第56回生涯学習フォーラム報告
第56回のフォーラムでは、第22回大会で発表のあった、大分県宇佐市の「子育て情報誌の創造とボランティアネットワークの拡大」を取り上げた。事例の整理は九州女子短期大学の古市勝也さんである。自治公民館システムの徹底活用によるまちづくりの事例を分析した。また、論文発表は、平成13年度第20回記念大会の「自治公民館拠点主義のまちづくり事業における「生涯学習推進員」の機能と役割」(事例分析者:重松孝士さん)に触発されて、まちづくり論を整理した「生涯学習まちづくりの可能性と限界」(三浦清一郎)である。
T 「子育て情報誌の創造とボランティアネットワークの拡大」
1 子育て情報誌の働き
筆者は情報氾濫の時代の広報紙には少なからず疑問をもっている一人である。別項にも期したが、事業をするごとに情報誌や広報紙を出さなければならないというのは「ばかの一つ覚え」であり、「ばかとハサミは使いようで切れる」(乞う、御容赦!)というものである。廃品回収に出す時の広報紙・情報誌の多さには多くの方がお気づきであろう。その多くは読まれてもいない、役に立ってもいないのである。
しかし、古市レポートが取り上げた宇佐市の子育て情報誌はいくつかの重要な機能を果たした。それらは「認知・応援機能」であり、「ネットワーク化機能」であり、「案内機能」であり、「社会的風土の醸成機能」であった。結果的に、乳児を抱えるわずか5人の母親が始めた子育て情報誌が、行政との連携を実現し、地域内の他の子育てグループを発掘し、そしてネットワークを組み、幅広く案内情報を届けて、様々な交流をつくり出したのである。裏返せば、こうした機能こそが情報誌評価の視点であろう。すなわち、当該の活動を独立の情報誌によって、社会的に認知する必要はあるのか?情報誌を出すことが活動の社会的環境を醸成し、関わっている人々の応援になるのか?孤立したサークルやグループが多く、情報誌によってネットワーク化すれば一層の効果が上がることになるのか?連携や交流によってどんな効果がもたらされるのか?必要な「案内情報」を届ける方法は独立の情報誌を発行する以外にないのか?最終的には、費用対効果の点検である。かけたお金やエネルギーに見合った効果を上げているのであれば言うことはない。
2 応用の可能性
子育て情報誌が生み出した成果を箇条書きにすれば以下のようになる。
(1) 行政と民間の連携が実現し、情報提供機能が活性化した。
(2) 乳幼児のいる全世帯に情報誌が配付され、医療、福祉、教育などの必要情報/案内情報が届けられるようになった。
(3) 情報誌の作成に「子育て」や、「読み聞かせ」やなど多様なサークルが関わることによって、子をもつ母親の交流をつくり出している。
(4) 情報誌による活動の認知は人々の応援であり、励みにつながっている。
(5) グループ・サークルのリーダーが育ち、イベントが企画され、結果的に、サークルを越えた相互学習が行われるようになった。
(6) 情報誌の誕生を契機に、子育て支援を「受ける側」と「提供する側」が協働する「場」が生まれた。
(7) 子育て支援事業が発展し、「放課後児童健全育成事業」や「母親クラブ」事業などの活動に発展した。
これらの成果は、現在進められている「家庭教育推進」のための事業に応用可能である。行政主導型の講演会を何回開こうと来る人々は固定している。情報誌を出しても、自らの生活につながっていなければ読まれることはない。「宇佐モデル」の成功は情報誌が効果を発揮する条件を示唆している。多くの地域が似たような状況にありながら、人々が孤立しているとすれば、これらの人々自身が参画する情報誌は様々な効果を発揮するであろう。現在、家庭の育児機能は衰弱した。養育の指導も、プログラムも貧しい。しかも、家庭は私事の領域であり、世間も、行政も入り込むことは出来ない。それゆえ、家庭教育の推進は自覚した人々をつなぎ、その方々のお力を借りながら、社会の風土を醸成して行くしか方法がないのである。ささやかでもグループやサークルがあるのであれば、情報誌でつなぎながら交流の輪を広げ、最終的には保護者が自覚する社会環境にまで高めて行くしかない。
U 「生涯学習まちづくりの可能性と限界」
「綾町モデル」はなぜ普及しないのか?
宮崎県綾町は人口7,600人。年間観光客は120万人。親子3世代で楽しいくらしのできる町づくりを促進している。全国花の町づくりコンクールでは最優秀賞を受賞。モデルにしたい町では第2位と評価が高い。
しかし、綾町モデルは他の市町村にはほとんど普及していない。モデルにしたい町なのにモデルになっていないのはなぜか?筆者の分析は以下の通りである。
『綾町は「秘境」とさえ呼ばれる独特の自然・地理環境であり、相対的に閉じられた地理的空間の中に位置している。基幹産業は農業であり、だからこそ環境の時代を先取りして「自然生態系農業」を前面に出すことに成功した。自治公民館制度をまちづくりの前面に出したことは、綾町の工夫によるが、多くの自治体では自治公民館の基盤をなす地域共同体がすでに存在しない。綾町は「手作りの里」をキャッチフレーズとして観光の町の育成に成功したが、多くの自治体では「手作り」を担当する共同体が崩壊しているのである。
現在、多くの日本人は第1次生活圏の中だけでは生活をしていない。情報社会も、車社会も、「第1次生活圏」そのものの範囲を一気に拡大したのである。それゆえ、第1次生活圏という概念そのものが成立するかどうかも疑わしい。自治公民館は第1次生活圏が基盤である。しかも、共同体的人間関係が土台である。しかし、都市部の生活は第1次生活圏を大きくはみだし、かつての共同体的人間関係は存在しない。まちづくりの関係者の多くは相変らず、コミュニテイィにおける人間関係の希薄化、第1次生活圏における交流の大切さを指摘するが、「地理的近隣」はすでに交流の不可欠条件ではない。交流もまたより広い範囲での人々の「選択」の対象となったのである。友だちも、仲間も、右隣の町にいたり、左隣の町にいたりする。活動の場面も自治公民館に限定する必要は全く無いのである。近隣の相互扶助が志を同じくする「有志」のボランティアにとって代わられたのも、人間関係や「交流」において選択原理が日本人の日常生活の前面に出たからである。「選択」によって人間関係の拡大を図れる世代と「地縁」による人間関係が選択による人間関係に優先する世代の2種類の人々がしばらくは同時存在することになるであろう。したがって、自治公民館の機能に対する評価も二つに別れるのである。第1次生活圏の「地縁」の意味を重要と考えない人々にとっては、自治公民館によるまちづくりはほとんど機能しないのである。人間関係が「地縁」の範囲を越えて拡散している都市部において自治公民館統治方式が機能しないのはそのためである。綾町モデルが広がらない理由も同じである』
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