生涯学習の構造改革分析−市場検証の実験
● 1 ● 新しい時代
新しい時代が来ている。いい時代が来ている。東大の竹内佐和子さんも、東京農工大の前田裕子さんも研究と実践の両立を目指して「二兎」を追っている(日経04'3.27夕刊、女ing)。「大学の教員たるもの理論と実践の両立ができて当然」。竹内さんの信念である。筆者も一度は言ってみたかったセリフである。竹内さんは技術経営の教官を勤めるかたわら投資工学センターの社長でもある。前田さんも教員の研究成果を企業ニーズと突き合わせる検証会社の副社長をしながら、教壇に立っている。そういうことができるようになった時代である。いい時代が来たものである。筆者の現役の頃には考えられなかった発想であり、筆者がやろうとしてしくじった改革の一端である。教え子が企画している大学発NPO「健康運動の実践指導者派遣事業」も成立する条件は整ったのである。
優れたものは生き残る。時代が必要としないものは退場する。それが歴史の必然である。鉄道が登場して馬車が消えたように、携帯電話が普及して公衆電話が消滅しつつあるように時代は人間の郷愁に関係なく、無用なものを淘汰し、必要なものを残す。人間の生活から経済や財政を抜くわけに行かない以上、組織も制度も技術も機能も市場の判断に従わざるを得ない。市場が淘汰する事物への「愛惜」や「郷愁」については個々人の裁量で処理をすべきであろう。制度改革に個々人の感情や利害が関わるのは当然としても、それに振り回されることは禁物である。改革には、もちろん、辛いこともある。損をする人も出る。仕事を止めなければならない人さえでる。それでも改革を止めることは出来ない。改革の成否が組織全体、社会全体の存立に関わるからである。
生産やサービスと同様、交通体系や通信体系と同様、教育制度も、教育機関も、教員も、生涯学習活動もそのあり方については、一定程度、市場の検証を必要としている。構造改革は常に全体が「先」、個々人の利害や郷愁は「後」である。しかし、他の分野に比べて、教育分野の構造改革は実に遅い。筆者がこれまで論じてきたところを順不同に列挙すれば次のようになる。まずは、教育のあらゆる分野に外部評価を導入する。評価結果は人事の評定に反映する。学校は保護者の判断に委ねて選択制にする。学校施設は地域と共用するコミュニティ・スクールに変革する。公立学校の一部に契約制のチャータースクールのパイロット事業を導入する。生涯学習(スポーツ)のアウトソーシングも、給食制度のアウトソーシングも、教職員の契約人事化も、終身雇用制度の廃止も速やかに実現すべきである。今はまだ何一つ実現できていない。しかし、これらを論じることが出来るようになっただけでも新しい時代が来たのである。いい時代になったのである。
● 2 ● 竹中政策の証明
教育行政や教育機関が市場に登場していないのは誠に残念である。筆者が研究上の理屈をいくら並べても、人は、聞きたくないことは聞こうとはしない。人間を実験対象に出来ない以上、人々に改革理由の十分な証拠を提出することはできない。現行の社会教育、生涯学習行政が「株」になっていたら対応は簡単である。「直ちに売りに出す」。さもなければ大損をする。生涯学習行政も、そこから生み出されるプログラムも、時代遅れも甚だしいからである。生涯学習行政も社会教育施設もその大部分は社会の必要に対応していない。ビジネスであれば、まず将来性はない。
小泉内閣の社会の診断は正しい。診断が正しいから、処方箋の構造改革路線も基本的に正しい。しかし、構造改革は遅々として進まない。残念ながら、正しいことが通らないのが世の常である。社会がもたもたしている分だけ、日本は国際競争力を失う。誠に残念である。「変わりたくない」のは古い時代の「既得権勢力」の常である。従って、「既得権勢力」が「抵抗勢力」になるのも世の常である。「抵抗勢力」の抵抗によって改革が進まないのは必ずしも総理大臣の責任ではない。内閣の責任でもない。声の大きいところに反応するマスコミはこの点を正確には見ていない。
