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生涯学習通信

「風の便り」(第91号)

発行日:平成19年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. ふたたび朗唱発表会を見た!−新たな教育実践を始めるにあたって−

2. ふたたび朗唱発表会を見た!−新たな教育実践を始めるにあたって− (続き)

3. 「祭り」の思想を発明する-佐賀市立勧興公民館のまちづくり実験-

4. 熟年トレーニングの処方と評価

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

「祭り」の思想を発明する
-佐賀市立勧興公民館のまちづくり実験-

1  「人も歩けば人に当たる」

  移動フォーラムの魅力を発見し続けています。これまでの福岡フオーラムも決して手を抜いた訳ではなく、主観的には一生懸命やって来たのですが、外の方々を「お訪ねすること」と「お迎えすること」では緊張感が全く異なることに気がつきました。当方の心理的・物理的「負担感」も違います。お待ちして、お迎えする事にも努力は必要なのですが、知らない方々の中に飛び込んで行く事には全く違った新鮮味と緊張があります。移動の手間も費用もかけなければなりません。
  「犬も歩けば棒に当たる」ですが、移動フォーラムでは「人も歩けば人に当たる」」です。かつての武者修行も学問の修業も人を訪ねた旅が始まりでした。学ぶために「移動する」ということ自体が「学習の心構え」を作り出すということにも気づきました。
  「受け身」は確かに楽なのですが、待っているだけでは人間のアンテナの感度も、活力も低下する事を実感しました。7/11は「移動フォーラムin佐賀」でした。会場は佐賀市立図書館でした。会場は大分や福岡から駆けつけてくださった人々を加えて満杯でした。交流会も盛会でした。紙上をお借りしてお世話いただいた佐賀市生涯学習課や公民館連合会のみなさん、県教委の関 弘紹さんに厚くお礼申し上げます。

2  陳腐化した公民館祭り

  公民館は若い人々に人気がありません。何時も常連の方々が出入りして,「客層」は固定化しています。一方、多くの若者は公民館の存在すら実感していません。また、九州共立大の永渕準教授が指摘したように学習意欲の高い30代の女性などはさまざまな自分のための教育投資をしていながら、まず公民館には行かないというのです。(市民の参画と地域活力の創造、学文社、2006、p.55)現状の公民館は、変革を怠り、学習意欲の高い女性にとっても、若者にとっても、生涯学習が持ち得る筈の新鮮味も、魅力も、出番も造り得ていないからでしょう。筆者自身正直なところ、自分の職業に関連があるところは別として、自身が近年の公民館祭りの見学に行くなどという事は考えられません。要するに祭り:発表会に魅力が無いのです。
  こうした現状を意識されたに違いありませんが,勧興公民館の秋山千潮館長さんはまちづくりの視点から「祭り」の思想を一変させたのです。まずは公民館が学習の発表会ではなく、まちづくりの「祭り」の拠点になり得るという発想が斬新でした。公民館に「祭り」の機能を付加することによって秋山さんは公民館そのものを変えつつあるのです。現代はメディアがエンターテインメントを提供し,多くの企業はパンとサーカスの提供を商売にするようになりました。娯楽の少なかった時代に発明された従来の祭りは、変革に成功した少数の例外を除いてすでに人々を引きつけることはないのです。まして「常連さん」が独占し、いわゆる趣味とお稽古ごとの成果を発表するだけになった公民館祭りは完全に陳腐化したのです。それゆえ,集まってくるのは身内とお義理の知り合いだけになるのです。かくしてコミュニティから祭りの興奮が消滅し,公民館文化祭はほぼその役割の終りを告げたのです。

3  「祭り」の思想を発明する

  まちに人の流れを呼び戻し,公民館を「祭り」の拠点とする事は、新しい「提案」で,新しい「発明」です。公民館がメディアや企業が満たしていない人々の興味と関心を掘り起こし,市民の出番を作るということを意味しています。勧興公民館がやった事はまさに新しい「祭り」の思想を発明したということでしょう。
  いつの時代も祭りの魅力は「出し物」にあり,「露天」にあり,「にぎわい」にあり、「非日常性」にあります。「出し物」も「露天」も祭りの不可欠の要素ですが,いつもの人々がいつものようにやったのではすでに新味がないのです。「出し物」も「露天」も企業化し,日常化し、今やどこにでもあるのです。公民館そのものが新味をもたない時に、すでに日常化し,陳腐化した「出し物」や「露天」だけではもはや人々を引きつける力はないのです。となれば、カギは「非日常性」だということになるでしょう。しかも、公民館を拠点とする以上,そこには生涯学習に絡んだ発想が不可欠です。「出し物」も「露天」も従来の発想を捨てなければ,新しい顧客の獲得は出来ないのです。その新しい顧客こそがこれまで公民館に関わりを持たなかった人々でした。

