ゲームをプレイすると、さまざまな知識やスキルが身につく。これまでは、「何となく身についている気がする」感覚でしかなかったものが、ゲーム研究者によって徐々に概念的に整理されて、学術的な言葉で説明されるようになってきた。
最近、翻訳書が出たおかげで広まったのは、スティーブン・ジョンソンの「ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている」のなかで触れられている、「プロービング(probing、調査)」と「テレスコーピング」という認知的スキルだ。「プロービング」とは、ゲームを始めて、そのルールや目的、コツを理解するための調査行動、「テレスコーピング」とは、目的達成のための行動を構造化して順序だてる知的作業のことを意味する。
インベーダーやパックマンのような昔のアーケードゲームやテトリスのような単純なパズルゲームであれば、ルールも目的もすぐに理解できるため、プロービングもテレスコーピングも不要だ。ところが最近の大作ロールプレイングゲームやリアルタイムストラテジーゲームのような複雑なゲームになってくると、ゲーム世界は広大で、与えられる情報も膨大、複数の目的やタスクが同時に進行するものが多い。そうなってくると、上手くゲームをプレイするためには、インベーダーをやるような感覚とは全く違った高度な情報処理が必要になってくる。
プレイヤーは、そのような複雑なゲームの世界で、自分のおかれている状況や次に何をすればよいかを把握するための調査行動を取って、その世界のルールや自分が取れる行動の範囲、次に行うべきことを見出す。その次に、取れる行動の中で、目的に合わせて最適な行動を取るためにはどの順番で行なえばよいかを大目的、中目的、小目的と構造化して、制約条件を勘案しながら順序立てる。地点Aに行くのがゴールとして、そこに行くためには地点Bに行って地図を手に入れ、途中の地点Cに出てくる敵を倒すために必要なアイテムを地点Dで手に入れ、そのアイテムを手に入れるための条件を地点Eで満たし・・・といった具合に、作業工程がガントチャートのような形で頭の中にマッピングされる。
ゲームの初心者は、このプロービングもテレスコーピングもできないままにプレイすることを余儀なくされるため、目的到達までに余計な労力と時間を要する。慣れてきて上達してくると、ゲームの勘所がわかってきて、無駄なことをせずに必要な作業に労力を集中することができるようになる。
この二つのスキルは、日常生活において未知の環境で必要な情報を見つけ出したり、複数のタスクを与えられても混乱せずに効率よく仕事を進めるために必要なスキルそのもので、斉藤孝の言うところの「段取り力」に近い概念だと言える。問題は、ゲームの中で身につけたこれらのスキルが他の環境に置かれた時に引き出してこれるような、「メタ化された知識」として定着させられるかにかかってくる。
一つのゲームに熟達することで、他の同じジャンルのゲームでも上達が早まるということが起きるのは、そのジャンルのゲームを一つの領域とした知識(ドメインナレッジ)が蓄積された状態になっている。それを異質な環境や全く異なる領域でも利用可能な知識にするには、ドメインナレッジをもう一段階押し上げて、メタ化する必要がある。部分的な知識をドメインナレッジ化して、さらにメタ化した知識にするような認知的変容を、教育学的には「学習の転移」と言い、学習の転移を起こす学習原理や教育方法の研究は、長年にわたって取り組まれてきた。
ゲームで身につく知識は、普通に一つのゲームだけ熟達しても日常生活や他の領域で使える知識にはなりにくい。知識を領域化し、メタ化を促す作業が必要となり、なかでも特に個人の学習行動の中では振り返りや省察と呼ばれる行動に支えられる要素が大きいと思われる。そうした学習行動を起こすには、ゲームの中でそのようなサポートをするゲームが出てきてもよいし、ゲームの外で行われる学習活動を支援する活動の中で消化するということも可能だ。そのために重要になってくるのは、ジョンソンが指摘しているように、昔のゲームのイメージで今のゲームを捉えないことであり、ゲームの中で起きている知的作業の意味を捉え直していくことだろう。
※プロービングとテレスコーピングの詳細は、次の文献を参照。