先の衆議院議員選挙に際して、竹中金融・財政担当大臣を引きずり降ろそうとする動きはすごいものであったが、竹中政策の正しさは市場が証明しつつある。多くの企業も、トータルとしての市場もエネルギーを回復している。総裁選の対抗馬として立候補した3名の政治家の反竹中提案の政策の誤りはすでに市場によって証明された。竹中政策に反対した多くの評論家も最近ではテレビに登場せず沈黙している。政治も、経済も複合的な問題なので、研究者といえども、分析を誤ることは特に恥ずべきことではない。しかし、分析を間違った後の沈黙は恥ずかしいことであろう。政治や評論で「飯」を食っている人々は、少なくとも公表した自分の所論が間違っていたという事実は世間に表明して然るべきであろう。
● 3 ● リストラ企業を「買う」
政治家はもちろん、少数の例外を除いて、マスコミは竹中政策の成功をいわない。しかし、市場は正直である。リストラを断行した企業から業績が回復していることは明らかである。組織改革を断行し、技術革新を継続した企業から回復していることも事実である。リストラは常に暗い話になりがちであるが、構造改革にリストラは不可欠である。個々の状況に同情すべき理由があり、暗い話がうまれることも確かであるが、全体のシステムにとって、余分な労働力が不要である事実は変わらない。役に立たない労働力が不要である事実も変わらない。「不要」なものは「有用」なものに変革しない限り、産業も組織も再生はしない。冷たい言い方に聞こえるかも知れないが、再生するためにはリストラは不可欠である。全体の構造的欠陥を是正できなければ、企業そのもの、産業そのもの、社会全体が沈むからである。古くて新しい議論であるが、常に政策や組織においては「全体」が「先」、「部分」は「後」である。市場は未来の希望に反応する。「株」も「債権」も、リストラを断行した企業から買う。その多くがV字回復を遂げたからである。組織改革も、技術革新も同じである。構造改革を断行した企業は生き残る。結果的に「株価」も回復する。それが市場による検証である。
● 4 ● 生涯学習診断の市場検証
生涯学習行政の構造改革を市場原理に直結できないことは当然であるとしても、改革の背景を為す論理は同じである。不要な人員は整理する。需要に対応できない組織は改革する。施設も、制度も、プログラムも、時代にマッチしないものは「退場」させなければならない。社会全体の構造変動が起っているのである。全体の変動に見合った構造改革を断行しなければ、市民生活の問題には対処できない。無用になった産業も、機能しない組織も、必要に応え得ない施策も時代の舞台から退場させるべきである。「株」や「債権」はあらゆる意味で「構造改革企業」を買う。学校も公民館も生涯学習政策も仮に市場に出ていたとしたら、それらの「構造改革プログラム」を買う。しかし、現状の生涯学習株は危なくてとても買えない。行政は、まず企業に倣って、リストラ、アウトソーシング、異分野間連携、総合化、複合化、プロジェクト化、ゲリラ化を始めるべきである。それが生涯学習行政の構造改革である。
● 5 ● 「アウトソーシング」ー戦略的外部委託
「アウトソーシング」は日本企業の基本戦略となった。本業以外は贅肉を切り捨てて戦略的に外部に委託するという方法である。結果的に、「契約」が基本的な仕事のやり方になった。それゆえ、契約更改に伴う「外部評価」、「市場評価」は不可欠である。かくして、人材派遣業が生まれ、食堂機能の外注が生まれ、各種戦略的「請け負い」業が専門化した。このことは当然日常の生活スタイルと連動している。家庭内の食事の多くが外食の形で外部化され、クリーニングも外部化され、家事の代行サービスも始まり、惣菜屋さんも栄えている。学校の給食を「外部化」しない行政の気が知れない。現行の給食組織は内容的にも、サービスの点でも専門業者にかなうはずはないのである。給食センターを抱え込んだ財政上の非効率は論じるまでもない。
外部化は家事に留まらない。家族の"本丸"ともいうべき教育が社会化され、保育が社会化され、介護も社会化されつつある。学童期の児童の放課後や休業中の世話も、現状は遅々たるものであるが、子どもの「居場所づくり」から始まって外部化される。いずれはほぼトータルに「養育」の社会化が起る。それは女性の社会参画を進めて来た必然の結果である。やがては男女共同参画を望まない「変わりたくない男たち」も外部化の状況を受け入れるようになる。
