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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第101号)

発行日:平成20年5月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 思考の断片-想像力の散歩-中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会-第27回大会寸評-

2. 思考の断片-想像力の散歩 -中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会-第27回大会寸評- (続き)

3.  「寺子屋」の危機

4. DV法を読む-「筋肉文化」の傍証にならない

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ  

1  生涯学習移動フォーラムin SAGA
  日程:12/13(土)−14(日) 
  場所と中身:佐賀市勧興公民館「まちの駅」→佐賀市富士生涯学習センター(古湯映画祭会場)
* ついでのお知らせ:佐賀市勧興公民館「まちの駅」(以前「風の便り」−「祭りの思想」を発明する、という記事でご紹介しました)2周年記念事業-2008・6・14(第2土曜日)10:00AM開始、問い合せ先;TEL/FAX0952−23−6303
2  生涯学習移動フォーラムin OKAYAMA
日程:平成21年1月26日(日)−27日(月)
 場所:未定 、 内容(仮):「熟年者マナビ塾」と「シニアスクール」
3  三浦清一郎 新著、「しつけの回復 教えることの復権」(学文社)は5月15日に刊行しました。
 


■■■■■ 編集後記: 「無常」−「一期一会」  ■■■■■

 「一期一会」とは、茶の湯の「心得」で一生に一度のことをいう、と辞書にある(現代国語辞典、三省堂、第3版)。驚いたことに岩波書店の「広辞苑」には熟語としては出ていない。旺文社の「成語林」の熟語集にも出ていない。人生は「不帰」が定めである以上、あらゆる時間もあらゆる季節も二度と繰り返すことはない。それゆえ、一期一会は茶の湯に限らず人生の心得であるだろうが、名だたる大辞書に出ていないとはどういうことであろうか?
 茶道に限らず、「心得」は作法や実践の原則と理解すべきであろう。茶の湯の心得は死を予感して戦場に赴く武士をもてなした時の心境を慮って生まれたものだろうか?あるいは年老いた宗匠が「客」との近未来の死別を予想して生まれた発想だろうか?学校で習った言語知識として知ってはいても、想念の上で死から遠い若い頃には日々を左右する生き方の原則であるなどとは思っても見ない「心得」であった。いずれにせよ一期一会は死を前提にして生まれたとしか考えられない。人とお会いして「この方には二度と会うことはあるまい」などと思うのは礼にもとること甚だしいが、年を取った自分にとって事実であることは間違いない。思わず気持ちを込めたごあいさつをすることになる。筆者にもようやく日常化して来た心得である。
  「一期一会」に先行した概念は「無常」であったに相違ない。「無常」は「常のないこと」で、仏教のいう「一切のものは生滅・転変して常住でないこと」をいう(広辞苑)。また、「無常」に先行したのは「有為転変」であろう。「有為」も「転変」も梵語で「諸種の因縁が和合して、万物が生滅・転変して変化すること」を意味している。インドにおける宇宙論の一つであるという(広辞苑)。「いろはにほへと」に続く「有為の奥山」の「うい」である。
 3月のペンシルバニアへの旅は、途中の行程に疲れ果て、筆者のいわゆる「老齢実感」に苛まれた。長旅もこれが最後かと愚痴も出たが、思わぬ視点も得た。
 これが最後かと思えば山川草木、風景の見え方が異なり、旅のあわれも極まる。娘の新居の台所の片隅の小さなテーブルを囲むような日溜まりも朝の光の中でたぐいまれに美しい。散歩の相手をしてくれた犬のタッカーも、サスカハンナ河の早春の光も、楓の森を吹き抜ける冷たい風さえいとおしい。忘れっぽい自分なのに「一期一会」と思えば,いくつかの風景が目に焼き付いて離れない。
 西行の「山家集」も、芭蕉の「奥の細道」も、これが最後かと思ってさすらった旅が生んだものに相違ない。旅は人に無常を明示し、一期一会を突きつけるのである。遠くへの旅はなおさらであろう。旅の風景も、旅の出会いも、ふたたびこの地に帰ることはないということを人間に具体的に予感させる。人生のあらゆることが「常態」や「平衡」を保つことはできない。「無常」は、時に、私たちを勇気づけ、時に気を滅入らせる。この世のことはなにごとも確かではないが、どんな不幸も永遠に続くわけではないと思えるからである。「このとき」は「このとき」しかない、と思えばたわいのない日常の一こまですら「永遠化」する。娘の家の台所の隅っこの朝の日溜まりが美しいと思ったのはそのせいであろう。生存の安全と安心が保証された現代、人が人生に慈しみを失い、「もののあわれ」から遠ざかったのも「安泰」に慣れて一期一会の事実が見えにくくなったからに相違ない。筆者の老齢と異国の旅が相俟って思わぬ「無常」の自覚に導かれたと思っている。熟年の旅も人生も全てこれからは「一期一会」。
 先週、中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会の第27回大会が終わった。ふたたび早春のペンシルバニアに戻ることがないように、ご参加のみなさまにふたたび同じように同じ風の中でお会いすることはない。第28回大会はどんな風の中にあるのか?果たして自分はその風の中にいるのか?広島の友がいわさきちひろさんの「空」をモチーフにした「千の風になって」の絵本を下さった。筆者の英語のクラスの生徒さんが持って来て下さった原詩は次のように始る。「Do not weep at my grave. I'm not there. I do not sleep. I am a thousand wind that blow」。死者は、吹き渡る千の風になり,穀物に降り注ぐ光となり,やさしい秋の雨となり,ダイアモンドのように輝く雪となり、夜空に瞬く星になり,空を舞う鳥になってあなたの側にいる、とつづく。人気の歌もまた、一期一会のさよならの作法か?
 


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori (@) anotherway.jp

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