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生涯学習通信

「風の便り」(第110号)

発行日:平成21年2月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 生涯学習事業編成の視点の変化 

2. 司会者の目線-インタビュー・ダイアローグへの抗議

3. 司会者の目線-インタビュー・ダイアローグへの抗議(続き)

4. 子どもに貢献の志、生きる姿勢を教える -教育公害を予防するために-

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

生涯学習事業編成の視点の変化

 第4回人づくり・地域づくり山口大会は総括の役目を仰せつかったので6会場すべてを覗いてみました。最大の印象は生涯学習の事業編成の「視点」が変わりつつあるということでした。大げさにいえば「パラダイム」の転換です。各種事業プログラムの内容もやり方も発想が転換しつつあるということです。新しい事業形態が登場しただけではなく、従来のやり方だけでは事業の展開が難しくなったということです。以下は筆者の感想の断片です。

1 組織より仕組み
(1) つなぐ仕組み

 「視点の転換」の背景には、明らかに財政危機が影響しています。合併に伴う各生涯学習施設の職員の減少も大きな戦力ダウンです。したがって、従来の組織、これまでの生涯学習機構による単独事業では多機能、多目的、総合的な事業の展開は極めて難しくなりました。まして、多くの自治体で、公民館事業を地域に丸投げするような事態が続出し、各施設は単なる「貸し館」に転落し、中身は住民の要求・欲求に基づく「パンとサーカス」、「趣味と実益」を中心とした要求充足型の運営に終始しています。
優れた事業は組織より仕組みによって実現するしかない状況が出現しています。
ネットワーク化の重要性がいわれ、恊働の仕組みが言われるのもそのためなのでしょう。問題は組織より、仕組みになりつつあります。したがって、工夫すべきは、「つなぐ仕組み」であり、「つなぐ視点」であることを痛感した大会でした。

(2) 目的や価値を共有する仕組み

 優れた実践は必ずと言っていいほど単独組織による事業ではなくなっています。事業の目的や価値を共有するグループやサークルとネットワークを組んで新しい事業を作り上げていることがよく分かりました。地域の人々の潜在的能力を発掘し、活用して、成功している事業が最も印象的でした。そこには事業の中心となる人々が、他の人々と目的や価値を共有する視点を持とうとする積極的な呼びかけや、協力を依頼する働き掛けがありました。仕組みの形成にはより高度な人間関係の技術、事業をアピールする表現力などが必要だと痛感しました。コーディネーターの時代が来たのです。

(3)  相互補完の仕組み

 自分のところで出来ないものは借りてくる、というのがネットワークの第1歩です。換言すれば、ネットワークとは相互補完の仕組みだということです。その時に優れた実践者はお互いの関係を「イーブン」にし、「ウイン-ウイン」の関係を作り上げているということです。従来の日本の組織の一番難しいところではないでしょうか?どうしても「縄張り」を争い、「めんつ」にこだわり、「手柄」の取り合いをして来た「縦社会」:「縦割り」の伝統が立ちふさがるからです。なかなか行政には出来ず、年寄にも出来ませんね。行政や年寄の発表は総じて「自分主義」で、「恊働」という言葉を使っていても実質的な「相互主義」にはなっていないと思いました。ネットワーク化は若い世代に任せてしばらく試行錯誤の時間が必要だと感じましたが、役所でも従来の組織でも「偉い人」は大体「縦社会」の縄張りとメンツのトレーニングを受けた年寄だと言うことが恊働思想の最大ネックですね。

(4) 実施上の協力の仕組み

 一番、現実的で、友好な恊働の実践は個々の市民と組むことですね。「この指止まれ」方式とでも呼ぶべき手法です。意識もバラバラ、意欲もバラバラですから、行政対団体、グループ対グループ、サークル対サークルの組み合わせは難しいのですが、事業が気に入った個人は自由に参加して下さる時代になりました。まずは、方針を掲げ、事業目的と想定される効果を鮮明にして「この指」にとまってもらうところから協力の仕組みづくりを始めるしかないようです。個人を主体にすると言っても必ず友だちが友だちを呼んで来るので、小グループとの恊働になります。これまで各地のみなさんと組んで実施してきた福岡の「移動フォーラムこの指とまれ」方式はネットワーク手法の原型だったと実感した次第です。


2 変化の背景は「危機意識」

 現状のままでは日本の生涯学習システムは廻らないというのが実感です。変化の背景は「危機意識」です。視点の転換の背景も危機意識だと思います。危機は下記の通り4種類あると思いました。

(1) 少子高齢化の行き詰まり
(2) 財政危機
(3) 生涯学習活動の「パンとサーカス」への偏り
(4) 日本人の自主自立精神の脆弱化

 これらのどの問題にも適切な手が打たれていないと思います。危機は危機自体の中に問題解決のヒントを含んでいますから、それほど心配はしていませんが、少子化の防止については男支配の政治も行政も何も分かってはいませんね。女性支援もない、発達支援もない、最も安全で、子どもに使いやすい学校の開放も出来ないという子育て支援策のお粗末さには呆れるばかりです。
 高齢者を元気にする発想も貧しいですね。このままでは医療費も介護費もかさむ一方でしょう。熟年が活躍する社会のステージをイメージしていないからです。年寄は"弱くて、役に立たない"と考えているのでしょうが、そのように発想した瞬間から年寄は一気に衰えます。「安楽に余生を送る」という全体社会の考えを改めない限り、年寄はますます衰える速度を増して行くでしょう。つけは若い世代に廻ります。子どもや老人が、社会貢献や自主自立の気概をなくした時、社会は衰亡することでしょう。「パンとサーカス」を追求して、市民が気ままに生きた時、ローマ帝国ですらも滅んだというのも頷けることです。

