「非常」の顔
「日常」と「非日常」の間
ご馳走も毎日になればもはやご馳走ではない。「特別」も毎日続けば「特別」ではなくなる。だれた教室の空気もそれを察知した時点で修正しなければ、だれた雰囲気が日常化する。子どもの悪態も、規範への不服従も同じである。当たり前でないことも、繰り返せばそれが当たり前になり、自然になる。負荷も同じである。部活の練習がそうであるように、厳しい練習を積んで行くうちに初めは考えられぬほどに大変だったことも日常化する。それが修練である。修練によって力が向上すれば負荷は負荷ではなくなる。そのように子どもは力を付けて行くのである。
「日常」の中の「非日常」と「非日常」の中の「日常」
日常がすべて日常の要素で構成されているわけではない。同様に、非日常がすべて非日常的な要素で構成されているわけでもない。日常の中に非日常が紛れ込み、逆もまた同じようにあり得る。組織の肩書きを捨てて毎日の出勤を止めると、たまたま依頼される講演はすべて特別である。当人にとっても特別であるが、声をかけて下さった町にとっても年1回の公開講演会の場合がある。しくじるわけには行かない。しかし、上記の通り「特別」行事も連続して繰り返せばやがて「特別」ではなくなる。「特別」に慣れて来るのである。10回も連続すると講演も気分の上でDaily
Workになる。
ところがある日突然当方の体調が崩れる。思わぬ寝不足や無理が祟って、熱が出たり、腹痛が続く。本年二月、島根県津和野で行なわれた「綺羅星7」の学社融合フォーラムがそれであった。39度近い熱がどうしても下がらない。しかし、引き受けた以上、基調提案は止めるわけには行かない。インタビュー・ダイローグの司会も逃げられない。普段の組織務めであればちょっと休ませて、という甘えも可能であろうが独立の請負仕事はそうは行かない。非日常がくり返しと連続によって日常化したとしても、非日常の最大特質は「非常」なのである。
8月も連続講演が続いた。筆者も全力投球で各地のご依頼にこたえた。ところが最後の最後の講演前夜遅くに歯痛が突然襲って来た。痛みは人間を無力化する。ものを書いたり、話したりする状態ではなくなる。ホームドクターの歯医者さんはとっくに閉まっている。翌日まで我慢するしかない。やむなくひたすら耐えたが夜はほとんど眠れない。翌日は一番に病院を訪ねて治療をした。講演1時間前でも、麻酔が効いていて唇が麻痺している。痛みもまだ引かない。すべて手配済みで、今更、講演のキャンセルは不可能である。近年初めてお招きを受けた町の講演である。知人の教頭先生が苦労して紹介して下さったことは想像に難くない。体調不良を理由に手抜きをして、彼に恥をかかせるわけには行かない。体力と耐性が「生きる力」の基本である、と演説する以上、演説者がへなへなしているわけにも行かない。「生涯学習研究者」という耳なれない人物には「肩書き」による心理的安心の保証はない。どことなくうさん臭い。教頭先生は関係幹部の説得に苦労・奮闘したに違いないのである。
かくして連続によって、日常化した講演の生業が突然「非常の顔」を表す。「日常」であれば、勘弁してもらえることも、1回こっきりの「非日常」的講演には「パス」や「延期」は許されない。
修行僧の垣間見た日常の中の非日常
島根のみなさんとの懇親の席で、掛合町の原さんが日常の中の非日常を指摘されたのも興味深い。原さんは「地域教育コーディネーター」であると同時に禅僧でもある。禅の修業の中で地に伏せて何も見ないという行があるという。修業の暗黒から開放された一瞬、普段の日々には気が付きもしなかった小さな路傍の花がくっきりと現れ、類い稀な美しさで見えるという。これは日常の中の非日常;「特別の意味、特別の美しさ」を発見するということではないでしょうか、と原先生が言った。そのために禅宗では地に伏せて何も見ない時間の修業をするのであろうか?確かに、原先生の指摘の通り思いがけぬ病いや事件を通して、それまで見過ごしていた平穏のありがたさ、健康のかけがえのなさを発見することがある。平穏であることが不思議であり、健康であることが奇跡のように思える。日常の中の非日常性に気付く時があるのである。ここまで来ると人生の「無常」に行き着く。この世に常なるものはない。日常と見える連続性も必ず途中で途絶える。日常と非日常はお互いがお互いを含み、お互いがお互いと連続している。日常と非日常の間は在るようで無く、無いようで在る。取り合えず教頭先生ご依頼の講演会は気合いを入れ直し、力を振り絞って無事終了した。非日常に幕を下ろし、疲労困憊して我が日常を代表する妻のもとへ帰ったのである。 |