昨夜から明け方近くまでかかって、ようやくオンラインゲーム研究のペーパーを書き終えた。ペーパーと並行して、今日はID理論の授業の最終課題で、デザインコンペ形式のプレゼンがあって、それも無事に終わった。この二つの課題と、先週までかかりっきりだったゲームデザインの授業の作品もよい具合に仕上がった。ここ二週間ほどは、資料の山に囲まれて生活していて、紙束が積まれたベッドの上に倒れこんでそのまま寝るような毎日だったが、ようやくそれも一息ついた。いつもなら途中で妥協して手抜きして、7割くらいの出来で終わるのだけれども、今回は最後まで粘って、持っている力の9割、ほぼ全力を出し切った。きっちりやりきって、今朝ペーパーを出し終えたところで、何かのスイッチが切り替わったようで、自分を取り巻く状況が変わる節目というか、潮目の変化が見えたような一日だった。
朝起きてメールを開くと楽しいお知らせに満ちていた。今朝仕上げたペーパーの内容で出していたプロポーザルが通ったという知らせが来ていて、10月にAECT(全米教育工学会)で発表できることになった。たった今そのネタのペーパーを書き終えたばかりなのに、まるでフライングのようなタイミングでのよい知らせだった。今日のプレゼンは、大手企業の教育部長やインストラクショナルデザイナーたちがジャッジで参加するフォーマルなものだったので、久々にビジネススーツを着て出発。でかいパネルを持ってチャリに乗っていて、通りで車が来たので止まろうと思ったら、若干風があったのでパネルが風を受けて、バランスを崩して横転してしまった。その車に乗っていた爺さんが驚いて止まってこっちを見てるので、大丈夫と手を振ってその爺さんをよく見たら、ペンステートの伝説のヘッドコーチ、ジョーパターノだった。彼がこんなところで現れるというのはありえない話でただただ驚いた。ポカンと口があいてたかもしれない。プレゼン20分前にひっくりこけて、チャリのチェーンが外れて、ズボンのひざが破れて途方にくれているような状況は、とても気の毒な状態のはずなのだが、そんな気分とは程遠かった。それもこの爺さんはこの街では当たりの隠れキャラのような存在で、街でパターノを見かけた人は、みんなコアラのマーチの眉毛のコアラを見つけたときや、棒アイスで500円が当たった時のように喜ぶ。彼の前でこけた自分はさしずめアントニオ猪木に殴られて喜んでいるファンのような状況といえばそれに近いかもしれない。
どうにか遅れずにプレゼンの場にたどり着くと、そこにはもう流れができていた。ジャッジたちとインストラクターのBarbaraが作り上げた学習空間のお膳立てに乗っていいプレゼンをやって、「イノベーション賞」なるものをいただいた。このプレゼンの準備をやってる時は、こんなに課題多くてまだ何かやらせるのかよーとか仲間と文句言い合いながらやっていたのだが、彼女の学びの場の演出も、モチベーショントークも、このイベントがもたらした成果も、学習者のモチベーションを絶妙な具合で読んで課題のボリュームを調整するさじ加減も、すべてがかみ合ったマジックのような見事さだった。彼女の授業を最初に受けた時、この人は魔法でも教えてくれるんじゃないだろうかという気がしたが、ほんとにその期待に応えて、教師が学びの場で起こすマジックを実演して見せてくれたような最終回のセッションだった。
今日という幸運に満ちた一日も、単なるたまたまめぐり合わせのよい日に過ぎないかもしれない。しかし何か自分を取り巻く状況が変わってきていて、自分自身がその変化に対応できるだけの準備ができてきているのだなと感じた。将棋の「歩」が「と」に成った瞬間のような、そんな手ごたえのある一日だった。