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生涯学習通信

「風の便り」(第75号)

発行日:平成18年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 拝啓 少子化担当国務大臣 猪口邦子 殿

2. A小学校への提案−「一石数鳥」、DOG YEARの生涯学習

3. 「情緒的貧困化」−熟年期の社交と交流の創造−

4. 第65回生涯学習フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

A小学校への提案−「一石数鳥」
−「学力向上」と「子育て支援」の組み合わせ−

  非公式ながら教育事務所を通して小学校の学力向上の取り組みを応援してもらいたい旨の相談があった。恐らく現在の学校は筆者の提案は飲むまい。筆者の提案はこれまでの彼らの努力の全否定に繋がると受取られるからである。しかし、ダメで元々、いつかは分る時が来るであろう。
  学校は結果を出せていない。結果が出ていない以上、事実は頑固である。戦後教育は子どもの指導法を間違えたのである。以下は筆者の想像?創造プランである。山口県のスローガンに倣って「一石数鳥」のプログラムである。生涯学習はDog-Yearのスピードで変わっている。分野によっては1年の変化が通常の変化の5年にも時には7年にも当る。生涯学習のDog-Yearは少子高齢化の行き詰まりによって到来した。提案は「学力向上」と「子育て支援」の組み合わせである。今や子どもの学力は家庭や地域の発達環境の充実抜きには達成できない。学校の学力向上の努力が子育て支援と結びつく必然性がそこにある。家庭の教育力も地域のそれもまさにどん底に近いからである。

(1)  戦後教育の指導原理は間違いである

  学校は努力を続けても結果は出ていない。それが方法論の誤りの何よりの証拠である。筆者には長崎県壱岐市霞翠小学校での3年間の「学力」向上と「タフな子ども」を組み合わせた共同実践の経験がある。現状に於ては「過激」と言わざるを得ない筆者の提案を受け入れて、同小学校は先生方の抜群のチームワークと実践によって著しい効果を上げた。指導方法を根本から変えたからである。霞翠小の子どもは、学力も体力も表現力も小社会人としての礼節も、恐らくは人間としての基礎を見事に確立した。この過程は先生方によって記録され、分析され、多くの見学者によって確認されている。指導原理は「半人前の主体性」は半分しか認めないことであり、「型」の修得と体力と耐性の鍛練に重点を置くことである。霞翠小の教師集団はこの提案を理解し、団結し、指導方法を一貫して守り通した。方法さえ誤らなければ、現状の教育条件の中で学力の向上は困難な課題では決してない。学力向上の解決要因は学力指導の外にある。まずは学力の基礎を成す体力と耐性の育成が先決である。次に親や教師や大人一般に対するに対する礼節や総合的なEQ(感情値?人間関係能力)の育成である。
  学力指導は学校の専門だが、学力以外は家庭や地域と共同で育てなければ育たない。事実現代の子どもは「へなへな」で社会生活の予行演習は極めて不十分である。したがって、礼節を知らず、体験は各種欠損し、欠損した分だけ発達はいびつでかつ遅れている。本気で小学校が学力の回復/向上を目指すのであれば、家庭や地域と協働した総合的プログラムを実施するしかない。必然的に協働の総合プログラムは子育て支援を含み、家庭教育支援を含まざるを得ない。教育事務所は文科省の補助金を受けて家庭教育支援の看板の下に各種事業を行ってきた。しかし、成果は上がっていない。事業計画を支援する会議の会長は筆者が務めている。情けないことであるが、金をどぶに捨てるように事業に毎年無駄な金を使っている。学校を始め家庭も地域も子どもの指導法を間違っているのに通常のやり方で家庭教育を正すことなどできるはずはない。一般論として甘やかしの「抑止力」を失った「子宝の風土」の家庭に教育の基本が分る訳はない。家庭教育を正そうとすれば、現在の「へなへな」を「一人前」にしてみせるしか有効な説得力はない。教育事務所では担当の先生がかすかにこのことを理解してくれてA小学校の話が舞い込んだのであろう。

(2)  教員のフレックスタイム制はとれるか!?

