帰り道

 ボルチモアからステートカレッジまで、車で3時間ちょっとかかる。今回は行きも帰りも渋滞に引っかかったので、4時間以上かかった。独りでドライブしていると、運転中は音楽を聴くくらいしかやることがないので、あとはぼーっとしない範囲で考えごとでもしながら運転することになる。長時間なので、いろんなことが頭に浮かんでくる。
 車を運転していて起こっているいろんなことに目を向けてみると、これってすべて人生やキャリアにおいて起こっていることと共通するな、と思った。たとえばこんなことだ。
 道はいつも平坦で走りやすいわけではなく、起伏、道路のコンディション、景色、天候、混み具合いなど、進んでいけば条件は常に変動する。自分のモチベーションも時によって変わり、速く走りたくなったり、ゆっくり走ってみたくなったりする。
 今回は出発前にタイヤ交換とエンジンのメンテを行なったのだが、そのおかげで走りの快適さはずいぶん違った。コンディションを整えるための労を惜しまなかったことで、快適さやパフォーマンスが格段に高まった。
 安全に速く走るにはスキルが必要になる。そのスキルはチャレンジしなければ身につかない。自分の力量を理解せずにむやみに飛ばすと事故るリスクが高まる。
 チャレンジしなければスキルは高まらない。カーブのたびに自分の安心速度まで落としていては、速く進むためのスキルは身につかない。対処可能な範囲で少しずつチャレンジしていって、自分の許容範囲を広げていく必要がある。
 道順情報は最短距離を進むのに便利だが、いったん自分の現在地がわからなくなると役に立たない。未知の領域を走る時は地図を読むスキルがあるとないとで、ずいぶん迷いから抜け出せるまでの時間が変わる。カーナビは強力なツールだが、依存してしまうとない時にうんと困る。
 混んでいるところでは、どんなにがんばっても速く走るにも限界がある。空いているところは自分のスキルが許す限り速く走れる。
 かといって、周りに他の車が全く走ってないと、自分のペースがつかみにくく、気づかないうちに異常にハイペースになっていたり、遅くなっていたりする。ほどよく目標や対象となる車が走っている方がかえって速く走れる。
 人を追い抜くことに喜びを見出していても、全体で見ると思ったよりも前に進んでいなかったりする。
 進むスピードには個人差があって、速く進める人はどんどん速く進める。でもみんなが自分のペースで走るには、二車線以上必要。一車線しかないと、速い人はいらつくし、遅い人はせかされて落ち着かない。
 遅い車が追い越し車線を走っていて、周囲の流れを乱しているのに気づいていない。その車がそこにいるおかげで後続の人々が前に進めない。
 混んでいる道で自分のいる車線がなぜか空いていて、「ラッキー♪」と思っていたらExit Onlyで別の道に進んでしまって結局はロスする。
 前に自分よりも速い車がいて、ついていくと速く進めるのだが、ついていくことに腐心しすぎると、気づかないうちに自分の道から外れてしまう。
 周りをよく見ずに人に親切に道を譲ろうとすると、かえって迷惑なこともある。
 ・・・・・などなど、こんな感じのことは、すべて人生とかキャリアでも起こっていて、些細なことだけども、示唆に富んでいる気がした。こんなことを何となく考えているうちに、住み慣れた街に帰ってきた。広くて混んでない道が多くて、自分がとても追いつけないような速い車がたくさん走っているけれども、自分でチャレンジする余地は大いにある、というところが、自分にとってのアメリカの快適さなのかもしれない、という気もした。

帰り道」への2件のフィードバック

  1. 確かに!
    日常の中でこういう類似性に気づく
    瞬間ってありますよね。
    自分の中の体験が積もってなんらかの
    「理解」に至る瞬間なのかも。
    そういう瞬間の多い日常を過ごしたい
    今日この頃です。

  2. takaさん
    日常の経験から学ぶことは多いなとつくづく思います。
    テレビでもマンガでも何でも、いいものに触れつつ毎日を過ごしたいですね。

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