記憶の引き出し

 最近、ふと何でこんなことを思い出すんだろうというようなことを、変なタイミングで思い出すことが結構ある。あまり生産的でない時間が増えただけなのかもしれないが、歳を重ねれば、それだけ記憶の引き出しに入っているものも蓄積されていて、何かのきっかけでその引き出しを開けているのだろう。楽しいことを思い出す分には楽しくていいのだが、どうでもいいことだったり、あまり楽しくないことだったりすることもある。家の押入れのように、たまに大掃除して物を捨ててしまえるのであればいいのだが、頭の中というのはなかなかそうもいかない。思い出そうとしている時には思い出せず、どうでもいいタイミングでどうでもいいことが記憶の引き出しから飛び出してくる。
 昼飯のラーメンをゆでている時、何の弾みでスイッチが入ったのか、ふと高校の頃バンド絡みで知り合った人のことを思い出した。その人の名は、ここでは斉藤さんとしておこう。高校2年の時に知り合って、彼は二十歳くらいの色白の小柄な男で、地元の高校を卒業して、近くの工場で働いていた。何のきっかけだったかは忘れたが、どこかで知り合って、いつの間にか高校の同級生で組んでいたバンドの練習に顔を出してくるようになっていた。


 ところで、僕が高校生だった89年~92年頃の当時はたいへんなバンドブームで、かなりの一般人層までバンド熱が浸透していた。高校3年の頃にはだいぶ下火になって、ほどなく音楽スタジオも街からなくなってしまったが、ピークの時には、文化祭の出場希望者が多くて予選会までやるような賑やかな状態だった。九州の田舎の温泉地にある公立高校ですらそんな感じで、当時のバンドブームというのはたいしたブームだったんだなと思う。Boowyだブルーハーツだジュンスカだ、とパンクやポップなコピーバンドがそのブームの主流だった中、僕らのバンドは市内で唯一最強の鋼鉄ヘビメタバンドとして君臨していた。とはいえ、高校の文化祭や、たまにあるイベントで演奏するくらいで、それ以外は特に目立った活動はなかったし、受験勉強のためにだんだんと活動からも遠ざかっていったのだが、それでもやっていて楽しかった。学校が終わって、夕暮れの中を楽器を背中に自転車をこいで行って、狭苦しい音楽スタジオでドカドカと練習する時間は、息苦しい高校生活の中で、開放感というか日ごろやり場のないエネルギーのやり場を感じる数少ない時間だった。
 たしかそんなバンド活動が一番盛り上がっている頃に、斉藤さんと遭遇したのだった。16,7歳の我々は、彼がやや年齢よりも上に見えたからなのかもしれないが、二十歳の彼をおっさん扱いしていた。前にどこかのバンドでボーカルをやっていたとかで、いずれは東京進出して、メジャーデビューするんだと豪語していた。それにどうみてもケンカは強そうに見えなかったのだが、いつも誰それをぶん殴ったとかそんな武勇伝もあれこれ語っていた。たぶん彼もヘビメタをやっていて、僕らはその地域で数少ないヘビメタバンドだったからだと思うが、お前らは見どころがあるからぜひ一緒に何かやりたい、みたいなことを言っては練習場所に顔を出してきた。ぼくの自宅は高校のある市の隣町で、少し離れていたのだが、彼はわざわざバスに乗って、何度かうちまで訪ねてきた。そのたびに、うなぎでも食おうぜと言って、近くのレストランに僕を連れ出した。彼はうな重を注文して一人でほおばっていた。こちらはそんな所在のよくわからない人にうなぎなんて高いものをご馳走になるのはどうも居心地が悪いと、うどんか何か頼んでいたように思う。今思えば、高卒で二十歳の工員がそんなに給料をもらっているわけでもないのに、彼にしてみれば先輩としての気前のよさを示そうという見栄もあったのだろう。
 あるとき、この人はいろいろウンチクは多いが、実際に歌うところを聞いたことがないなと思って、試しに歌ってもらった。するとまあどうということはなく、うちのボーカルの方がまだましじゃんという程度でずいぶん鼻白んだ。その時を境に、彼の胡散臭さが鼻に付くようになり、僕らは少しずつ彼と距離を置くようになった。いろいろ言うことはできても、実力が伴わなければ話にならんなと、子ども心に思ったものである。彼もそんな我々の反応を感じ取ったのか、いつの間にか練習に顔を出さなくなって、いつしか僕らの記憶から消えていった。
