東京での暮らしもようやく落ち着いてきた。生活用品が揃っていなかったり、机といすの高さがあってなかったり、サブのスペックの低いノートパソコンを使っていたりと、自宅の仕事場ほどには快適ではないのだが、だいたい同じようなペースで仕事ができるようになってきた。今回の滞在は、あちこち出回ることは極力避けて、今目の前にある仕事を進めることに集中している。
飯を食べながらテレビを見ていて、けっこうおもしろくて、つい長いこと見てしまっている。アメリカでテレビを見るときは、慣れたとはいえ外国語なので、ある部分はがんばって集中してみないと理解できない。それが日本語になるとそのがんばっていた分の負荷がなくなり、自然と頭に入ってくる感じが新鮮でよい。そんなこともあって、テレビを見る時間は結構多い。
テレビを見ていて思うのは、アメリカのテレビと日本のテレビは、どちらが劣っているというのではなく、単にそれぞれの制約のもとで異なる発達の仕方をしていて強みや弱みが異なる、ということだ。日本のテレビ番組は、特にドキュメンタリー系と情報系のつくりが面白い。番組の表現手法やコンテンツの掘り下げ方は、アメリカのテレビ番組では発達していないノウハウがある。
昼の情報番組は、辛口の司会や人のよさげなタレントや文化人がぞろぞろといて、健康やグルメ、軽めの社会問題をひとしきりやって、というのをちょっとフォーカスを変えて、同じような感じのを各局でいくつもやっている。フォーマットが画一的で、このタイプの番組ばかり見ているとすぐに飽きてくるが、構成そのものはよくできていると思う。単体ではパワー不足でしゃべりももう一つなタレントでも、多数使うことで、なんとなくにぎやかな感じにして間を持たせている。創造性に欠けるところはややあるものの、制作側も出ている人たちも、毎日毎日よくやっているなあと感服するものがある。
ドキュメンタリー系は、プロジェクトXやガイアの夜明け辺りから派生したような、見ていると元気になる感じの、普通の人ががんばる様子にスポットをあてたものがずいぶん出てきた感じがする。ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの趣向とはまた違ったものがある。話の掘り下げ方や、展開のさせ方はうまく、30分や45分で見ごたえ感のあるものにするノウハウは相当なものだと思う。
ドラマも、「24」や「ザ・ホワイトハウス」のような作りこんだ複雑なドラマはないにしても、大河ドラマの「功名が辻」や、マンガ原作の「のだめ」などは違ったよさがあって、毎週その時間が楽しみになってくる。日本のドラマも捨てたものではないと思う。
最近、テレビのメディアとしての力の低下が問題視されているようだが、それでもテレビの持つメディアとしての力は相当なものがあると思う。これだけの量を日々制作し続けるノウハウと体力というのはものすごいし、この点はネット業界はまだ足元にも及んでいない。テレビ、雑誌、新聞など、日々発行し続けることを求められるメディアは、質を保ちながらその数をこなすことを求められる中でそのノウハウを培ってきた面があると思う。そこには業界特有の過酷さや歪みもあると思うが、数をこなしながら継続する、というのは何事においてもその基盤を作るための基本となる営みなのだろう。数をこなせるキャパシティがなければ普及もしないし継続もできないのであって、新しいメディアでも企業でも、そういう課題を乗り越えていかないと続いていかない。そういう点において、テレビのような確立された既存メディアの業界から学ぶことは多いと思う。