3 生涯学習の役割
@ 新しい発想の提示

 世界にとっても、日本にとっても生涯学習は一大転機の発想でした。"震源地"は技術革新でした。技術革新が間断なく続き、変化への適応が一生涯続くということは新しい学習が一生涯続くということだったからです。それは個人が勉強を続けるべきだとうことではありません。個人の心構えの問題であれば、「一生勉強じゃ!」と言えば済むことです。生涯学習は技術革新を核として起こった自動化、高速化、システム化、情報化、国際化、高齢化、高度化などへの社会的適応の問題です。それゆえ「改正教育基本法」の言う生涯学習の解釈は間違っています。「改正教育基本法」が言うような個人の生き甲斐の問題は二義的な適応の結果の問題に過ぎません。
 生涯学習を個人の生き甲斐問題に矮小化すれば、結果的に、生涯学習は個人の欲求や要求に対応する「やりたい」問題に短絡化されます。
 文科省はかつての英国首相のブレアさんに学ぶべきです。ブレア首相は、経済も、環境も、国際化の中の外交もあらゆる政策課題の前提は教育の充実であると断じました。日本の政治家にも爪のあかを煎じて飲ませたいものです。教育を重視するとは国民の自覚とレベルの向上を重視することを意味します。社会の仕組みが現行のままでは廻らないということがはっきりした以上、生涯学習を推進する政治や行政の役割は新しい発想の提示です。実際には、「パンとサーカス」の追求に忙しくて、課題解決の提案がなされていないことこそ最大の問題なのです。山口大会を拝見した限り提案の方向は以下のように纏めることが出来るとおもいました。

i 恊働の必要
ii ネットワークの不可欠
iii「パンとサーカス」から「社会貢献」へ
iv 子どもと高齢者の心身の鍛錬

A 触媒機能と仲人の役割

  この時、生涯学習行政の役割は触媒と仲人だと思います。「触媒」効果とは岡山のシニアスクールでお聞きした言葉です。触媒も仲人も、「ばらばら」な人や資源をつないで良い方向に水路付けすることが使命であり、紹介してつなぎ、組み合わせて効果を極大化する機能です。「ばらばら」とは意識であり、時間であり、ステージであり、スピードであり、経験や技術であり、予算や財源であったりすることでしょう。拝見する限り、現行行政の社会教育分野の人事が全く感心しないですね。専門家はますます少なくなり、「市民」に任せれば良いんだ、という発想が前面に出て来ています。
 この国が「お上」の風土であることを忘れているのです。税金から給料をもらって「市民」のためにどうすれば役に立つのかを常に考えるのが「役人」なのに、多くの担当者は考えていませんね。本人の専門性が足りないのなら、せめて、触媒か、仲人か、市民応援団になってもらいたいのですがそれも出来てはいませんね。
生涯学習がますます大事な時代に、残念ながら生涯学習はますます衰退することになるでしょう。

B ステージの創造

 「出来ないこと」が「出来るようになる」のは子どもならずとも嬉しいことです。これが「機能快」です。生涯学習の成果は社会に還元されなければ、税金を投入したアカウンタビリティが証明出来ません。「褒められること」は子どもならずとも嬉しいことですが、人々が活動して褒められるステージがありません。ステージを作ることを考えていないか、ステージを作ることに失敗しているからです。活動と活躍の舞台を作ることは褒められる舞台をつくり、人の役に立つ舞台をつくり、人に必要とされる舞台を作ることです。役に立つことも必要とされることもさらに嬉しいことです。それが社会的承認であり、人々の存在感・有用感を満たしてくれる出会いの舞台だからです。生涯学習行政はこの一番大事なことをやっていないのです。

4 生涯学習まちづくりは「農業」

 山口大会で生涯学習まちづくりは「農業」に似ているというご発言がありました。良いたとえですね。まちづくりにも、耕すこと、肥料をやること、日の光を当てること、水をやることなど諸々の必要条件を整備することが不可欠です。生涯学習の根本もまた農業と同じく、「食うために耕す」ことですから出発点は「私益」です。しかし、その私益が自然を守り、環境を保全し、結果的に共益や公益に繋がって行きます。田圃が米を作るだけでなく、水資源を保全し、森林資源を保全し、自然環境を保全し、個人の活動が社会を活性化しているということです。生涯学習行政の仕事はまさしく農業なのでしょう。しかし、私益の活動を最終的に公益につなぐためには公益の視点が必要です。農業の私益は幸いにもそのまま公益に繋がりましたが、その他の分野では私益の追求が自然に公益の実現に繋がるということはありません。人々の要求課題を社会の必要課題につなぎ、子どもや女性や高齢者や多くの職業人が必要としていることを診断し、処方し、実行する視点こそが欠けているのです。地域の防災に取組まれている山口大学の三浦工学部長さんが最後に言われました。実践は「怒らない、悲しまない、止めない」ことだ、と。これはまた自然環境に依存することの多い農業の教訓でもあるような気がしました。この1年それぞれの実践を続けて、巡り会った多くの"戦友"とまたどこかで再会を果たしたいものだと思ったことでした。
 


 

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