「寺子屋」効果と「母の便り」
前号の「寺子屋」パイロット事業の第2段階についての記事は、行政システムの再編成を町の首長が英断し、実行委員会が新事業に向かって動き出す枠組みを紹介した。ところが期せずしてお二人の方から「寺子屋」事業は教育的な効果を上げたのかというお便りをいただいた。パイロット事業の第1段階は実行するのに必死だったために厳密な教育評価の測定はしていない。しかし、子ども、指導者、保護者、実行委員の感想やアンケート調査の結果を見れば、効果は歴然であった。「寺子屋」プログラムの教育効果が顕著であったが故に、官民を挙げて、町のすべての「学童保育」を根底から変革し、「学童保教育」とすることになったのである。
1 「型」の指導と「体得」の重視
「寺子屋」の指導原理は「型」を体得し、「型」に慣れることである。中身は、「体力」の向上、「集団行動の規範」の体得、礼儀作法の実践、「異年齢集団の遊び」の楽しみ、「困難」への挑戦、熟年の「有志指導者」との交流の促進などであった。これらのほとんどは、家庭、学校、地域のどの場面をとっても、現代の教育から欠損している発達上の体験である。
今年の酷暑の中で、夏休みの連日、プログラムを積み重ねるに従って、すべての領域において子ども達は著しい進歩を示した。
2 熟年の指導者の復活
プログラムの指導は熟年を中核とした町民の「有志指導者」にお願いした。世代間交流の効果は、少年にも、熟年者にも顕著に現れた。お元気になられたのは、子ども以上に熟年の指導者であった。熟年者の活用は、ご本人の自尊感情や生き甲斐の向上に資する事はもとより、医療費や介護費の節減につながることも明白である。
厚生労働省に高齢者の活力維持・開発に関わる補助金を申請するのはその効果を確信したからである。今回58号の巻頭小論に論じた通り、「戦力」のグレイゾーンに着目したのも、熟年者の活動が熟年者自身の活力を再復活させ得ることを重視したからである。現段階において、単独の指導ができる「戦力」とは認定できない方々も、活動のプロセスで、かつて労働や人生の戦場で獲得した諸能力を必ずや取り戻すであろう、ということに賭けているのである。
3 施設条件の整備は不要
「寺子屋」事業が生き生きと展開されれば、学校施設開放の意味を学校自身が理解する。時々は、興味を持った教員が訪れるようになった。校長先生はこちらが御案内した場合もあるが、様々なプログラムを見聞され、活動の効果と意義を評価されたことは間違いない。「学童保育」の担当課長が次年度からは「有志指導者」の力を借りて、寺子屋方式を導入し、保育と教育活動を全面的に統合したい、という判断を下したのも子ども達の活動とその成果を目の当たりに見たからである。学校の開放は子どもの安全の第一条件である。しかも、「寺子屋」のような大規模事業にもかかわらず、あらたな施設整備が全く不要なのである。
4 圧倒的な継続の希望
保護者の評価と感想は、いまだ断片的であるが、その断片の中に子ども達の向上と躍動の様子が生き生きと語られている。次年度の継続を希望しない保護者はいなかった。最後に政治を動かすのは住民の声である。
以上のような成果を踏まえて町の行政は、町内の全小学校に寺子屋方式のプログラムを導入することを決定した。その決定を施策化するための条件が前回56号に掲載した、寺子屋パイロット事業のSecond
Stageについての巻頭論文である。
5 「母の便り」
インターネットに公開した「風の便り」にひとりの母親から便りが届いた。子育てに奮闘して来た母である。彼女の「子育てサロン」の感想を行政担当者はどのように聞くであろうか!?
子育てサロン、私も何度か利用しました。サロンを開設くださった方には、頭がさがります。ただ、あまり利用したくなかったですね。理由は、親も子も楽しめないことです。ただの器だからです。井戸端会議の場所にもなっていないことです。幼児は身体を動かしたいのです。(個人差はあるでしょうが・・・。)親は疲れているのです。とても厚かましいけれど、子どもを預かって身体的な遊びをさせてほしいし、その時だけは、側で親も公民館行事(公的サービス)例えば、育児相談、太極拳、ヨガ、料理、手芸といった、遠巻きながらも子育てに役立つものを地域の人と一緒に享受したいですね(子育て中の願いですから)。
こんなわがままな事を言っていいのかな?と思いつつ時が過ぎ、現在、こんな我儘をきいてあげなくては・・・必要としている人に代わって声をあげる時?かなと(思うようになりました)。お蔭様で私は、大の子ども好きですが・・・子育てに疲れている母親が周りにいると、なにか力になれないかな?と考えてしまいます。
きっと、すべき事は皆さんわかっていて、行動を起こす人が必要なんですね。私にできる事、小さなことから、まず踏みださなくては・・・
ご指摘の通り、子育てサロンはごく限られた人にしか役に立たないのである。理由は、ご指摘の通り「ただの器」だからである。問題の核心は、支援の中身も、教育力の根本も、プログラムであることを忘れていることである。母の指摘の通り放課後の保育と教育を融合した「保教育」のプログラムが必要なのである。彼女の提案は高齢者の能力とエネルギーを活用した「寺子屋」構想に合致している。彼女の構想は更に先へ行く。学校を「保教育」に組み込もうという構想である。
学校放課後保育や、休日保育といった考えに加え、昼間(ex.1時〜3時)、老人力、地域力を利用できないものでしょうか?教師の方々には、その時間休息頂き、老人力に依る学習、生活体験指導、地域(主婦力)力に依る子どもは社会の子どもとしての、保育を担当してもらう(集団遊び監視等)。4時以降は、音楽や体育、絵画等情操教育に充てる。学校は児童を親の平均在宅(帰宅)時間まで預かる。一斉下校させる・・・こうなると、親の負担や心配は、軽減されるのですが・・・。わが子を私のような未熟者だけの教育範疇においておきたくないですね。
しかし、学校については何度も論じた通り、上記の構想は無理である。教員を長時間拘束することはできない。また、文部科学省の学習指導要領を大きく逸脱して特別教科に指定された以上の時間を注ぐこともできない。もちろん、教員に学校教育外の子育て支援に協力しようとする意識は皆無である。"それは福祉の仕事である"というのが、これまでの学校が「学童保育」に学校施設を開放しなかった最大の理由である。彼女の構想を実現するためには、現行の行政システムの中に保育と教育を総合化する「プロジェクト」を発足させる以外方法はない。行政の縦割りが解消されるのを待つ余裕はすでにないのである。放課後の学校施設を活用し、高齢者を指導者とした「寺子屋」のシステムが威力を発揮するのは、財政力の低下をカバーし、地域の教育力の不在を逆手に取り、施設条件の新設の必要がなく、そして何よりも現在の家庭の脆弱さを全面的に支援する「養育の社会化」を含んでいるからである。 ■
|