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生涯学習通信

「風の便り」(第41号)

発行日:平成15年5月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 町長さんの問い

2. 教育特区追加構想への三つの感想

3. 追試の不可欠−批判精神の貧困

4. 第22回大会総括   「継続」と「力」−「革新」と「伝統」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

教育特区追加構想への三つの感想

5月20日に政府は追加の特区構想を発表した。教育分野が一番多いと新聞の解説にあった。特区の構想を見ると教育の欠陥と構造改革の意味が見えて来る。

1     「不登校の偽装」再論

不登校児童へのIT指導は不登校の偽装に過ぎない。(岐阜県多治見市及び可児市)

   1年数カ月前、埼玉県S市では「不登校」の子どものところへ教師を個別に派遣するとテレビが大々的に報じた。インタビューに応じた教育長は、「家庭訪問の教育指導」を教育課程の一環として認めると発表した。

   「登校」には、「学修」と「学校という集団生活への適応」という二つの機能がある。「学修」とは、子どもが、「学校教育法」で定められたカリキュラムを履修することである。

   教師による個別の訪問指導は「学修」のみに注目した、「不登校の偽装」である。教師の訪問指導によって、「学修」を認定しても、子どもの不登校は解消していない。訪問指導は、「登校」を省略している。それゆえ、「学校集団への適応」機能を果たしていない。自宅に閉じこもって学習しても、子どもは集団にも、学校という小社会にも適応できない。

   教師による訪問指導は「集団生活への不適応」をそのままにして、「学修」だけを終った事にする。「学修」した事をもって、「登校」した事と置き換えようとしている。それは「不登校の偽装」である。牛肉の偽装は犯罪として断罪されたが、不登校の偽装はまったく問題にしなくていいのか?以上は「風の便り」26号に書いた論旨である。多治見市と可児市の特区構想における不登校児童へのIT指導も不登校の偽装に過ぎないのである。社会への適応が出来ないのに「学修」だけしても子どもは自立しない。下手をすれば「引きこもり」を助長しかねない。分かりきったことではないのか?不登校の根本である欲求不満耐性と行動耐性を高めない限り問題の解決はない。

2   外国人の任用こそが英語教育の本道(埼玉県狭山市)

   外国人の小学校への任用こそ英語教育の基本思想である。投入した時間と資源に比して、学校の英語教育はほとんど成果を上げていない。それは社会にとって巨大な浪費であり、個人にとって巨大な徒労である。浪費と徒労を回避しようとすれば、現行の学校英語を廃止するしか方法はない。

   受験英語は「使える英語」よりは、「英語の知識」を競う。書きはじめると、英語関係者の悪口になるので、結論だけを書く。使えもしない受験英語の「害」を流したのは、大学であり、日本人英語教員である。受験英語が用を為さないのは、コミュニケーションの手段として英語を使えない人、英語をあまり使ったことのない人が指導・作成するからである。外国語は外国語で教えるのがもっとも効率的なのである。第31回フォーラム論文で論じた通りである。外国人は当然日本の教員免許状を持ってはいない。それでも任用を許可する構造改革は偉い!!特区構想はこの一事を実現しただけでもすばらしい。

3   教員給与の町費・市費負担(北海道清水町、徳島県海部町、長野県大桑村、京都市、広島県三次市)

   徳島県海部町では町費負担の先生を「ふるさと教員」と呼ぶという。「ふるさと教員は町の職員なので、町内の異動だけです。その利点を活かして、地域と学校のネットワークを作り、町の人たちと使途がふれあう授業を実現する。これがふるさと教員の仕事なのです。」(cabiネット,時事画報社、no.27, p.17)

   県費で雇おうと町費で雇おうと、問題は教員次第である。ふるさと教員に成れる人もいれば、成れない人もいる。成ろうとしない人さえいる。従って問題は誰が給与を支払うかではない。支払われる給与に対してどのような責任を果たすかである。課された責任を十分に果たさなくても終身雇用のシステムでは解雇することが出来ない。現行法規は一年以上の契約制は認めない。労働基準法の規制こそが問題なのである。問題は明らかであろう。教員給与の町費負担が大事なのではない。「契約制」の導入こそが必要なのである。契約義務の不履行に対して対抗措置がとれるようにすることが不可欠なのである。年限を区切った契約人事を導入し、その評価を実施するだけで、大学も、学校も一変させることができる。「ふるさと教員」などとのんびりした発想を見ると教育の構造改革もまだまだである。校長から全教員まで、学校経営そのものを請け負い、契約する「チャータースクール」の実現を期待しているが、問題は文科省の精神の弾力性であろう。

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