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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第91号)

発行日:平成19年7月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. ふたたび朗唱発表会を見た!−新たな教育実践を始めるにあたって−

2. ふたたび朗唱発表会を見た!−新たな教育実践を始めるにあたって− (続き)

3. 「祭り」の思想を発明する-佐賀市立勧興公民館のまちづくり実験-

4. 熟年トレーニングの処方と評価

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

5  拍手は「機能快」、「褒め言葉」は「社会的承認」です

  「できないこと」が「できるようになる」ことは人間にとって快感です。走る事の好きな子どもが速く走るのも、文字が読めるようになった子どもが音読するのも、機能を発揮する事自体が人間にとって喜びです。縄跳びも,木登りも,国語の試験も,掃除に対する褒め言葉も,「出来るようになったこと」に自分も驚き、他者の喝采を浴びることはさらに快感です。
  それゆえ,発表会において、朗唱の「質」と「量」を高めて、子どもが参会者の拍手を浴びる事は「機能快」であり、特記すべき「社会的承認」の場面なのです。人前にたって他者の評価を受ける時の子どもの身体にはアドレナリンやエンドルフィンが分泌されています。これらのホルモンは「火事場力」のもとであり、快感のもとになります。

6  「聞こえない台詞」は台詞ではなく、見えない「背景画」は背景にはなりません

  いつもの事ですが子どもの発表会の見聞の際、筆者は会場の一番後ろまで行きます。そこまで聞こえない朗唱は朗唱ではなく、聞こえない台詞は台詞ではないのです。トレーニングが終った段階で、子ども達の声が会場の後ろまで届かないような場合には,舞台に拘る必要は無いのです。観客の間を割って,低学年はフロアにおろし,上学年を舞台に配置して、彼らの声や演技が保護者・参会者のところへきちんと届く事を最優先すべきです。
  それは司会を担当する子どもについても同じです。とくに単独司会者にはマイクを準備したり,事前のシナリオを確認しておく事が大事です。
  今回子どもは朗唱の背景を説明するため画用紙に描いた「絵」を示しながら演じましたが、舞台から少し離れると使用した画用紙の大きさでは色だけが見えて,描かれたものはほとんど見えません。絵と朗唱を連動させることが指導上大事であったとしても、発表会において客席から見えないものを使ったり,提示したりする事はほとんど意味がないのです。

7  校長先生は「えらい」のです

  儀式は英語でセレモニーです。英和辞典によるとセレモニーとは、「重要な社会的場面における伝統的に受け継がれた行動の型」である、とあります。発表会は学校の重要な社会的場面であることは疑いないでしょう。それゆえ、発表会は表現の成果を問う舞台ですが,同時に学校社会のセレモニーでもあります。結婚式やお葬式と同じセレモニーです。セレモニーは「表現」が行われる社会的「重要性」や「背景」を表す点で発表内容に劣らず重要です。
  登場者への拍手は演技や表現に対する評価と賛同を表しています。逆に,登場者の観客へのあいさつは発表を鑑賞していただくことへの感謝を伝えます。セレモニーが折り目正しく行われることは、集団の規範が守られていることを象徴しています。あいさつの順序や、あいさつ者に対する儀礼は組織の秩序を表しています。
 このセレモニーを指揮する担当者は、日本語で「司会者」、英語で「マスター・オブ・セレモニー」と呼ばれます。両方とも「儀式を統括する」という意味です。セレモニーもまた「会のもち方」の「型」なのです。筆者は教育の現場は教師が中心でなければならない」という主張をしていますが,セレモニーこそそのことを参会者に知らせる重要な場面です。拍手を浴びる中心は子どもで良いのですが,学校の発表会を統括する中心人物は校長先生です。校長先生に対する「起立の礼」や「お礼の言葉」が大事なのはこれらの儀式を通して参会者全員が「リーダー・指揮者」の存在と位置づけを確認することになるからです。まとめのご挨拶に立った校長先生に対して敬意の儀礼も謹聴の指示もなかったことは教師集団の不覚と言わなければなりません。

8  学校規模が小さいから出来る事

  発表会を行った学校は小規模校でした。「少人数学級」の利点は巧まずして実現しています。「一人一人に目が届く」状況は日常にあります。教員の数も少ないので団結や連帯も大人数の集団よりは比較相対的に容易なことでしょう。縦集団の練習も,発表会も,大規模校では不可能ですが,小規模校だからこそ可能になります。家庭訪問から学級通信まで保護者とのコミュニケーションも物理的には相対的に簡単です。私的な家庭教育が,地域や特定組織の集団教育に組織化され、最終的に、現在の公教育に制度化されて来たプロセスを考えれば,教育の原点は小集団教育です。保護者と教師集団と地域の人々の連携が可能なのも小規模校であることは容易に想像ができるでしょう。
  小規模校で関係者の連携ができなければ,大規模校では到底不可能でしょう。小規模校で縦割り集団の教育が可能でなければ大規模校では考えることもできないでしょう。小規模校で共通の教育目標に向って教師集団が団結し,意志と行動を一致させることができなければ、大規模校では教育はできないということになるでしょう。


 

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