TVドラマ制作の技術力

 質的データ分析の授業で、題材にDesperate Housewives (デスパレート・ハウスワイブス、意味は「堪えきれない主婦たち」という感じ)を見た。このドラマは今一番人気のあるTVドラマの一つで、郊外の住宅地に住む主婦たちの恋愛や不倫や家族問題をちょっとサスペンスっぽく、かつ皮肉な視線で描いたドラマだ。昼にやっているソープオペラの脚本をしっかり書いて夜にやっているようなイメージであり、アメリカの中流家庭の閉塞感あふれる日常を描いた映画「アメリカンビューティ」が醸し出す雰囲気によく似ている。あの映画もそうだったが、見終わった後味が悪いことこの上ないTVドラマである。このドラマを授業で題材に使うという発想もすごいのだが、今日はその話ではなくて、TVドラマについての話。


 日本でも大人気という「24」はこの間シーズン4(だったか)が終了した。途中から何気なく観始めたのだが、面白さに引き込まれて最終回まで目を離せずに観た。米政府組織とテロリストとの対決の話だが、よくこんな話が書けるなと感心させられる。ネタばれになるので書かないが、日本でもまた大人気は間違いない。同じく日本でもやってるウェストウィング (ザ・ホワイトハウス)も、ちょっと前にシーズン終了した。次の大統領選を控えての話で毎回質が高かった。法廷ものドラマのザ・プラクティスの続編「ボストン・リーガル」は、シリアスなネタが多かった前作に比べて、かなり軽いタッチにしつつも深さは維持している。これもシーズンが終わって今はやってないのだが、私の一番のお気に入りである。「ER」は、難しい医療用語がとびかって、英語だと大変疲れるので最近は見てないが、たまに見ると面白い。他にも今シーズンは二つ医療もののドラマが新しく始まったのと、定番のサスペンス劇場みたいなやつが幾つもやっているのだが、いくらテレビ好きでも残念ながらそういうのをいちいち見ているほどは暇ではない。
 キー局の目玉として投入されるドラマは、おしなべて質が高い。脚本や演出のレベルは日本のドラマに比べて格段に高いといっても差し支えないと思う。日本にいる時にほんとに面白いなと思ったのは、三谷幸喜のドラマ(「王様のレストラン」とか)など、わずかしか記憶にない。継続的に質の高い番組を投入できるということは、ドラマ制作の人材のレベルが高く、層が厚いということに他ならないのだろうし、予算のかけ方も違うのだろう。
 政治ものでも恋愛ものでも、ドラマ制作の技術の高さが光っていて、それが良くも悪くも社会に影響を与える。政治ものや法廷ものドラマでは、その技術の高さがプラスに働いていて、深いテーマを視聴者に考えさせる方に機能していて、これは望ましい。デスパレート・ハウスワイブスのようなドラマにおいても、その技術の高さは活きていて、テンポよく一時間視聴者をひきつけ続ける仕上がりは見事なのだが、この内容に人をひきつけることは果たして社会的にどうなのかという気がしている。高い技術で描かれているのは、日常に潜む不誠実さや騙し合い、自己中心的な欲望である。このような邪悪な内容を娯楽として多くの人が観るというのは、下手なバイオレンスものよりもよほど社会的に害があるという気がするのだが、ブッシュ大統領の娘を筆頭に、アメリカの女性たちはこのドラマが大好きである。そこここで起こっているリアルな日常と、そこに生きる人々の心理をうまく投影しているから視聴者をひきつけているのだ、ということは言えるのかも知れないが、それにしてもこういう醜い日常を再生産して娯楽にして観る必要はないんじゃないかという気はする。
 アメリカのTV業界は、その高い技術で社会的によい影響を与える作品を作っているのと同時に、社会に悪影響をもたらすおそれのある作品も世に送り出している。デスパレート・ハウスワイブスを観て、娯楽の顔をした教育的な番組を作る技術で、使う方向を変えれば、娯楽の顔をした非教育的な番組も高品質で作ることができるのだなということを考えさせられた。

