この夏は平日も週末もないような生活をしているが、人に雇われての勤めが終わるという意味では、金曜日は一週間の終わりの開放感がある。
日本で働いていた頃は、金曜の夜でも10時や11時まで働くことが多かったので、この金曜の開放感を感じる時間は、ほんの何時間かだけだった。飲みに行くかレンタルビデオを一本借りて見ればもうおしまい。土曜は土曜で気分が違うので、金曜の夜のありがたみを享受することは少なかった。飲み屋でよくやっている5時から7時のハッピーアワーなんてまったく縁がない生活をしていた。
それが今は、仕事は5時に終わり、外は9時頃まで明るい。夕方から寝る時まで、自由な時間はたっぷりある。そこにめがけて、事前に予定を入れておくのも一案だが、そうすると自分の中ではそこは「空いていない時間」なので、同じ楽しい時間であっても、まったく何の予定も入っていない空いた時間とはまた気分が違う。先週の金曜の夜は、そんな何の予定も入っていない100%自由な時間だった。
早めの夕飯を食べた後も、まだ外は明るい。映画でも行こうか、積んでて手のついてないゲームでもやろうか、そんな元気があるなら読もうと思って読んでない研究用の本でも読んだ方がいいんじゃないか、でもそれじゃ休みにならないし、どうしようか。今から友だちに連絡してもあれだしな。何か一人で楽しめる面白いことないかな、せっかくの時間だから、なんか能動的なことやりたいような、でもやっぱりだらっと受身なことやりたいような・・。という感じで、いろいろ考えていてもなかなか決まらない。決まらないまま、何もしないうちに時間は過ぎていく。
思い余ってとりあえずテレビをつけてみると、「24」の再放送をやっていて、なんとなくそれを見始めた。思った以上に疲れていたようで、ゴロゴロしているうちに、そのまま寝てしまって、目が覚めたら夜中の2時を過ぎてて、まだ眠いので布団かぶって引き続き寝た。結局、何をするということもなく、楽しい金曜の夜はそれで終わってしまった。
自由な時間があって、あれもできるしこれもできるが、どれにしようか、とボヤボヤ考えている時間は楽しい。でもその自由な時間が手に入ってから何をやろうか考え始めても、その時点でできることの選択肢は限られてしまっている。残された選択肢にしても、これをやれるなら、こっちができる、でもそれはそんなにやりたくない、と「やりたいことリスト」にあるはずの選択肢が、お互いを打ち消しあって、結局どれにも決まらない。決まらないままでいると、楽しかった悩みが、時間が過ぎていくにつれて嫌な感じになっていく。
週末のたった数時間のことなので、うまく使えなくてもまあいいやという気もするが、これは自分のキャリアや人生の時間、といったスケールでも同じ状況なんじゃないかという気がした。まだ若いし、いろんなことができる、あんなこともこんなこともやってみたい、これをやるにはまずあれをやらないといけない、でもあれをやるのはしんどいからどうしようか・・と考えながら、とりあえず目の前のことをこなしているうちに、やっぱり時間は過ぎていってしまって、ふと気がつくともう最初の頃に考えていたような選択肢は消えている、ということが起きる。
まあ、「人生至るところに青山あり」というやつで、何かを思い立った時がいつでもスタートラインになるし、最初に自分がいいと思っていたことは、後になってみればそうでもなかった、ということはよくある。なのであせる必要もないのだけど、自分がしっかりしてさえいれば手が届きそうなことを、みすみす逃すようなことが起きるのはやや寂しい気がする。かといって、計画でガチガチにし過ぎて「無駄な時間を費やす贅沢」がないのも、つまらないし、逆に計画がなさ過ぎて、いつまでたっても時間の遣い方が下手くそなのも、なんだかさえない。
翌日の土曜日、そんなことを考えつつ昼飯を食べていた。その日も特に予定が入ってなかったこともあって、このまま週末が無為に過ぎていくのはマズイ、まずは外に出よう、と思って、とりあえず買い物に出た。
すると、このようなさえない週末を送っているのを、天のお星さまが見ていて情けなく思ったのか、運のめぐり合わせがちょうどそういう流れだったのかは知らないが、スーパーで3人の別々の友だちに偶然出会って、食事やら何やらの翌週の予定が次々と入った。うちに帰ると、これまた遊びの誘いとか、日本に帰った時の飲みの誘いとかのメールが数件入っていた。子どもが生まれたというめでたい知らせまで入っていた。
不思議なこともあるものだと思いつつも、こうやって受動的に予定が入るのを手をこまねいてばかりではダメで、何か自分からも仕掛けるべきだなと反省しつつ、土曜の夜も静かに過ぎていった。