拝啓 少子化担当国務大臣 猪口邦子 殿
1 答は「減税」でも「出産手当」でもなく、「養育の社会化」です
新聞報道で自民党が少子化対策の具体的施策の検討を開始したと読みました。記事によると少子化対策に子どもを持つ家庭の「所得税の優遇」や「出産手当」をお考えのようですが、それは次の子どもを生んで見ようか、と若い両親を動かす答にはならないでしょう。問題の根源は短期の出費ではなく、長期の不安だからです。不安の原因はあらゆる要因を踏まえて、生まれてきた子どもが幸せに育ち、合わせて、自分たち親も幸せになれるか?という疑問です。前者は「子育て不安」後者は「女性の社会参画条件の不安」と呼んでいいでしょう。その答がはっきり出せないから不安なのです。育児ノイローゼのニュースを見てください。非行から引きこもりまで少年問題の多発を見てください。学校はしつけのできない家庭が悪いと攻め立てるだけで地域の問題に何一つ関わろうとはしない現状を見てください。しかも、家事と育児の大部分は女性の肩にかかっているのです。子どもが産めるのは女性だけです。当然、子どもを生むか、生まないかの決定権は女性にあります。それゆえ、第一の答は男性が女性と等しく育児にかかわれる男女共同参画社会の実現にあるのですが、今、それを申し上げても「変わりたくない男」が大勢を占めている以上詮無いことでしょう。それゆえ、次善の策は、女性の子育て不安を社会政策によって社会が肩代わりすることです。それが「養育の社会化」です。「養育の社会化」が実現すれば、男女共同参画条件の半分は整ったと考えていいでしょう。
生まれてきた子どもは責任を持って社会が子育てのお手伝いをします、というメッセージを確実に女性に送ることが少子化防止の長期的な答です。そのためには行政も、学校も、地域もお手伝いします、というメッセージが不可欠なのです。子育ては産んだお前の責任でやれ。しつけも家庭の責任でやれ。家庭が「製造責任」を取るのは当たり前と言わんばかりの年寄りのえらい男達のいるかぎり少子化は止まりません。また、家庭よ目覚めよ!女性は子育ての責任に目覚め、子育て中の母のネットワークを充実すればことは解決すると言わんばかりのえらい女達がいる限り少子化は止まりません。大臣殿、あなたの周りの審議会委員にはどんな方々がいるのでしょうか?
2 「養育の社会化」とは子育ての肩代わりです
養育の社会化とは家庭に代わって社会が子育てのかなりの部分を引き受けるということです。文科省の中途半端な子どもの居場所づくりや福岡県のアンビシャス運動のような遊び場広場を作ってお茶を濁すような活動ではどうにもならないのです。「居場所」や「遊び場」を作れば子どもが集団を取り戻し、健全に成長するというのは現代の「迷信」であります。厚労省の学童保育(「放課後児童健全育成事業」)も子どもを少数の管理者によって狭い空間に閉じ込め、その安全だけを管理して、子どもの発達や成長を保証できるというのも「健全育成」の「偽装」であり、遊び場広場と同じく「迷信」です。安全管理だけを保障しても、教育上のプログラムを欠いた状況では保護者も不憫で次の子どもを預けるに忍びないことでしょう。それゆえ、養育の社会化の基本は「保教育」です。子どもの「保育」と「教育」は同時に実行されなければならず、実行のスケジュールは女性の社会参画の条件に合わせて設定されなければなりません。
福岡県旧穂波町の「子ども学び塾」も、同県旧豊津町の「豊津寺子屋」の事業も行政と住民の協働によって、子育ての負担を社会がより多く分担し、養育の社会化を実現しようとしたところに最大の特徴があります。休暇中の「保教育」も、学期中のプログラムも働く女性の勤務スケジュールを基準にして設定しているのです。生活習慣の確立も社会生活の基本的価値の伝達も社会が提供するプログラムの中で行われるのです。二つの町はまだ学童期の子どものシステムの実験しか出来ていませんが、幼児期については更なる「養育の社会化」が必要になるでしょう。少子化防止のためのお金は一時の養育費の補助に当てず、「養育の社会化」のシステムづくりに廻してください。10分の1の金額で遥かに有効な対策になることを保障します。
