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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第58号)

発行日:平成16年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「戦力」のグレイゾーン

2. KJ法の威力と男達の呪縛

3. 「寺子屋」効果と「母の便り」

4. 第50回生涯学習フォーラム報告 「素読、朗誦、暗唱の教育論」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第50回生涯学習フォーラム報告 「素読、朗誦、暗唱の教育論」


   今回は朗誦がテーマである。11月の移動フォーラムは多久市で論語の朗誦を聞く。事前に「朗誦」の位置付けをしておきたいということが課題設定の理由である。発表は、佐賀県多久市で保育所の子どもに論語朗誦の指導をされて来た「多久保育園」の元保育士の柿木スミ子さんにお願いした。テーマは表題の通りである。論文参加は「『型』の教育ー脳生理学が証明するその論理と方法ー」(三浦清一郎)である。

◆ 1 ◆  素材は論語  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
  多久市は孔子を祭っている。「孔子の里」がそれである。孔子との縁が保育園児の朗誦の素材を決定している。何と素材は論語である。柿木さんの発表に添えて保育園児が朗誦に使った資料が配付された。
  『子曰く学びて時に之を習う亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り亦楽しからずや。人知らずして慍みずまた君子ならずや。』以下似たような文章が三つ続く。
  園児が発表会をやると人々がどよめくという。拍手と感動の声が会場に渦巻くという。人々は口々に"すごいね"と賛嘆する。それはそうであろう。子どもの能力の可能性が聞く側の励みになるのであろう。大人でも簡単には読めない材料を子どもが諳んじるのである。人々の拍手の中で子どもは自信を付け、活動の意味と自分達の能力を納得する。練習はあらゆる機会を通して行ったという。朝の開始時にやる時もあり、食事の後の時もあるという。姿勢を正し、集中して練習しているためか、他の場面でも、子どもは集中して話を聞くことができるようになったという。従来からの素読のやり方に習って、資料の意味は全く教えないという。いつか分かる時が来るであろう、と想定している。
  子どもが完全に諳んじた後でも、意味を教えないのはなぜか?筆者はそこにこだわった。「音読」が「詰め込み」と混同され、"わけの分からないこと"をただ覚えるだけと厳しく批判されるからである。子ども自身も当面は拍手と賛嘆で満たされているだろうが、発表の機会を持てなかった時はどうであろうか?拍手も、スポットライトも浴びられない時、自分で意味の分からない朗誦に、その意義を感じることはできるだろうか?
  とにかく、次回は佐賀県多久市への移動フォーラムである。直接に、保育園児と小学生の論語の朗誦を聞く。音読は暗唱になっているのか。暗唱は表現にまで高められているか。大ホールで演ずる子ども達の声は後ろの客席までちゃんと聞こえるか。入退場時のマナーは大丈夫か。言語は明瞭に発声できるか。要は、子ども達の表現が、人々の鑑賞に耐えられるか、否かが問われるのである。朗誦が大舞台での公演になる時、発声も、表現の姿勢も、表現の技術も、観客へのあいさつも切り離せない。周りの大人はそのことに気付いているだろうか?

◆ 2 ◆  朗誦の教育的意味  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
  朗誦の効果を大脳生理学の分野から証明したのが、東北大学の川島隆太である。川島理論は教育方法に革命をもたらした。少なくとも、原理上の一大変革を示唆している。川島の実験研究は脳の働きを通して「学び方」の重要性を証明したことである。脳の活性化の要因を研究していた川島は、はからずも「素読」や「音読」の重要性を証明することになった。川島の研究は、音読や百マス計算の教育実践を推進して来た広島県尾道市の校長陰山英男の考え方と共鳴し、素読の効用を説き、かつ実践を続けて来た安達忠夫の発想とも共鳴した。川島の実験研究の重要性は大脳における「前頭前野」の働き方を証明したことである。音読や素読が「前頭前野」を活性化することを「脳の血流」の量の変化を調べることによって証明した。脳の「働きが良くなる」とは、神経繊維と神経細胞をつないでいる「シナプス」の数が圧倒的に増えることだという。換言すれば、神経細胞のネットワークが強化されることである。当然、「情報」は流れ易くなる(*)。前頭前野は脳の働きの中枢をなす。川島の貢献は明確である。これまで頭を鍛えるといっても、どこをどうすればいいのか、何をどうすればいいのかが分からなかった。素読や音読の効果は実感していても、陰山も、安達も、学習方法の原理は経験則の範囲でしか語ることができなかった。図書館の棚を見ても学習方法論議、創造性開発論議は諸論百出である。教育方法学会の論文に大脳生理学が援用されたということは寡聞にして聞かない。川島理論は、教育方法に革命をもたらすであろう。
(*) 川島隆太、5分間活脳法、大和書房、2004年、pp.22〜23

◆ 3 ◆  暗唱は話芸に通じる  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
   朗誦の教育的意味の議論をしている内に自分でもささやかな実験をやってみたいと思うようになった。編集後記に書いた「近代詩講談」がそれである。日本には落語があり、浪曲があり、講談がある。これらが発展して「一人芝居」も生まれたのであろう。語りは朗誦の芸であり、暗唱を土台にした一人の話芸である。子ども達が朗誦ができるようになることは、究極は未来の話芸に通じるのである。表現といい、コミュニケーションといい、言葉を発することがメインである。姿勢を整えて発生すれば、腹式呼吸も覚えるであろう。何ごとをするにも音読から始めれば気息が整う。集団の心理的一体感を醸成することも容易になる。安達(*)は素読のキーワードに「反復練習」を選んでいる。「反復練習」の大切さは素読に留まらない。あらゆる技能の習得、あらゆる行動の習得と共通している。目指しているのは、考えずにできるようになること、意識せずに身体が動くこと、より自然になるまで教材に「慣れる」ことである。「慣れ」が目標である以上、「定期的」、「集中的」、「持続的」に反復することが重要になる。素読や朗誦を通して、現代の教育が忘れている「体得」の概念が浮かび上がってくるのである。

素読の特色
1 文字や文章を、声を出して読んでいく(目と耳と口の総合)。
2 生徒がオウム返しに先生のまねをする場合もある(復唱)。
3 何度も繰り返して読む(反復)。
4 意味内容の説明はしないのがふつう(知性よりも感性重視)。
5 いつのまにか暗唱できるようになるとしても、最初から暗唱をめざさない。
6 初歩の段階の学習として行われた。
7 その後もしかし、剣道の素振りや楽器の指練習と同じで、ウオーミングアップになる。
8 日常的な言語ではなく、古文や漢文(つまり古典)が中心。オランダ語や英語など、外国語習得にも応用された。
9 中世以来盛んになり、江戸時代がピーク。明治以降は急速にすたれていった。
10 かつては外国でも古典や聖典を学ぶのに同じ方法を用い、現在も同じ方法をとっている場合が多い(仏教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教など)。
(*) 安達忠夫、感性を鍛える素読のすすめ、カナリア書房、2004年、pp.51〜52
 

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