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生涯学習通信

「風の便り」(第46号)

発行日:平成15年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「学校マニフェスト」の時代

2. 政治問題の背景

3. 第39回  大分県立生涯教育センター移動フォーラム 「地域の教育力を問う」

4. 総合的学習の破産−文教政策の清算

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

政治問題の背景

I   高齢社会の意思表示

   政治問題には関わらないのが「風の便り」の原則である。したがって、今回の中曽根元総理大臣の政界引退問題を巡って、騒がしい報道にも関与はしない。しかし、この問題を巡って、急に高齢者の意思表示を大事にしようという議論を散見するようになった。中には、高齢社会では一定の数の高齢議員の席を保証すべきではないかとテレビで論じる評論家(竹村健一)もでた。竹村氏もすでに高齢者であろう。高齢社会は高齢者の数が増えるのだから彼らの意志と状況を政治に反映するシステムが重要であるというのである。

   しかし、日本の高齢者は忘れていないか?日本社会の基盤は長く終身雇用であり、年功序列であった。最近になって崩れてきたとは言え、道徳的には「長幼の序」を守り、先輩、後輩の序列はすべての決定に大きく影響を与えてきた。大学の運動部が象徴したように、1年は家畜、2年は奴隷、3年になって初めて人間、4年が神様であった。要するに、若い人が議員になったり、意思決定プロセスに参加するのはあくまでも例外であった。あらゆる会議において、若い人の意見が聞かれたことはなかったのである。西欧諸国と比べてみれば明らかであろう。日本社会は若い世代の意思表示を保証したことはないのである。

   高齢社会になったからといって、今さら高齢者の意思表示をシステムの上で保証せよとは笑止である。高齢者も意見は大いにいうべきであろう。議員にもおのれの力で立候補したら良かろう。アメリカのように、高齢者が自らの力でまとまって戦う集団を組織できるのであれば組織すればいい。その元気と活力は天晴れであろう。しかし、自らの発言と地位を社会に保証されて、いつまでも未来の決定に関わるべきではない。相談役とか最高顧問とかいつまでも年寄りが残ること自体が若い人々の発言を抑止している元凶である。合併問題が揉めるのも、学校の統合がにっちもさっちも行かないのも大方は高齢者が揉ませているのである。若い世代の長い未来を先の短い高齢者が決めることは遠慮してはどうか?年金を貰うようになったら部分的ではあれ、社会の被扶養者となり、システムの厄介になる。自らを姥捨て山に背負って行けと倅に迫る「楢山節考」(深沢七郎)のおりんばあさんの気迫は学ぶべきである。高齢者の仲間になって思う昨今である。

II  「敗者」と「弱者」

「敗者」の感想

   「敗者」と「弱者」を混同してはならない。「弱者」は社会が救済・支援しなければならない。しかし、「敗者」には救済よりは、復活戦の機会を準備すべきである。時に、日本社会は、往々にして、敗者に機会を与えず、まだ戦えるものまで弱者にしてしまう。「敗者復活」戦の舞台が足りないからである。

   筆者は大学改革の指揮をとって8年、最後の3年間はすべての状況が我に利あらず、八方ふさがりであった。やむなく理事会の総辞職を取りまとめて結局は大学を辞めた。4年前の8月である。残って戦えばそれまで自分を支えてくれた同志や教え子をシステムの上で敵に廻さなければならなくなる。その時は「引く」しかないと判断したのである。大学改革が戦いであったとすれば、改革に失敗した筆者は「敗者」であった。年度の途中で辞表を提出したので、その後の人生をどのように生きるか思案に暮れた。その決定は家族と自分に関わる重大な岐路であった。アメリカで鍛えた英語を使って通訳になろうか、それとも嫌気のさした世間に完全に背を向けて隠遁の暮らしを始めるか思いは千々に乱れた。大学や学会と縁を切って、独立の社会教育研究者の道を選んだのは、公民館がくれた家庭教育学級とまちのボランティアで英語を教え始めたことが切っ掛けであった。そのあとは昔の仲間と教え子達が支えてくれた。

「自由の刑」

   辞表を提出して以来の6か月は文字どおり熟年に与えられる「自由の刑」であった。一日中一人の訪問者も無く、一本の電話も無い。どこへいってもいい。何をやってもいい。自然は昨日までと同じだが同じようには見えない。時間は昨日までより自由なのに自由の実感はない。「自由の刑」においては、日々のスケジュールが崩壊するのである。先々月の論文に書いたとおり、心ときめく非日常の自由は「確固たる日常」が存在して初めて自由の意味がある。毎日が日曜日の中から自らの生き甲斐と張りを見い出すのは至難のわざであった。「確固たる日常」を失った時、自由こそが最大の敵であった。家族はそのことを直観したのであろう。修羅場のいたわりはありがたかった。

