変化を起こすための学問

 2週間にわたる「イノベーション普及と導入」の集中コースが終わった。このコースのテーマは、いかにシステムに変化を起こすか、組織変革や新しい技術の導入を成功させるには、何に気をつけないといけないか、ということである。講師は今期でプログラム長の任を終えるDr. Ali Carr-Chellman。彼女が初日の冒頭に言ったことがこのコースの存在意義を示している。曰く、「インストラクショナルデザインは、分析もデザインも開発も評価も、どれも研究が進んでいるし、専門家も多いけど、導入は研究が進んでいなくてとても弱い。問題の分析はよくできるし、出来上がってくるプロダクトやコンテンツはとてもいい、評価もきちんとした手法でみんないろいろやってる。学会でもすごいのを作りましたとみんな発表している。でもそれをうまく導入するにはどうすればいいかについて考えている人はとても少ない。」このコースはその、いかに導入を成功させるか、についてを教える数少ないコースである。


 授業は宿題で読んできた文献についての議論、映画を観てイノベーション普及の観点から議論、それに受講者が準備してきた変革アプローチに関するロールプレイで構成されていた。読書課題はロジャースのイノベーション普及学に始まり、システム理論、ビジネス系・教育系の組織変革手法、テクノロジーの性質に関するハイデッガーの論文など、かなり濃い内容だった。
 講師のアリはビデオを使うのが非常にうまい。先日の質的データ分析の授業でデスパレート・ハウスワイブスを使ったのも彼女である。今回2週間の間に観たのは「タッカー(革新的な自動車開発に挑戦した起業家の話)」「銃を持つ男(南米の僻地医師派遣失敗の話)」「シリコンバレーの海賊(ビルゲイツとスティーブジョブスの話)」「デスクセット(スペンサートレイシーとキャサリンヘップバーンのオフィスへのコンピュータ導入にまつわるラブコメディもの)」の4本。どれも新しい技術の導入や、イノベーションの普及について議論をするのに格好の題材だった。授業でのビデオの使い方は今回かなり学ばせてもらった。
 ロールプレイは、テキストの「Change Handbook」で紹介されている変革アプローチから各自一つ選んで、そのアプローチを学ぶためのロールプレイを準備してきてクラスでやってみるというもの。テキストにはいろんなディスカッションの手法や、業務プロセス改善のアプローチが出ていて、その中に、Gemba Kaizenというのがあった。日本の誇る「現場改善」である。迷わずこれを選んで準備に入った。他のクラスメートは、シナリオとそれぞれの役割を設定して、自分で進行役をやりながらロールプレイをやるスタイルをとっていたが、それだと普通なので、私は「現場改善ゲーム」と称した交渉ゲームシナリオを作成した。入学者減少で閉校の危機にある私立高校で、運営コスト5%削減のための現場改善ミーティングをやっているという設定で、参加者は共通ゴールと個人ゴールを達成を目指す。情報格差と個人の思惑の違いをシナリオに織り交ぜて、そこにゲーム性を持たせた。私自身はゲーム中は口出しせず、参加者に時間まで議論させた後に「現場改善の精神」を解説した。プレイ時間は正味20分ほどと短い中でもうまく合意ができてめでたしめでたし、といくようにゲームバランスを調整したつもりだったが、共有情報を削りすぎたのと、案外みんな自分の利益を最大化しようと情報を小出しにするのとで、合意ができず時間切れでみんなクビ、という結果になってしまった。参加者に成功体験を持たせるところまでは残念ながらできなかったのだが、まとめの解説で、日本の製造業の発達に現場改善アプローチがいかに貢献したか、小さな改善の積み重ねが大きな変革につながるという哲学、文化の共有が重要だということに触れたところ、かなり納得感があったようで、アリからは激賞のコメントをもらった。
 私は特に現場改善の手法を学んだわけではないが、その本場の日本で育ってきて、それが文化としてどういうものかを経験していて、自分の腹に落ちた話として説明ができるので、説明の言葉の使い方からして変わってくる。そしてみんな日本製の車や電化製品などの質の高さに敬意を持っているので、その成功の影にはどのような努力があったのかについて、誰もが関心が高い。今の私は日本にないものを学びに来ているのだけれども、今回のように日本人が世界に誇る成果を紹介できる機会には、よく理解してもらいたいのでモチベーションも高まる。周りに日本人がいない中で自分にしかできない貢献ができるというのは嬉しいことである。
 この組織変革をテーマとしたコースはMBAなどでは珍しくないが、教育系の大学院課程で教えているところはアメリカの大学院でもそれほど多くない。教育政策系のところだともっとマクロな話になるし、工学寄りだと、教室単位のミクロな話になる。教育システム変革を専門にやっていて、とても優れた研究者であるアリだからこそ教えられる内容のような印象だった。こういうことを学べる環境が日本で普及すれば、総合的学習の時間や情報科目のカリキュラムももっとましに導入できたことだろう。遠足はうちに帰り着くまでが遠足、ではないが、いいアイデアはきちんと導入できるところまで知恵を絞れて、はじめていいアイデアとして活かされる、という考え方を、まずは文化として共有すべきなのではないかなと思った。

3 thoughts on “変化を起こすための学問

  1. いつも参考になる情報ありがとうございます。
    ロジャースのイノベーション普及学は自分も
    Health Communicationの文脈で知り、今丁度
    読んでいます。
    日本語の翻訳(3版)が絶版で、日本では
    あまり知られていないようなのが残念ですが。
    ロジャースは晩年にかなり医療・健康分野に傾倒して
    いたようで、彼や彼の教え子達が発展途上国の
    家族計画やエイズ予防、公衆衛生向上に貢献した
    ようです。
    その際、ラジオドラマやテレビドラマを活用し、
    エンターテイメント・エデュケーション(EE)の
    体系が形作られてきたとのこと。
    (A.Singhal, E.M.Rogers; Entertainment-Educationより)
    さしつかえなければ、参考までにその他の課題図書の
    詳細を教えていただけないでしょうか。
    ご指摘の通り、良いアイデアや研究成果も現場に反映
    され、定着しなければ意味が半減してしまいます。
    公衆衛生や社会啓発だけでなく、医療や医療者教育に
    おいても重要なことと感じています。

  2. Takaさん、コメントありがとうございます。
    ロジャースの翻訳は、昨年日本に帰った時に訪ねた先の大学研究室で目にして、ずいぶん昔に翻訳されていたのだなと知りました。
    リクエストの文献リストについてはそのうちまとめてエントリとして掲載しようと思います。

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