TVドラマ制作の技術力」への5件のフィードバック

  1. 高い制作力も「使いよう」、という話はとても納得します。
    が、何をもって「悪影響」「良い影響」とするかは、
    難しい話かなあとも思います。娯楽という側面を求め
    られることの多いテレビには「邪悪な」「下世話な」
    内容もきっと期待されているから、です。
    (むしろ「人の不幸やヘマを見下して溜飲を下げる」
    という癒し(?)効果もふんだんに制作に活用されて
    いますし、確実に数字をとります)
    今のテレビ業界の利益生産構造は、「視聴者に受ける
    ものが良い商品(番組)」、という仕組みを作りやすい
    構造です。
    その「論理」に打ち勝つ強さをもった「善悪議論」は、
    研究者や教育者の立場からはなかなか生じないように
    思います。社会現象にでもならない限り、一部の
    批判は日常茶飯で、番組のあり方を変えるには非力
    だからです。これを仮に「批判型」のアプローチ
    とします。
    より簡単なのはスポンサーである企業の側や
    (特に日本では)広告代理店の影響力を駆使すること
    でしょうか。
    批判型ではない方法で、テレビドラマの効果を
    健康増進や疾病予防の点から活用しようという試みが、
    USCのHollywood, Health & Society
    http://www.learcenter.org/html/projects/?cm=hhs
    で行っているような事業です。
    乱暴に言うと「擦り寄り型」とでも表現できる
    でしょうか。専門家が病気や医療の専門的な
    アドバイスをテレビ制作者に無料で行い、ポピュラーな
    テレビドラマに重要な健康や医療に関するメッセージ
    を盛り込んでもらう、というものです。
    テレビ屋さんの利益と、公衆衛生や予防医学の専門家
    の利益(彼らが公益と信じる概念や行動)のwin-winを
    作り出している試みと言えるでしょう。
    (「24」サードシーズンのバイオテロのネタも
    この機関とここのスポンサーであるCDC米国疾病管理
    予防センターが関与・協力しています)
    日本で医療・健康業界とテレビ業界の関係について
    考えたり調査してきた感覚で言うと、日本では
    このようにテレビ屋さんが専門家と円滑な
    コミュニケーションを育む素地が不足しています。
    特にドラマでは。
    テレビ屋さんは日々の製作と視聴率競争に躍起で、
    ほぼ自分達の都合優先です(シナリオ上やキャストの
    都合)。
    専門家である医療関係者も(当然ですが)テレビ屋さん
    の事情やドラマ作りの文法や常識を全く理解して
    いませんし、本気で良いテレビ番組を作るのに
    協力しようとはしていません(ミーハーな
    動機か、忙しい中を上司に無理やり頼まれて、という
    パターンなのでテレビ屋さんの態度にすぐ嫌気がさして
    投げ出してしまうか建設的な関係を築くことを
    あきらめる)。
    双方の行動規範・目的・知識量・考え方などの
    ギャップがはっきりしているからこそ、ブリッジする
    意義や効果が明確になると思っているのですが。
    NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組では
    こういったギャップはより少なく円滑な
    コミュニケーションが図りやすくなります。
    (が、「ドラマや娯楽番組しか見ない」という人に
    メッセージを届かせたい場合、NHKスペシャルでは
    リーチが足りない、ということになります)
    今のところ自分は「批判型」ではなく、「擦り寄り型」
    のノウハウと現状についてUSCで学びたいと思っています。
    テレビ業界の構造を変えることは当面不可能と思います
    し、その方が具体的なアクションに結びつきやすいと
    今は考えているからです(本当かどうかは知りませんが)。
    散漫な文章かつ長文になってしまい、失礼しました。