  A小学校では学校主導型「学力向上?子育て・家庭教育支援」のプログラムを実施したい。悠長な方法では時間がないからである。筆者に時間がなく、社会に時間がない。学校が子育て支援、家庭教育支援まで視野に入れた学力指導をやろうとすれば、教員のフレックスタイム制が不可欠の条件である。なぜなら「補習」も「子育て支援」もまともにやろうとすれば、通常の勤務時間をこえるからである。しかし、実行すれば、日本初の試みであり、「学力保障」の意味も、「加配」教員の意味も初めて明かになる。教育もまた他の分野と同じく「結果」が勝負だからである。
  学校の最終目標は「学力の向上」である。しかし、そのためには学力の基礎となる「見えない学力」を固めなければならない。「見えない学力」を構成するのが体力と耐性と体験の豊かさである。従って見えない学力は学校だけでは形成に時間とエネルギーがかかり過ぎる。家庭および地域との連携が不可欠である。学力向上運動が子育て支援・家庭教育支援の課題に繋がるのはそのためである。言葉を飾らずに言えば、すでに家庭に教育力はない。地域の教育力もない。頑張っている人々もいるが惜しむらくは指導方法が間違っているのでほとんどのプログラムにおいて効果は上がっていない。指導方法のモデルはすでに霞翠小で示し、「豊津寺子屋」で示している。問題は学校が学力向上と絡めて子育て支援まで踏み込むか!?である。

(3)  学校が終ったら「寺子屋」になる

  筆者は学校と「寺子屋」の機能を大雑把に区別している。学校は教科教育の専門機関で、寺子屋は社会生活の予行演習機関である。放課後と休暇中は学校が学校中心の子育て支援プログラムを実施し、地域の方々の加勢を得て教員がコ?ディネ?タ?を務める。これが出来たら学力は必ず上がる。
  学校が本気になれば教員のコーディネーターは最適である。なぜなら、子育て支援の活動拠点は学校施設である。学校が主導すれば文科省の外郭団体である「学校安全会」の保険の適用が受けられる。「子宝」の風土において学校は巧まずして住民の信頼を得ている。学校が噛んだプログラムは保護者の信頼と安心感が増幅するのである。プログラムのモデルはすでに「穂波」や「豊津」にある。これらのモデルに従うとすれば、午後6時までの「保教育」が働く女性のための応援スケジュールである。"大抵6時までは誰かが残っているのですよ。"と教育事務所の先生はおっしゃる。だったら担任を持たないいわゆる「加配教員」を中心としてフレックスタイムの時差出勤を工夫すれば、放課後の学力補習授業ですら可能になる。地域の熟年指導者の加勢を加えれば「寺子屋」プログラムは鬼に金棒であろう。
  学校が男女共同参画施策に協力した例はない。学校が子育て支援に協力した例も寡聞にして少ない。学校の時差出勤制も稀であろう。放課後や休暇中に学習進度の遅い子どもの補習をしてやれば、「加配教員」の意味が誰にでも分る。まして子育て支援まで協力すれば無駄だと思う人はいなくなるであろう。

(4)  活動の中身は「補習・宿題サポート」と学校外プログラムである

  「豊津モデル」のコーディネーターは住民と行政の協働による実行委員会方式である。「穂波モデル」は公民館が仲介している。学校主導型は初めて教員がコーディネーターになる。方法はゲストティーチャーをお迎えする時と変わりはない。住民の有志に放課後プログラムの加勢をお願いし、「指導者」は住民の中から登録していただくことになる。この時社会教育行政や公民館の協力を仰ぐことができれば、学社連携になる。公民館の張り切る顔が見えるようである。教員は学習の遅れた子どもの個別指導や小グループ指導を担当し、住民指導者は教科外の遊びや体験や集団活動を担当する。6時まで預かれば現行の学童保育は不要になる。学童保育の予算を当てれば運営は十分可能になる。プログラムが機能すれば、確実に学力向上に繋がる。この時学校はコミュニティスクールになるばかりではない。子どものための生涯学習センターになるのである。

(5)  子育て支援学校

  霞翠小学校は学力の向上にも体力・耐性の向上にも成功した。教員の努力と専門指導力の賜物であることは論を待たない。成功の結果が保護者や地域の学校評価を変えたことも言うまでもない。しかし、霞翠小の事例では「学力」は向上したが、「子育て支援」にはならない。従って少子化の防止にもならない。
  長期的には霞翠小学校を支えるコミュニティからやがて子どもの声が消えて行くことは疑いない。少子化を防止できないことは学校の責任ではないが学校主導の総合的プログラムが実行できれば、少子化は止めることができる。「子宝の風土」の学校がどれほど強大な力を有しているか!、それが子育て支援にどのくらい貢献し得るか!
やがて文科省も、厚労省も事業の意義に気付くであろう。学校は住民の尊敬を勝ち得て、かつての輝きを取り戻すであろう。学校主導の子育て支援は「穂波モデル」よりも、「豊津モデル」よりももっとも簡便で、有効な方法である。問題は学校の生涯学習化への意欲と教育システム・組織の弾力化が可能であるか、否かである。通常であればこのような提案は狂気の沙汰と笑われるであろう。しかし、現代はDog-Yearである。何が起るか予想はつかない。楽しみに事態の進展を待っている。
 