3 「外部化」と「選択」は現代の必然です
「養育の社会化」の具体的な中身は乳幼児に於ては、「幼保一元化」の徹底と保育時間の延長と弾力化にあり、学童期に於ては放課後及び学校の休業中の「保教育」の実践にあります。子育ての原点は私事です。それぞれの家庭のプライバシーに属します。それゆえ、「親権」が認められてきたのでしょう。子育ては次代を育み、家族も、社会も存続を可能にする「崇高な営み」です。しかし、現状を見れば明らかなように、子育ては「崇高な営み」であると同時に「負担の多い営み」なのです。時間も、エネルギーも、気力も体力も、智恵も、知識も不可欠な営みです。説明の理屈は色々ありますが、とにかく家族も、子育てを実質的に担当している女性もこの「負担の多い営み」に対して社会の具体的な支援を必要としているのです。「負担」をそのままにしておいて次の子どもを産んでください、というのはすでに無理なのです。
人間の私生活における「外部化」の歴史を見てください。生産からサービスまで社会の分業が進み、レベルには色々違いがありますが、教育も、医療も、娯楽も、料理も、洗濯も、介護も、引っ越しも、保育の一部も社会が引き受けるようになりました。最後に残されたものが「養育」です。「養育」は保育と教育とその過程の困難や喜びによって構成されています。それゆえ、最後まで自分でやる、という保護者もいらっしゃるでしょう。反対に社会にお願いします、という保護者もいらっしゃるでしょう。そこは「選択」の問題です。「選択」を前提とする以上、サービスの恩恵を受ける方々の「受益者負担」は当然です。「養育の社会化」の施策は人々の選択が行えるように社会が提供するサービスの中身をはっきりさせることにあります。その概念が「保教育」だと思います。「外部化」と「選択」は現代の必然ではないでしょうか?
4 子育て支援だけを単独でやらないでください。
大臣は子育て支援のご担当ですが、この問題だけを単独で取り上げないでください。子育て支援は男女共同参画に絡み、子どもの安全確保に絡み、学校施設の開放に絡み、やり方如何によっては高齢者の社会参加にかかわります。旧穂波町の実践には学校が正式に噛んでいます。旧豊津町の実践も学校施設が活動の拠点です。住民と行政の協働による実行委員会方式が採用され、多くの高齢者ボランティアが子どもの指導に関わっています。理由は4つあります。第1は高齢者ご自身がお元気になること、第2はボランティアによって住民の活力が向上し、世代間の交流を促進することが出来ます。第3に学校施設の開放は子どもの活動に最適です。第4は何よりも専門家を招いて指導に当たる財源の余裕は自治体にはすでにないでしょう。
5 まわりに総合的にものを考える人々はいないのでしょうか!?
子育て支援/少子化防止対策は典型的な複合課題です。それゆえ、専門にこだわった「たこつぼ」提案は役に立たないのです。総合的な子育て支援を行うためには、「児童福祉行政」、「高齢者健康行政」、「女性政策行政」、「教育行政」間の連携が不可欠なのです。小さな町がすでにその努力をしているのです。中央の「縦割り行政」を直ちに是正することが不可能であることは仕方がありません。しかし、「縦割り」の修正が無理でも、異分野間の協力をプロジェクト制で実施する努力は可能でしょう。国は地方自治体が手本にできる「プロジェクト・モデル」を提示してはいかがでしょうか?「教育」と「福祉」が連携するだけで事業の総合化はかなり進むのです。それが総合的問題を担当する大臣の最大のお役目と心得ますがいかがでしょうか。
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