学期末のあれこれが先週でほぼ片付き、ようやく翻訳書の校正作業にまとまった時間が確保できるようになった。進行の遅れを取り戻すべく、急ピッチで作業中。ひたすら文章のチェックと訳語の確認を繰り返すだけなのだが、これがかなり重たい。ザクザク訳していた時の方がよほど楽な気がする。
悩ましいのは自分の専門外の分野の訳語の使い方だ。英辞朗さんやグーグル氏が強い味方になってくれるおかげで大部分はすんなり解決できるのだけど、既存の訳が微妙に意味のわかりにくかったりすると、そのままつかっていいものか考えてしまう。それに標準的な訳語が必ずしも適切でない場合もある。
たとえば、この訳書では出てこないのだけど、よくある例としては「~にまつわる7つのMyth」のような形で既存の何かに対する批判の論点を提示するときに「Myth」という言葉が使われている。Mythで辞書を引くと「神話」が一番に出ていて、訳語としてもそのまま「神話」とか「おとぎ話」と訳しているのをよく見かける。でもこの場合はネガティブな意味なので辞書でも後のほうに出てくる「迷信」や「俗説」という訳語を使う方が適切だろう。
これはまだ入門編のようなものでわかりやすいが、もっと込み入ったニュアンスの訳語が思いつかなくて困る場面によく直面する。日本語がわかれば誰でも翻訳ができるというものではなく、翻訳のクオリティというのは多分に訳者のボキャブラリーや表現力に依存する。Webなら間違いに気づけばさっさと修正できるけど、書籍の場合はそうもいかない。怪しいところはできるだけいろんなソースに当たりながら最も適切な訳出を心掛けているが、なかには自分の専門外の話などでどうしても解らなくてエイヤと訳してしまっているところもある。その専門の人から見れば、なんてアホな訳し方をしてるんだと思われてしまうところも出てくるかもしれないが、そこは訳者の力量の至らぬところとしてご容赦いただきたい(なんだか訳者あとがきのようになってきた)。
それに別の問題もある。原著者もお得意のネタは表現も安定していて歯切れが良いが、新しいネタを披露しているところなど、微妙に表現が乱れていることがあったりして、その部分を忠実に訳してもいい文章にはなり得なかったりする。そういうところは訳者のチャレンジのしどころで、原著のニュアンスを汲み取って、文章よりもそのニュアンスの方に忠実に訳す。うまくいけば手ごたえになるし、原著の微妙な表現がそのまま訳に反映されてしまうところもある。この辺りの駆け引きは、その分野の研究者が翻訳者となることのメリットであり、プロが翻訳する場合の監訳の存在意義でもある。名訳珍訳というのはこの辺りの作業から生まれてくるのだろうというのを実感する。
そんなことを考えつつ、再び校正ゲラに向かう。グダグダとこんな駄文を書いている暇があったらもっと作業に集中した方がよい気がしてきた。でもあと数日であがりますので(>担当編集者さん)。