このような状況に鑑みれば、生涯学習の構造改革を断行しない限り社会の要請に応えることが出来ないのは明らかである。もはや従来の社会教育行政のやり方では対応は不可能である。社会教育職員の能力でも対応は不可能である。子ども会の指導も、青少年キャンプも「アウトソーシング」は不可欠である。最も優れた機能、最も優れた人材、もっとも経済効率のいいやり方を必要な時に、必要な分野に投入することができる組織だけが住民の要請に応え得る。結果的にそのような仕組みだけが生き残る。
水泳やアスレティック・ジムのように生涯スポーツ事業が民営化されつつあるのはその証拠である。惣菜屋が繁昌し、レストランが軒を連ねるようになったということは社会教育施設の食堂は民営化し、学校給食も民営化すべきことを物語っている。給食の直営を廃止することによって浮いた予算はプログラムの運営費に回すべきである。その運営もにわか仕立ての公民館担当者や社会教育主事にまかせないで民間から契約によって有能な人材を派遣すべきである。結果的に、やる気のない公務員の数を一気に縮小することができる。給食を引き受ける企業の「株」は「買い」である。
● 6 ●高齢化、情報化、余暇時間の増大、高学歴化 ー生涯学習とライフスタイルの多様化
生涯学習では、変化のタイトルだけを"空念仏"のように唱える。その一つが情報化である。にも関わらず現状ではあらゆる講演の依頼文書は郵便で来る。メールでレジュメが送れない教育委員会や公民館も数多い。情報化時代を唱えながら、時代遅れの事務処理をしていたら、企業なら潰れるであろう。潰れないようにするためには電子化は避けて通れない。当然、市場において、事務作業を電子化する企業の「株」は「買い」であろう。
高齢者の生活は「余暇時間の増大」と「高学歴化」の特徴を呈している。その結果であろう。高齢者の旅行は生涯学習の旅になりつつある。これまでの「ツアー・コンダクター」では対応が出来ない。俳句の旅、考古学の旅、郷土史の旅、焼き物の旅、時には「地中海文明の旅」などに分化が始まっているのである。もちろん、旅も、ガイドも有料である。「生涯学習の旅」を組織化する企業の「株」も「買い」である。同様に、生涯スポーツを企業化している会社の株も「買い」である。生涯学習社会では質的な多様化が進行している。高齢者の心身の機能を維持・保全しようとすれば、多様な活動を提案するしかない。もはや、これまでのような税金による無料のプログラムだけでは生涯学習の活性化は図れない。公金投入の説明も出来ない。第一、投入すべき資金はほとんどない。公務員の人件費など行政の維持管理費に消えてしまっているのである。事業費がないのに生涯学習担当職員だけがいるという滑稽な状況が出現している。予算がないのであれば、職員を減らして担当者とプログラムを外注すればいいのである。それが「アウトソーシング」である。時代状況を的確に判断できる人材派遣会社の「株」も「買い」である。
● 7 ● 「生涯学習の構造変動に関する市場分析研究会」
筆者はこの数年多くの教育行政を回って現状の分析、施策の提案を行なってきた。しかし、漠然とした同意は得られるが、公民館も行政も筆者の診断を実践に移す動きはない。多くの場合、社会教育の関係者は現状を否定する論理を聞く耳は持たない。残念ながら、筆者の分析も客観的な証明は難しい。僅かな実践のフィールドに頼って、ささやかな「パイロット事業」を試みているに過ぎない。そこで過日、生涯学習フォーラムの企画委員会のみなさんに一つの提案をした。生涯学習施策の提案理由を分かってもらうために「市場分析」による検証をしようという提案である。
「瓢箪から駒」ならぬ、「冗談から駒」である。新しい研究会の仮称は「生涯学習の構造変動に関する市場分析研究会」とでもしようか!分析結果に基づいて「株」や「債権」を購入してみる。東大の竹内佐和子教官が投資会社の社長を兼ねているように、理論と実践の両立を証明したいのである。生涯学習の施策背景の分析が誤っていなければ「株」の利益が出るだろう。変革の理屈は市場で証明する。投資には老後の生活資金が絡むので当方の分析も「真剣」になる。論より証拠、やってみないか、と教え子や若い行政マンに説き始めたこの頃である。当然、"隗より始めよ"である。率先して筆者の理論の「市場検証」を始めた。論理が誤っていない証拠は成果に現れる。当面、成果の中身は「企業秘密」である。
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