「敗者復活」システムの不在

   今になって振り返ると、改革に失敗した自分は疑いなく「敗者」であったが、「弱者」ではなかった。辛うじて隠遁願望から立ち直ったのは、「敗者」は敗者復活戦に挑むべきであろう、と考えたからである。もちろん、初めは、「敗者復活」の自覚もなく、意識もなかった。日本社会には、「敗者」が復活戦を試みるシステムもルートもほとんど無い。一度職を離れた中高年が苦しむのはそのためである。ハローワークへ出かけたところで、中高年の知識/技術はすでに陳腐化して使い物にはならないのである。彼らを受け入れる職業訓練校そのものが陳腐化しているのは周知の事実であろう。生涯学習理念に基づいた大学のシステムも結局は無いにひとしい。「夜間開講制」もない。「サマースクール」も無い。「単位の累積加算制」も機能していない。大学になれていない社会人を懇切に支援する「「オフィス・アワー」も実質は機能していない。ほとんどの教授陣は成人学生を指導した経験が無いのである。図書館も夜間や週末はろくに機能していない。当然、社会人学生を初めとした学生の教授評価も機能しない。ほとんどの大学において、文部科学省が反強制的に導入を示唆するまで学生による教員評価が導入されることは無かったのである。もちろん、それが導入された現在も教員評価はかたちだけに過ぎない。評価結果が悪くても教授会は「問題教員」の解雇には同意しない。終身雇用の指導者が厳しく評価されない時、変化の時代の指導者足り得ないことは自明であろう。それゆえ、職業訓練校も、大学も敗者復活戦を準備するシステムにはなっていない。

   かくして、労働力のミスマッチは明らかなのにそれを是正するシステムはほとんど機能しないのである。競争に破れ、事業をしくじったとしても、彼らは夢破れた「敗者」ではあっても、「弱者」ではない。当然、職業からの引退者も「敗者」ではない。「敗者」には保護や哀れみではなく、活動や敗者復活の舞台を与えるべきである。日本の福祉思想はややもすれば「敗者」を「弱者」として処遇することによって本当の弱者に転落させてしまう。活動の舞台がなく、戦場のない「敗者」はやがてみずからを「弱者」と思いはじめる。事業に失敗したものに銀行はお金を貸さないという。失業者の低い知識/技術水準を向上させるべき訓練校や大学の試みは無きに等しい。競争を悪だと見る学校教育では健全な「敗者復活」の思想は育っていない。日本の構造改革は日本人の精神にも及ぶべきであろう。

   競争を敵視し、努力するものを評価しない国には「敗者復活」の機会や仕組みは生まれないのである。 

III   午前5時半の謝罪

   日本テレビの視聴率買収事件は一気にメディアの信用を落とした。マスコミは情報を支配して世論におおきな影響を与えることができる。それゆえ、人は、三権に加えて「第4の権力」と呼ぶ。民主主義の建て前は「民の意思」が最重要である。メディアが大規模化して、「民意」を創りだせるようになれば、メディアはすでに「民の意思」と同一化して、「第1の権力」である。そのためであろう。今回の日本テレビ問題は、幾つかの新聞がトップで報じた。視聴率の操作は、世論操作を意味し、したがって、世論調査一般の操作を連想させるからである。

   それでなくてもメディアが真実を報道しているかどうかは信用出来ないことが多い。噴出する不祥事は世間ではとうの昔に囁かれていたことが多い。今に始まったことではないのにメディアが事前に報じたことはめったにない。記者クラブと関係機関の癒着は多くの研究者が指摘しているとおりである。記者クラブから外国人記者を排除していることも周知の事実である。報道の公正も怪しいものだと多くの日本人は思っているだろう。

   筆者には個人的にも苦い経験がある。勤務していた大学が報道の対象となり、メディアのニュースが如何に一方的で、いい加減な取材で作られるかは身を持って体験した。それゆえ、”やらせ”番組にも、視聴率の操作にもそれほど驚いてはいない。

   しかし、今回の恥知らずのお詫び放送は改めてメディア関係者の堕落を認識する新鮮な驚きであった。NHKBSのニュース(10月26日)によると、日本テレビは社長のお詫びを日曜日の午前5時半に放送したという。確かに早起きもいるであろうし、徹夜組もいるであろうが、ほとんどの日本人は日曜日の午前5時半にテレビは見ないであろう。午前5時半のお詫びはお詫びにはならない。メディアの病いの根は深い。

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