 この斉藤さんに限らず、若気の至りというか、将来ビッグになってやるとか、天下取ったる、みたいな若い野望を多かれ少なかれ持つ人は普通にいると思う。そこに実力と努力が伴うかどうかで、その野望にどれだけ近づけるかが決まってくる。実力と努力で塗り上げた残りの余白の部分は、いわゆる運が左右する。余白が広ければ、運に頼る部分は大きくなるし、がんばって余白を狭くしていれば、運頼みの部分は少なくなる。実力と努力の関係も似ていて、最初に実力がなければ、努力で補うことができる。そしてその努力を苦労と感じるかどうかは、モチベーションが左右する。モチベーションが高ければ、努力が苦にならないし、自分の好きでないことや性に合わないことは、努力に苦痛が伴う。苦痛を伴わないで果てしなく努力ができるものに出会えた人は、その目指すものにたどり着ける可能性が高まる。成功している人というのは、たいていそういうものに出会えた人である。
 だが多くの人は、そういう若き日に抱いた野望を果たせずに歳を取っていく。当時十七歳だったぼくは30を過ぎ、二十歳だった斉藤さんは、今頃はもう30代半ばを過ぎている。おそらくはそんな若い頃の野望は破れ、諦めて普通に会社に勤めをして、もしかしたら結婚して子どもを持ち、父親になっているかもしれない。そんな自分の生き方をどう思うかは彼次第だが、歳を重ねる過程でよい人や機会に出会い、バンドよりもやりがいのある、本当に自分に向いているものを見出していてほしいものだと思う。若者心に夢に抱く将来像というのは、あまり豊かではなく、たいていはステレオタイプなファンタジーだったり、とりあえず思いつくものの中でベストなだけだったりするものなので、最初に抱いた夢を実現できるかどうかは、それほど重要でない気がする。
 子どもの頃に抱いた将来像をそのまま手にするような生き方というのは極めて稀なケースであって、ほとんどの人は社会に出て、自分の適性や実力を知り、いろんなものを見ていくうちに、自分がほんとに好きなものや向いているものが他にあるということに気づくことの方が多いはずである。だからといって子どものうちからそういう夢や野望を抱く必要はないかというと、そんなことは決してない。「ネバーアップ・ネバーイン」という有名なゴルフの格言がある。「カップに届かないボールは絶対に入らない」という 意味で、そもそもカップに届かせようとして打たなければ、入りっこないからしっかり打て、というメッセージである。どうせだめだから、と始めから諦めていてはどんなものにもたどり着けず、その人が本当に手ごたえを感じる生き方にたどり着くのは難しい。最初は根拠のない自信だけに支えられた想いであっても、漠然とビッグになってやるとしかイメージできなくても、ゴールがありそうだなという方向に向かって最初の一打を放つのはとても大事なことだと思う。そこから方向が違えば打ち直せばいいのだし、合っていればそのまま進めばいい。世の中、進んでみないとわからないことが多いのであって、進まないでいるといつまでもよくわからないままである。いつからスタートしても悪くはないが、早くから試行錯誤した方がより遠くへ進めるし、やり直す機会も増える。
 人に歴史あり、とは言うけれど、ビッグになり損ねたであろう斉藤さんは、その後どんな方向に進み、今どんな歴史を歩んでいるのだろうか。僕自身、高校でのバンド活動では飽き足らず、大学に入ってもバンドを続け、デモテープを作ってドイツまで持って行ったり、社会人になってもまだ大学生とバンドを続けていたりして、諦めが悪いというか、ずいぶん自分の適性とは異なる方向に進もうとしていたなと我ながら思う。目くそ鼻くそを笑うと言うか、現実を冷静に見ていない人のことをとやかく言える立場でもないなと可笑しくなった。
 そんなことを考えているうちに、気づいたら、さっき作っていたラーメンはいつの間にか平らげていた。歳を重ねれば、引き出しの中の記憶も増えていくと思うのだが、こうやってふと引き出しから何か飛び出してくるようなことが増えていくのだろうか。雪がちらつく窓の外を眺めながら、何十年後かの自分は、今の自分の様子をどんな風に思い出すんだろうか、とふと思ったりした。