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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第56号)

発行日:平成16年8月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 180度の路線転換 −選挙に勝てる生涯学習−

2. 第48回生涯学習フォーラム報告: 地域における子育て支援の方法

3. 教育の臨界点(Critical Point) −「量」が「質」に転換する時−

4. ボランティアの失望

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ

第49回生涯学習フォーラム
【日時】 平成16年9月18日(土)15時−17時、のち夕食会
【場所】 福岡県立社会教育総合センター
【テーマ】 (仮)「高齢者の居場所と生涯学習」
【事例発表者】 交渉中
【参加論文】 (仮)「戦力に成り得る高齢者、戦力外通告の高齢者」(正平 辰男)
フォーラム終了後センター食堂にて「夕食会」(会費約600円)を企画しています。準備の関係上、
事前参加申込みをお願い致します。(担当:朝比奈)092−947−3511まで


 ◆ 11月 「移動フォーラム」 のお知らせ ◆ 
   8月の企画委員会で2004年の移動フォーラム案が決定しました。少し早いですがご予定の中に入れていただきたくお知らせ申し上げます。振るって「孔子の里」佐賀県多久市までお出かけください。

   「文化芸術による創造のまち」フォーラムin多久   
日時  平成16年11月20日(土)13:30−16:30
場所  佐賀県多久市 中央公民館大ホール
次第  総合司会  林口 彰(孔子の里)
13:30  論語朗誦   多久保育園児
13:40  開会  尾形善次郎(教育長)
13:45  主催者あいさつ  横尾 俊彦(市長/実行委員長)
13:50  基調講演  現代に生きる論語(仮)  講師交渉中
14:40  多久市納所小学校児童
15:00  インタビュー・フォーラム;
「いま、なぜ朗誦か?子どもの学力の基本条件」
第1部  基調提案  「朗誦を巡る諸問題(仮)」 三浦清一郎
第2部  登壇者: 横尾 俊彦(市長)、市丸 悦子(中部小学校)、森本 精造(福岡県穂波町教育長)、柿木スミ子(元多久保育園保育士) 
司会:  三浦清一郎
16:30  西山 英徳(多久市文化連盟会長)

連絡先  多久市 財団法人「孔子の里」TEL:0952-75-5112(担当:田島)


編集後記     精神のふるさと

   過日、お招きいただいて何度目かの佐伯の地を踏んだ。大分県南海部郡に隣接する城下町で宮崎県との境目に位置している。束の間の時間であったが、ご案内いただいた武家屋敷通りに立って往事を偲んだ。セミしぐれが降り注ぐ暑い、暑い日であった。保存された屋敷の一軒が明治の文豪国木田独歩の記念館として保存されていた。学芸員であろうか、若い女性職員が懇切に説明してくれたが、汗を滴らせた皆さんに気の毒で、上の空で聞いた。帰りにご好意で一冊の本をいただいたが、多忙の中で鞄の底にしまいこんだまま忘れ果てていた。ところが、先日の台風15号が九州に上陸するというニュースのお陰で再び巡り会うことになった。遠隔地の講演に穴を開けたら一大事である。取るものも取り合えず列車に飛び乗って行けるところまで行った。慌てたので読み物一つ持っていない。その時鞄の底から出て来たのが『豊後の国佐伯』であった。この本には表題の「豊後の国佐伯」を始め、独歩の短編傑作「源おじ」や「春の鳥」なども収録されていた。旅のつれづれに初めから終りまで一気に読んだ。26歳の青年英語教師独歩は乞われて佐伯の鶴谷学館で教鞭を取る。英国の詩人ワーズワースに傾倒していた独歩は佐伯の自然に深く共鳴する。城山はその中心であった。わずか9か月の滞在にもかかわらず佐伯の自然、人情、歴史に触れたひとつひとつの体験は独歩の精神のふるさとになった。独歩は森にふくろうを聞き、番匠川の流れを下り、彷徨う乞食の少年に「世の外に住む人」を見る。「世の外に住む人」という概念は筆者の驚きであった。それは「人であるのか、ないのか」?筆者も、痴呆高齢者の虐待とその人権問題に関して、虐待が起る原因は「この世の外に住む人」の無反応であると論じた事がある。筆者は「人間を止めた人間」と書いた。独歩は白痴の少年にそれを見たのである。これらの観念及び感慨はやがて「源おじ」や「春の鳥」などの傑作に結晶する。私は教科書でならった「空知川の岸辺」しか知らなかったが独歩文学の新しさにあらためて驚いた。また、その根底に異郷の地であった佐伯が独歩の精神のふるさととして機能していることがもうひとつの驚きであった。独歩は毎日のように城山に登った。「佐伯の春まず城山に来たり、夏まず城山に来たり、秋また早く城山に来たり、冬はうど寒き風の音をまず城山の林に聞くなり』と書いている。波乱万丈の一生の中で唯一独歩が自然の中で生活した時間であったろう。人生の不思議を見る思いである。
   筆者にも毎日通う森がある。森には、誰かがはやりのアホな名前を付けたので私が勝手に「カイザーの森」と改名している。カイザーは「皇帝」。我が生涯スポーツの友である小犬のカイザーである。執事の私は毎日「皇帝」のお供をして森へ行く。毎日通っていると風景の変化がよく分る。過日は池のほとりに初めて月見草の花を見た。これから萩が咲く。すすきも穂を出す。うし蛙の野太い声が静寂に響き渡る。いつのまにかひぐらしのセミしぐれがツクツクボウシに変わった。水源涵養の森は思った以上に深い。見かけ以上にのぼり下りも急である。小道に分け入ればほとんど登ってくる人はいない。2年間登り続けて独歩と同じような感慨を持つようになった。『宗像の春まずカイザーの森を桜でちりばめる。初夏はあざみ、盛夏になると森の頂きに百日紅の紅をかかげる。秋また早く月見草で飾る。冬は小道という小道を真っ赤な山茶花の花びらで埋める。』すこしずつ自分の中に森の自然が沈澱して行く気がする。独歩のような物語を書きたいと思う。生涯学習では何にもましてプログラムが大切であるが、自然体験の最終プログラムは自然の中で暮らすことであろう。サラリーマンの職業を離れて初めて精神のふるさとに巡り会った気がする。


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori@anotherway.jp

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