進化する図書館
第34回生涯学習フォーラム報告
「生涯学習時代の図書館」
4月のテーマは図書館である。前に長崎県西有家町の嶋田惣二郎さんから図書館を論じてはどうかというご提案をいただいていた。ようやくその機会が来た。実践事例の発表は福岡県篠栗町立図書館の今長谷照子副館長さんと直方市立図書館の加藤直行館長さんのお二人であった。論文参加は「利用者の中小公共図書館論ーレンタルビジネスに徹するー」(三浦清一郎)である。
図書館との出会い
正直なところ利用者としても、行政官の経験に基いても、筆者は図書館にある種の不満を持ち続けて来た。筆者のイメージする図書館との最初の出会いは外国である。20年前にニューヨーク州シラキューズで仕事をした時、街の図書館は私の楽しみの場所であった。シラキューズ図書館は、調べものはもちろん音楽会から展示・天覧会に至るまで常に社会教育を研究する自分にとっての驚きであった。この図書館の助けを借り、この図書館で得た情報を実際に訪ね歩いて拙著「比較生涯教育」は生まれた。マンパワー開発訓練法(Man
Power Development Act,1962)からコミュニティスクール法(Community
School Act,1974)、生涯学習法(Lifelong
LearningAct,1976)に至るまで関連の法律はすべて図書館の司書があっという間に集めてくれ
た。行政主導型の日本と違って、多様な機関・団体が競争して提供する生涯学習のプログラム情報もすべて図書館の案内デスクに集まっていた。日本の中小都市の公共図書館はまだ存在すらしていなかった。
図書館に依存しない研究
身の回りに役に立つ図書館が存在しない状況では、図書館に依存して研究は出来ない。仕方なく多くの書物を自前で買った。大学の研究室に置く事も出来ないほどの量であった。買えない資料については、何千枚、何万枚のコピーをとった事であろうか。酒を飲む人が、飲まなきゃ金が残るだろうにと思うように、本を買わなきゃ残るだろうにと思った事である。
私が勤務していた当時の国立社会教育研修所も図書館司書の研修を実施していた。筆者ははからずもその担当を命ぜられた。その当時から司書業務に対する疑問は多い。司書が図書館を担当している限り、図書館は生涯学習施設にはならないのではないか?、という疑問であった。最大の理由は、図書館には「営業」の発想はほとんど存在しなかったからである。”自分達は文化施設であって、成熟した市民のお世話をする事が任務である。”と言ってはばからなかった。司書の多くは社会教育の研修に参加させられることが不本意であるようだった。若かった筆者は”それでは誰が成熟した市民を育てるのか?”と開き直って図書館の「不作為」を批判した。筆者はたびたび司書の限られた任務に呆れ、図書館奉仕と呼ばれる機能がほんのひとにぎりのサービス対象にしか及ばない現実に憤慨していた。担当した図書館司書研修は時に喧嘩腰であった。たったひとにぎりの市民に奉仕するために税金は使うな。税負担公平の原則に反するではないか!”税金の無駄使い”というのが実感であった。
”営業”する図書館
高度成長と公共投資の箱ものブームはようやく図書館にも到達し、あちこちの町にも図書館が出来た。筆者は組織に勤務する事を辞めてから生き方の多くを転換した。本を買うのを辞めたのもその一つである。フォーラムレポート34本はもちろんその他の論文も基本的に市の図書館の蔵書の範囲で書くようにした。そのプロセスで、新しい本が少ない事、欲しい本も少ない事、時代の変化を映す本も少ない事などを感じた。その理由は、人件費と施設費に金を取られて資料の購入費が少ないのであろうと、役人の経験から類推した。従って、図書館を、市民の必要な資料で満たすためには、余計な金を減らして本やフィルムを買うべきである。それが参加論文「レンタルビジネスに徹する」という発想の原点である。その他の施設機能を活用した生涯学習活動には期待すらしていなかった。
その意味では、篠栗町と直方市の図書館の活動は新鮮な驚きであった。篠栗町立図書館の活動は明らかに従来の図書館発想を越えて、幅広い生涯学習の促進を意識したものであった。図書館は「営業」の視点が足りなかったのではないか、という今長谷さんの診断は久々に共感を覚えた。「好きな人の図書館」に留まる限り、住民の全体には奉仕できない、という発想も同感であった。「税負担の公平」を利用者拡大の根拠にする論理も、図書館人から聞くのは新鮮であった。篠栗町の図書館には、音楽会があり、原画展があり、サイエンスショーがあり、講演会があり、町長を囲む会がある。図書館祭もあり、本の宅配もあり、出前もある。中学生を対象とした「職場体験ボランティア」も実施している。土曜、日曜は学校週五日制を意識したプログラムを配置している。「囲碁」もあれば、「むかしのあそび」もある。公民館の領域に進出しているのである。従来の児童奉仕にも、青少年奉仕にも営業の視点から様々な工夫が施されていた。茶髪の子ども達の要望も聞いて資料を揃えるということから、青少年のための資料室も生まれた、という。今長谷さんが司書でなかったからできた、と思うのは聞いていた筆者の感想である。
”協働”する図書館
直方市立図書館は「ボランティア都市」を目指す、という宮崎市の理念を手本にして出発したという。行政と市民が「協働」した図書館活動を展開している。「市民の参画」はまちづくりの基本という視点が背景にある。加藤さんの報告を聞いて驚いたが、現在306名のボランティアが登録/活動しているという。人口1000人につき5人の割り合いである。加藤さんは日本一を自負している。筆者もかつて生涯学習の視点から「ボランティア・キャンパス」を目指したことがある。ボランティア事業の制度化は難しいものである。ホームステイ・ボランティア、留学生のための市民ボランティア、図書館ボランティア、書道ボランティア、環境整備ボランティアなどを組み合わせた総合的な大学支援プログラムを創設しようと試みたのである。結果は一部の部門を除いて失敗であった。「協働」を実現するためには、卓抜なリーダー
シップとその精神を理解し、市民のサービスと貢献を、生き甲斐を伴った実質的な業務に”翻訳”する能力が必要となる。
直方市の場合は行政のトップを始め関係者の方針が明確だからこそ可能になったのである。いただいた名簿には306名の内訳が記載されている。紙芝居グループから古文書の勉強会まで、15のボランティア団体と個人の「窓口ボランティア」の総計である。これらの「大所帯」が回転しているだけでもお見事といわなければならない。
進化する図書館
二つの図書館の報告は長年社会教育に関わってきた自分には特別の感慨がある。フォーラム夕食会でも「図書館はやるでないか」ということが参加者の主たる感想であった。そのことを別の分野の友人に伝えたら、友人の近隣の図書館は篠栗町と同様、ボランティアの活用も、十進分類を崩したテーマ別図書コーナーの設置も、様々なことに挑戦しているという報告であった。そうだとすれば図書館は「進化」を遂げたのであろう。しかし、見聞する範囲では相変わらず夜間開館も、通年開館も実現しているとは思えない。利用者の範囲が一気に拡大して来たとも思えない。財政縮小の時代に、人件費や施設維持費に予算を食われているだろうことも筆者の心配が外れているとは思えない。フォーラムの参加者が指摘したように、新しい本がないのが何よりの証拠である。それゆえ、筆者の論文は「資料のレンタル」に重点をおいた図書館論である。税の公平配分が立論の視点であることは篠栗町とかわらないが、予算の制約がある以上、図書館運営の方法をレンタル業務に限定して論じた。しかし、図書館が私の予想を越えて生涯学習施設として進化しているのであれば言うことはない。何よりのことである。読者の皆さんの地域ではいかがであろうか? |