HOME

風の便り

フォーラム論文

編集長略歴

問い合わせ


生涯学習通信

「風の便り」(第56号)

発行日:平成16年8月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 180度の路線転換 −選挙に勝てる生涯学習−

2. 第48回生涯学習フォーラム報告: 地域における子育て支援の方法

3. 教育の臨界点(Critical Point) −「量」が「質」に転換する時−

4. ボランティアの失望

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

ボランティアの失望


◆ 「安上がりの労働力」 ◆
    生涯学習ボランティアが離陸するまでには時間とエネルギーがかかる。通常は、募集から始まって、推薦、発掘、意志確認、研修、登録、そして活用という順序を踏む。人間のことであるから気持ちの高揚した時となんらかの理由で落ち込んだ時とは様々な条件が異なる。筆者は英会話を教えるボランティアである。すでに継続して指導を始めて4年が過ぎた。ボランティアの原理は二つある。「主体性」と「無償制」である。主体性とは、活動は内容/方法ともにすべて「自分が決める」ということである。無償制とは「労働の対価は求めない」ということである。
   筆者のボランティア活動は総じて幸福な時間であった。学習者の向上も、自分自身の向上も、様々な御縁の発展も、予想を越えた人間的な「化学反応」の成果をもたらしたと実感している。しかし、である。ボランティアは単なるサービスの提供でも、一方的な善意の継続でもない。人間社会の他の様々な関係と同じく喜怒哀楽が複雑に織り混ざっている。
ボランティア活動は労働ではないが、労働の機能は果たす。しかも、財政的指標から見れば、「安上がりの労働力」である。筆者も単なる「善意の奉仕者」に留まるわけではない。当然、「安上がりの英会話講師」であることは否定できない。いつも学期の初めに、学習者は率直に私のクラスに来た動機を話してくれる。「市民学習ネットワーク」の英会話は「駅前留学のNOVA」に比べれば遥かに安上がりの英会話クラスなのである。社会がボランティアを評価するのは「善意」だけではない、「安上がりの労働力」であるところが重要なのである。自分ではボランティアの経験もない役人が『ボランティアを使おう』などと言っているのを聞く時、ボランティアの意欲はしぼみ、活動者は失望する。「主体性」の原則には反するが、税金で暮らしている公務員には地域ボランティアヘの参加を義務付けてはどうかというのが筆者の提案である。

◆ ボランティアの義務 ◆
  子どもの指導を無断でサボるボランティアも、約束の時刻に遅刻を繰り返すボランティアも除名すべきである。しかし、である。台風の余波が報じられた時、或いは、お盆が近い時、当方が草臥れた心身を鼓舞して公民館に辿り着いてみると、教室には誰もいない。ぼつぼつ集まって半数にも満たない学習者を前に授業をする。がっかりである。学習者には欠席の自由はあっても、ボランティア指導者には欠席の自由はない。"俺だって忙しいんだ"と思うのは人情である。何であなた方のようなちゃらんぽらんな学習者の指導をしなければならんのか?卒直な感想が沸き上がって来る。"冗談でないよ"と思う。ボランティアの失望が始まるのはこの時である。来年度から「入門」のクラスは落とすことに決めた。最大の理由は、クラスを限定して、集中的に指導して、その成果を見たいということだが、二番目の理由は入門クラスは「移り気」で、「無責任」であるからである。4年間の経験から判断すると、「初級」クラスは熱意も、継続性もある。「初級」に至るまで、ある程度英語を積み上げて来た皆さんは、まだ英会話を始めたばかりの「入門」の皆さんに比べて英語の価値も、指導者の価値もより具体的に分かって下さるような気がする。「理解されること」、「評価されること」、「待たれていること」は、ボランティアで指導している筆者のエネルギー源である。学習者の方は「やすい」受講料のクラスをサボることに苦痛はない。しかし、指導者の方は受講料が高かろうが、安かろうが、「費用弁償」を受けている限り、ボランティアは社会との契約である。契約を一方的に破棄して欠席するわけには行かない。
   筆者は、自分を理解しない相手に向かってひたすら尽くすというような高尚なサービス精神は持ち合わせていない。恐らくそれは筆者に限ったことではあるまい。日本のボランティア底辺が広がらないのが何よりの証拠である。多くのボランティア活動はまことに馬鹿馬鹿しいのである。世間も、行政も、ボランティアに対する「理解」と「評価」と「感謝」の表現方法を知らない。普通の人間は自分の「エネルギー投資」の意味を評価しない状況には耐えられない。「社会的承認」の得られない活動をつづけるのは、聖人か、アホである。筆者は聖人にはなれない。アホにはなりたくない。日本はボランティア「後進国」なのである。未だ「開発途上国」にもなっていない。
 

←前ページ    次ページ→

Copyright (c) 2002, Seiichirou Miura ( kazenotayori@anotherway.jp )

本サイトへのリンクはご自由にどうぞ。論文等の転載についてはこちらからお問い合わせください。