4  まちの駅

  勧興公民館は「地域委託」の公民館です。「地域委託」というのは、通常、"丸投げ委託"になって,地域エゴや団体エゴの調整がつかず,運営の発想も素人の域を出ないので,最悪の「指定管理」の事例になりがちです。しかし、秋山館長は地域委託のマイナス要因を逆手に取った作戦に出ました。自治会が有する地域活動費を予算の源泉とし,地域ボランティアの協力を作り出し,「委託されたという条件」を最大限に生かしたのです。
  まずは「まちの駅」の看板を上げました。まちの駅のサインは四角の中に「人」という文字が3つ入って、その真ん中に情報を表す英語の「i」をかかげたものです。要は、人と情報が中心である、ということです。
  まちの駅ですからトイレと休憩場所を開放し,地域の情報を集めて「町の案内人」になろうとしているのです。公民館のある場所は、かつては市の中心に位置し,活気とにぎわいがあったそうですが、今やにぎわいは過去形になりました。にぎわいを取り戻すためには、人の流れを呼び戻す「しかけ」が必要になります。「しかけ」を成功させるためにはこれまでとは違った形・内容の「発表の場」が必要であり,「参加の場」が不可欠であり,人々を引きつける祭りの祭りの要素を発明しなければなりません。以下は発表をお聞きし、資料を拝見した範囲で筆者が分析した「勧興公民館の挑戦」です。

(1) 第1は茶屋です

  公民館に「唐人茶屋」を併設しました。全国でも「初」ということです。市民のおもてなしが出来るようになったということでしょう。筆者も若い頃から公民館と喫茶店の併設を主張してきましたが、ようやく教育行政の硬い壁が壊れて実行してくださるところがでて来たのです。

(2) 第2は毎月第2土曜日を「祭り」と決めました。

  祭りの条件は気兼ねなく誰もが参加できること,祭りを通して交流の輪を創造すること、茶屋を生かし,夜市を活用し,人々に地域づくりと生き甲斐づくりの機会を提供することです。生涯学習の発想でいろいろな祭りを演出できる機会を準備したのです。定例の「祭り」は実験の蓄積を可能にしました。

(3) 第3に「夜市」は住民の主催です。

   公民館は祭りに不可欠な「土曜夜市」も作りました。市は意欲のある人々にまかされたそうです。場所代はおとりになったのですか、とお聞きしたら、場所代は「ただ」です、とのことでした。「あがり」は主催者に行きますからみなさんさぞ張り切られたことでしょう。

(4) 第4にはこれまで公民館に足の遠かった人々の招待に乗り出しました。

  たとえば、若い高校の「ストリート・ミュ?ジシャン」に声をかけて舞台に出てもらいました。「高校生ライブ」です。当然,「類は友を呼ぶ」ものですから,彼らの仲間も,彼らの「彼女達」も集まって来たそうです。「彼女達」が腕をふるった「焼きそば」の屋台は人気抜群だったそうで、売上金は彼らの収入にしてやったそうです。そうなれば「焼きそば売り」のかけ声も気合いが入るというものです。
"路上の迷惑もの"(関係者のコメント)が父親から司会の支援を受け、舞台に立ってやんやの喝采を浴びた時、自分たちの誇りを取り戻したことでしょう。
参会者がフィナーレの「千の風になって」の大合唱で祭りの幕を閉じた時,彼らは新しい自分の居場所を見つけたことでしょう。
  また、もう一つの事例は、保健室登校の中学生を誘い出して、祭りの役割を担ってもらったそうです。彼らは子どもの遊び相手や世話から「お楽しみくじ」の管理までを見事にやってのけ、彼ら自身も生き生きと楽しんでいたということです。今までは彼らの居場所も、活躍の舞台もなかったのですね!のちに校長先生からお礼のごあいさつをいただいたと公民館関係者は喜んでいました。当然でしょう。現在の学校カウンセリングでは彼らを社会参画まで導くことはほぼ不可能だからです。
  さらに珍しいところでは「男たちのカレー対決」なる男女共同参画がらみの企画も実行されました。「昔遊び」、「そばづくり」、「100円コーヒー喫茶店」などと並んで「カレー味自慢大会」は材料費2千円で男達が料理の腕を競い、人気投票をするというものです。試食15分で完食と報告されました。
公民館の営業活動は「一人暮らし」のお年寄りにも重点的に向けられました。声のかかったお年寄りが「祭り」の裏方を努めて元気を取り戻したというエピソードを現地の新聞が伝えています。

(5) 第5は「祭り」がコミュニティの危機をわすれていないということです。

  公民館を使って危機管理の演習が実行されました。炊き出しの訓練で大型ガス釜の使い方の練習をし、テントの設営訓練を行い、実際におにぎりも作って試食したそうです。あらゆる手を使って「コミュニティ」を結ぶことを考えているのです。

  かつて全公連(全国公民館連合会)のスローガンは「集う、学ぶ、結ぶ」でした。しかし、今や明らかに、「集う、学ぶ」だけでは人々にアピールせず、多くの公民館は立ち行かず、本来の任務を果たし得ないのです。勧興公民館は「結ぶ」を最終目的に、新しい公民館の「祭り」の思想を発明し、住民のエネルギーを組織化して実行したのです。秋山館長さんには佐賀県の実行委員を通して、来年の第27回中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会に発表をお願いすることになるでしょうと予告を申し上げて佐賀を後にしました。
 


 

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