  2. Takaさん、ずいぶん熱の入ったコメントをありがとうございます。
    いちコメントとして眠らせておくには惜しいような情報なので、早くご自身のブログを立ち上げられて、トラックバックいただくとかした方がよいかもしれないですね。
    >が、何をもって「悪影響」「良い影響」とするかは、難しい話かなあとも思います。
    おっしゃるとおり、これは主観の話なので、客観的な切り分けは困難だと思います。あくまで作り手や研究者側の主観的な思い入れやモラルの基準であって、私のいう影響というのも個人的な尺度でしかありません。
    >(むしろ「人の不幸やヘマを見下して溜飲を下げる」
    >という癒し(?)効果もふんだんに制作に活用されて
    >いますし、確実に数字をとります)
    これはそうなんですが、そのように考える人があまりに多いと思いませんか?もっと理想とする社会像や社会を良く変えたいという思い入れをもった作り手がもっといた方がバランスが取れると私は思います。また、下世話な番組は、高い技術を擁しなくても数字は取れますから、わざわざすごいものを作らなくてもよいだろうと個人的に思っています。
    世の中で悪影響があるとされるのは、表面的にグロな表現や露骨な性的描写があるもので、それらは有害図書に指定されたり、R指定になったりします。しかしそうした表面的なことよりも、デスパレートハウスワイブスが持つような、平凡な人間が持つ悪意に支配された閉塞的な社会を、視聴者にリアルさを持つ世界観として刷り込んでしまう影響力の方がよほど害があるだろうな、というのが私のこのドラマを見た感想です。
    それから、あげられている医療関係者と番組制作者のかみ合わなさというのは、産学連携のような異種の人々が連携する活動においてはよく見られることです。テーマが違ってもおおかた似たような構造で問題が生じています。幸か不幸かそうした問題に私も多く関わってきたので、その経験から申し上げると、おれは何屋でお前は何屋だ、とプロジェクト内で切り分けてやっているうちはうまく行かないと思います。同じ業界でも文化の差であっちだこっちだと分かれるし、同じ企業でもあいつは営業屋で、おれ人事屋だと、この発想はどこまででも細分化していきます。この排他的な発想から離れて、チームとしての文化を形成できるかが鍵だと思います。
    ところで、この議論で興味があるのは、マンガ「ブラックジャックによろしく」がTakaさんのおっしゃるところに何型に近いのか、うまくいっている例なのかというところです。どうなんでしょう?

