インストラクショナルデザインの「デザイン」について考える(1)

 しばらく自分の研究のことばかり考えていて離れてしまっていたので、インストラクショナルデザインについて、久しぶりに少し掘り下げて考えてみた。
 ファッションのデザインをする人をファッションデザイナー、インテリアのデザインをする人をインテリアデザイナーと呼ぶのと同じように、インストラクション(とその周辺)のデザインを行う人をインストラクショナルデザイナーと呼ぶ。だが他の分野のデザイナーの「デザイナー」と、インストラクショナルデザイナーには、デザインの意味するニュアンスもデザイナー自身の関心も異なっているところがある。


 一般に「デザイナー」という職業あるいは人々は、センスや創造性にその付加価値が置かれ、デザイナーの個性やユニークさが尊重される。デザインした対象にそのデザイナーの創造性が活かされ、個性が表現されることが優れたデザイナーの手がけたデザインだと評価される。空間の捉え方、素材の活かし方、素人が思いつかないような発想、コンセプトの洗練さ、美的感覚を活かした表現などがその手がけるデザインワークに込められる。その人にしかできないデザインが優れたデザイナーの仕事として評価される。ステレオタイプなイメージも含まれるが、デザイナーという看板で仕事をする人には、分野を超えて共通した、デザイナー然とした雰囲気やキャラクターが形成されている。
 一方のインストラクショナルデザイナーは、そのあたりのイメージがずいぶん異なる。もともとこの専門分野の発達の経緯として、授業の場は教師の属人性にお任せで、よく言われる「経験とカン」だけに頼った設計や計画的発想不在の教育現場の状況への反省から注目されてきたところがある。そのため、デザイナー個人のセンスや創造性を活かすことよりも、むしろデザインノウハウやプロセスの標準化に力点が置かれている側面がある。手続きに沿って進めること、誰がデザインしても質のばらつきがなく安定した質の教育を提供できること、美的感覚よりも実用性、文書で誰が読んでもわかるように表現することなどをその専門性をもとに行うことが求められる。個性や創造性は直接的には求められず、他の分野のデザイナーが持つ、デザイナー然とした雰囲気やキャラクターは共有していない。
 他の分野のデザイナーも、ただセンスや創造性に頼ってデザインをしているわけではない。それぞれの分野のデザインに必要な専門知識があり、その専門知識やアプローチに基づいたツールやデザインの「型」が存在する。デザイナーとして成功した人々は、駆け出しの頃に地道な下積みや厳しい修行を経て、基本の型を形成する知識や基礎的なデザインパターンを身につけている。そのような専門知識を修得することで、ようやくセンスや創造性を活かしたデザインが可能になり、優れたデザイナーとしての個性を表現できるようになるに至る。
 その点は、優れたインストラクショナルデザイナーになるための要素として共通しているには違いないが、まだ他の分野ほどにデザイナー職として認知されるところまでは専門分野として確立できていない。教育現場では、計画スキルよりも指導スキルの方が尊重される傾向があるし、教師自身も当然計画スキルを持っている。また、教師が直接介さないオンラインコースのデザインにしても、設計スキルよりも開発スキルの方が尊重される。優れた教師がいないところでいくら優れたインストラクショナルデザイナーが授業をデザインしても、授業の場ではそのよさが発揮できないし、優れた開発者がいないところでどんなに優れたオンラインコースを設計しても、コース自体のつくりが拙くなる。
(長くなってきたので次回に続く。)