身だけでなく、研究をセットアップのための周辺的な作業も増大するので、マネジメントの力量もより高いものが必要になる。
先月、日本教育工学会の全国大会のシンポジウムで教育実践研究の課題について議論されていた。(せっかくの初参加だったのに、初日の午後のセッションだけしか参加できなかった!もったいなかった。。)そこでも実践研究の難しさが議論され、不十分さや研究手法の改善点が指摘されていた。東大の山内先生や熊大の鈴木先生たちの議論の中であげられていた論点は、いずれもこれまでの実践研究の課題やその批判、その批判への反論のなかであがっていることで、いずれも重要ではあるけれども完全には解消できない性質のものだと思う。どんな研究であれ、予算や人手や時間や制度的な制約の中でやらざるを得ず、完全無欠な研究は無理。無理だからといって開き直っていい加減なやり方をするわけにもいかない。こうやればいいという万能薬的な最適解はなく、個々に異なる制約の中でベストエフォートで取り組んで、研究としての質をどこまで高められるかという話だと思う。
すべてわかっていたつもりで始めたことではあるけれども、そのたいへんさが肩にのしかかってくる。実践研究をうまくいかせるために重要な、研究者と教育者のフォーメーションはありがたいことに組むことができているのだから、あとは研究者としての自分の付加価値をどう打ち出せるかというところにかかっていて、そこは粘り強く粛々とやっていくことでしか乗り越えられない。まさに「学問に近道なし(本居宣長)」だ。
自分がこの研究で、今までにない学習体験を人に提供できるかはさておき、研究をしている自分自身が最も深く得難い学習体験をしていることは間違いない。
お疲れ様です。実は、僕もほぼ同じような感想でした。
僕は研究者としての立ち位置からでなく、実践者からの立ち位置で、もっといろいろできたのではないか、と思いました。教育サイドから、自分が何ができるか、考えていきたいと思います。
まだまだ、いろいろやれることありそうですよね!がんばっていきましょう!よろしくお願いします。
またご飯でも食べながら、アイデア交換させてください!