  3. お返事が遅くなり失礼ました。
    ブログはやりたいと思っており、現在準備中です。
    夏中にははじめたいと思ってます。
    ご指摘ありがとうございます。
    さて、最後のご質問からわかる範囲でお答えすると、
    「ブラックジャックによろしく」は形態として
    は講談社と作者の佐藤秀峰さんが企画・制作
    したものですからあくまで医療専門家やアウトリーチ
    活動の視点から見た分類としては、どちらでもない
    ですね。
    ただ、個々のエピソードはアドバイザーとしてついた
    医師の個性が強く発揮されていることが推測可能なので
    (特に心臓病編・小児科編・小児ICU編など)
    そういう意味では彼らアドバイザーの評価を
    聞き、読者への影響を評価しないと、アウトリーチ
    活動という側面での本当の評価はわからないですね。
    (専門家は不満でも一般の読者への教育効果はある
    評価尺度では非常に高い、という場合もありえるので)
    僕個人の感覚では現在の精神科編以外は非常に
    よく出来ていると思いますし、一医療者としても
    日常的なことをうまく切り取った、という感が
    あります。精神科医編はダメ、ということではなくて
    現在進行形なので。
    斉藤先生のキャラへの評価(医学生の間では低い印象
    があります)はさておき、
    現在の(第3次?)医療漫画ブームを起こしたという
    点では評価が高いと思います。藤本さんの評価は
    いかがでしょう?
    「擦り寄り型」を発動しなくても勝手に市場原理
    や制作者の興味でこのような作品が生まれることは
    喜ぶべきことだと考えます。問題は、こういう良い
    材料を医療医学内部の人間が活用しきれない(教材と
    して活用するにせよ、患者とのコミュニケーション
    ツールに使うにせよ)ことかなと思います。
    細部の誇張やずれはそういう場で修正すれば
    いいことであり、マスメディアにできる限界を
    きちんと現場の人間がわかっていることが重要かなと。
    僕は短大の講義(医療秘書コース)で教材として
    使ったことがありますが使い方によっては
    大変有効な素材だと思いました。
    医療関係者と番組制作者のかみ合わなさに
    関しては全く仰るとおりだと思います。
    チームとしての関係や文化が育めればそれは
    双方にとって幸せな出会いになるのでしょうね。
    インタビュー調査した事例(NHK番組)でそのような
    例がありました。
    Desperate Wivesはまだ見れていない
    のできちんとした議論ができなくて恐縮ですが、
    自分の考えの整理も兼ねて以下、簡単に書かせて
    いただきます。毎度長くてすいません。
    (かつずうすうしくてすいません)
    医療現場と映画作りから今の研究領域に興味をもった
    自分としては、ドラマや映画自体にご指摘のレベルで
    一定の枠を期待するのは難しいと思っていますし、
    その点について考えることはあまりありませんでした。
    (人間の闇を描いて、それが結果的に光を明確にする
    場合もありますが、ここではそういう話ではないですね。)
    単純な理由は、多分それはドラマ(orメディア)自体の
    可能性を制限することだと思うからです。
    また、ご指摘のような理想や理念をもったテレビ・
    映画の作り手は(知り合いを含め)日米関わらず
    実際にはかなりいると思っています。
    問題は彼らがやりたいようには
    やりにくい現実があること(数字がとれないと商品:
    番組になりにくい・まじめで教育的で社会をよく
    する番組なのに、視聴者があまり興味を示してくれない
    ・非常にいい番組なのに本来見て欲しい視聴者層に
    届かない、などの現実)かなと考えています。
    でもそれを乗り越えて作品を出していくのが彼らの
    プロとしての仕事なのだとも思いますし、実際
    そういう仕事を実現している人は多くいるわけ
    ですから、言い訳にはできないのですが。
    上記のような点は、イノベーション普及学の観点から
    は問題解決の方法がありそうに思えますが
    (ソーシャル・マーケティングの不足という意味で)、
    現状は、日本のNHKとかでも結構ずれたことを
    やってますし(よくできたエデュテイメントを総合
    ではなく教育テレビで深夜にやったり)、今後に期待
    というか、改善の余地は多々あるように思います。
    「医療・健康」という特定分野の知識に関しては
    情報普及をする倫理というか意義を実感できるので
    その営みに参加したい、というのが自分の立場です。
    前コメントで紹介した組織がやっているのは
    「枠を作ること」ではなく、ドラマに自然な形で
    一般市民が知っておいた方が良いと思われる
    (専門家が判断し、テレビ側も了承した)情報を
    より正確に妥当に入れ込む、というものです。
    当然双方の利害や感覚が一致しないと実現しない
    わけで、悪く言えば妥協、良く言えば
    「チームとしての協調」がないと動かないことだと
    思います。
    お答えになっていない部分が多々あるように思います
    が、現時点で自分がわかることはこんな感じです。
    Desperate Wives見ておきますね。
    お返事いただきありがとうございました。
    今後ともよろしくお願いします。
    Taka

  4. Takaさん再度コメントありがとうございました。
    マンガと教育については、書き出すと長くなるのでまた別エントリーにしたいと思います。私は学校よりもマンガに学ぶことが多かったというくらいに相当にマンガ支持者です。
    医療分野だけでなく、さまざまな分野においてTakaさんのように分野間の関係作りに着目される方がもっとでてきたらよいなと思います。私の仕事はある種そのようなポジションで活動される方を支援することでもありますので、何かお役に立てるようにやっていきたいと思います。

  5. お返事感謝します。
    私も同じく漫画に様々な恩恵を受けたくちです。
    漫画好きで今だに読んでいます。
    是非お会いできる機会がありましたら
    漫画談義したいですね。
    Taka

コメントは停止中です。