DOG YEARの生涯学習 −「豊津モデル」、「穂波モデル」の意味−

  犬の最初の1年は人間の7年にあたり、そのあとは5年ずつ年を取るという。そこから変化の早い領域の1年をDog Yearと呼ぶらしい。他の分野の1年がその分野では7年に当たるような変化が起るのである。情報化の進展やIT産業の分野はまさにこのDog Year的変化であろう。近年の生涯学習を取り巻く環境の変化もDog Yearのスピードに近い。少子化問題も、少年問題の多発も、高齢化問題も、男女共同参画条件の不備も、学校教育の停滞も複数の分野のマイナス条件が一気に吹き出したのである。一つ一つの問題も深刻であるが、これらの問題が絡み合うと深刻さの度合いはそれぞれの問題を破綻させるほどにすさまじい。すでに何度か提案したように対策は総合的に打たなければならない。福岡県京都郡豊津町の「豊津寺子屋」と同県穂波町の「穂波子ども学び塾」がこの三月文部科学大臣の感謝状を受けることになった。心からお祝申し上げる。推薦してくださった県の担当者の見識を讃えたい。しかし、表彰する文科省の側は本当に上記二つのモデルの意味を理解しているであろうか?子育て支援は、保護者の支援;特に働く女性の支援である。だからこそ働く女性のスケジュールと支援スケジュールを合致させているのである。指導は熟年が担当している。それゆえ、熟年のお元気も支援している。学校施設を拠点とするので学校のコミュニティ・スクール化にも貢献している。「豊津モデル」は学童保育も組み込んでいる。
  これまでの補助金の組み方を見ても、最終年の補助金の削減方法を見ても、文科省が子育て支援総合化の意味を理解しているとは思えず、学校を組み込むことの重要性を認識しているとは到底思えない。認識しているとすれば、文科省にとって学校に協力支援の「通達」1本を出すことぐらい簡単な筈なのである。「豊津」も、「穂波」も学校の関与と協力を得るまでにどれほどの時間とエネルギーと気を使ってきたか、補助金の担当者は想像もできまい。
  社会教育の直営事業にも、公民館のプログラムにも、すでに単発の学級講座はいらない。散発的な少年のプログラムもいらない。高齢者のエンターテインメントもいらない。必要なのは少年の発達も、高齢者も、働く女性も、学校の生涯学習化も、子どもの安全もすべてが絡み合った「複合問題」の対策の総合化である。そのためには学校が核である。学校が核に成りうるためには学校自身の覚醒に期待はできない。教育行政による学校の制度的、他律的生涯学習化が不可欠である。生涯学習行政の課題これに優るものはない。
  文科省も、中央教育審議会も自分の守備範囲を限定して考えているので複合問題対策の総合化の視点に立つことができないのである。複合問題はその複合性の故に、これまで行政が自らの任務を分業化したように分野別、対象別のアプローチでは到底対応はできない。青少年教育担当が青少年問題だけやっていても地域の問題は解決できない。社会教育と義務教育を分業化していれば学校は決してコミュニティ・スクールにはならない。Dog Yearの生涯学習課題に既存の分業システムは歯が立たないのである。行政は自己評価ができない。従って、自己否定もできない。政治の出番なのである。高速道路と同じように、郵政三事業と同じように、金融機関の不良債権処理と同じように生涯学習施策の抜本改革も政治の出番なのである。
  少子高齢化対策も、男女共同参画の条件整備も生涯学習の課題になったのである。しかし、公民館も社会教育も施策やプログラムの総合化は出来ていない。異部局間のプロジェクトチーム化も、予算投入の焦点化も出来ていない。政治が社会教育予算を切るのも、人員を削減するのも、従来の社会教育はDog Yearの課題に効果的に対応することがほとんど全くできていないからである。変わることのできない従来の社会教育は滅ぶ。公民館がその水先案内を務めることになるであろう。次には生涯学習センターが滅ぶであろう。(県によってはすでに廃止されている。)あらゆる社会教育施設ではサービスの「集中と選択」はできていない。従来の総花的プログラムでは少子高齢化の役には全く立たないことが分かっていないからである。もちろん、政治が答を知っている訳ではない。それゆえ、問題の深刻化はますますその度合いを深めるであろう。
  子どもの教育も、子育て支援も、日本中が混乱して犠牲者が限度を越えて増えた時初めて聞く耳をもつだろう。それまでは地道に自分の守備範囲を守って頑張るしかない。

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