午後は教育ビデオ制作の授業で、いろんな教則ビデオやオンライン教材などを見て議論した。赤ちゃん手話のビデオは、手話を一生懸命やっている身振りがやたらかわいい赤ちゃんが大量に登場していた。このビデオに出てくる母親も赤ちゃんもとにかく幸せそうである。みんな赤ちゃん手話をやることで幸せになることを望んでいるのだから、この幸せ感を伝えるのがこのビデオの重要な目的となっているのだ。ビデオはこういう感情を伝えるのに適したメディアだ。手間をかけずにこの良さを活かすには、出演者にパワーがないといけない。
ここで少し省察モードに入って昔の話になる。私は大学を出て最初に予備校経営の会社に勤めていた。その会社では、教え方が上手くてテンションがある講師を高年俸で雇い、彼らの気合を活かして映像教材を制作し、全国の塾に衛星配信して利益を上げていた。制作技術的にはシンプル、ローコストオペレーションでの大量制作を旨としていた。第一線の講師は皆カリスマ講師で、下手な講師に対面授業で教わるよりも、個別ブースで彼らのビデオを見て学習した方が成績があがるというのがこの予備校のシステムの売りだった。遠隔教育では少数の優れた講師がいればその他大勢の講師はいらない、という遠隔教育初期に語られていた理想をこの予備校のシステムはある意味実現していた。
今、私は学習効果をあげるためのビデオの制作テクニックをいろいろ学んでいるが、結局のところ、そうした一流講師の技とテンションを制作技術だけでカバーできるノウハウは存在しない。テキストと音と絵の組み合わせをいかに工夫したところで、カリスマが学習者に与えるモチベーションを超えるものは作れていないのが現状だ。そして制作に力を入れれば入れるほどとコストがかかるので、いい講師をつかまえてくる方に力を入れたほうが安上がりだ、という考え方は賢明である。実際、前述の会社はその判断に基づいて、いい講師を確保することにエネルギーを注ぎ、制作は必要最低限のコストで回していた。
だが、制作にも工夫のしどころというのがきっとあって、それをつかめば、カリスマ講師のような存在に頼らなくても、標準的な講師でもいいコンテンツが作れるはずだし、そうすべきだ、というのが大学出たての当時の私の信念であり、それを追求するようにして私のその後のキャリアは展開されてきた。
私の関心はもともとビデオ教材にはたいしてなくて、今までにない新しい教育コンテンツを作ろうという漠然としたものだったのだが、今は教育用ゲームというテーマを見つけ、今までにない教育用ゲームを開発しよう、という形でより焦点が定まり、努力する道筋も見えてきた。まだ力量不足で苦労することは多いが、あと3年以内には、一つこれまでの集大成となる成果を世に送り出したい。