お知らせ 第52回生涯学習フォーラム(ゆず湯忘年会)
フォーラム実行委員会では第25回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会を期して記念出版を行うためその準備を開始します。そのため当分の間、各地の事例発表のお招きはお休みとし、代わりに、過去の「交流会」の発表の中から注目すべき事例を選び、その意義と内容・方法を実行委員の持ち回りによりそれぞれが小論文の形にまとめて発表する形式を取ります。
日時: 平成16年12月18日(土)15時〜17時、のち「センターのご配慮により『ゆず湯忘年会』」
場所: 福岡県立社会教育総合センター
テーマ及び事例取りまとめ者:
1(仮) 「子どもと高齢者を結ぶパソコン教室」(穂波町教育長 森本精造)
2(仮) 「実施主体の多様性と子育て支援策の多様性」(三浦清一郎)
フォーラム終了後センターにて「ゆず湯忘年会」を企画しています。参加費3000円、または、 同程度の飲食物(何でも結構です)、ご都合に合わせてご選択下さい。お気軽にご参加下さい。準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。 (担当:朝比奈)092ー947ー3511まで
■■■■ 編集後記 体得の証明 ■■■■
広島県大竹市の青少年健全育成講演会の際に、大竹中学校の「鯉昇竹中音頭」の和太鼓と振り付けの踊りを見せてもらった。今時の中学生がしらけないでこの種の集団演技を市民に披露するのは珍しい。学校が出演を同意したのも珍しい。若い世代の表現力が乏しいともっぱらの批判もあるので、興味をもって拝見した。
舞台の上に太鼓組がおよそ20名、フロアの観客席を囲んで約50名。太鼓と「竹中音頭」のテープに合わせて踊ったものであった。振り付けの動きはどことなく札幌のソーランよさこい踊りに似ている。照れくさそうな表情や仕種を見せる子どももいたが、総じて舞台とフロアの70名の息があって演技に乱れはなかった。中学生としては見ごたえのある立派な演技であった。会場の観客からも惜しみない拍手が送られた。打ち手と踊り手の息を合わせて、一糸乱れず演技を終えるのは日ごろの練習の成果である。理屈では息は合わない。集団演技の息が合うまで練習を繰り返すためには中学生の「体力」も「耐性」も不可欠である。彼らは「鯉昇竹中音頭」によって「体得」の成果を証明したのである。
「負荷」の基準
しかしながら欲を云えば、踊りの動きが若い中学生にしては「やわ」に過ぎた。中学生にかけるべき「負荷」の基準が甘いと感じた。学校は児童/生徒の平均や公平を重んじるあまり、子どもや中学生の潜在能力や可能性を過少評価しすぎてはいないか?記憶力のトレーニングにおいても然り、体力の鍛錬についても然りである。結果的に、出来ることも出来ないままに季節が過ぎて行っていないか?挑戦のときめきを知らないままに季節を生きていないか?大人はいざ知らず、子どものしらけは退屈と諦めの産物である。
若さ弾ける彼らにとっては、振り付けの踊りは、動きもスピード感も不足している。近年のエアロビックス・ダンス等を見ても演技のレベルは高く、スピードも早い。若い彼らの演技ももっと基準を上げて、ハードでスピード感溢れるものにすべきであった。踊りが彼らの現状の体力や運動能力を超えている時、彼らは初めて自分への挑戦を実感する。その時「しらけ」は100%吹っ飛んだことであろう。背伸びしない青春は不幸ではないのか?憧れを持たない日常は退屈ではないのか?自分達にとって「挑戦」となるような課題を得た時、思春期のしらけが消えるのである。会場を出て行く彼らの額を見た。汗はない。演技を終えて汗が流れ落ちないような踊りでは若さの挑戦にはならない。
筆者のような熟年にとっても原理は同じである。年をとって挑戦がなくなれば、ときめきは終わる。「生きる力」に「老若男女」の違いはない。帰途、広島県の大竹から山口県の徳山まで在来線で瀬戸内の風景を眺めた。重なる屋根の向こうに海が見え、海の向こうに秋の陽が沈んで行く。車内は相も変わらず不作法で、喧しい高校生で満杯であった。列車にゆられて、藤沢周平の「三月の鮠」を読み返した。挫折の中から立ち上がって挑戦する青年と少女のものがたりである。何回読み返したことか。「風の便り」は目標の60号まであと1回となった。
『編集事務局連絡先』
(代表) 三浦清一郎 E-mail:
kazenotayori@anotherway.jp *尚、誠に恐縮ですが、インターネット上にお寄せいただいたご感想、ご意見にはご返事を差し上げませんので御寛容にお許し下さい。
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