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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第101号)

発行日:平成20年5月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 思考の断片-想像力の散歩-中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会-第27回大会寸評-

2. 思考の断片-想像力の散歩 -中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会-第27回大会寸評- (続き)

3.  「寺子屋」の危機

4. DV法を読む-「筋肉文化」の傍証にならない

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

思考の断片-想像力の散歩 -中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会-第27回大会寸評-

 

 第27回大会は史上最高444名の参加登録を頂きました。はじめて愛媛からのご参加も頂きました。沖縄の皆さんのご参加も増えました。琉球大学の学生諸君に取って交通費だけでも大変なことでしょう。大会はすこしでもお役に立ったでしょうか?東京や千葉や滋賀など遠路お出でいただいた皆様は関係者の誉れです。手作りの大会ですから,発表資料の作成から司会まですべてご参加の皆さんにお願いいたしました。前夜祭から競り市まで、たくさんのご支援を有り難うございました。また,例年通り、古市勝也教授、永渕美法准教授の下で学ぶ学生諸君が受付を担当してくれました。なかんずく、大会は会場を提供して下さった福岡県立社会教育総合センターの全面的なご協力を頂きました。手づくりと言いながらもセンターとの2人3脚でなければ到底成り立ち得ない大会です。来年もまたお会いできるといいですね。「衣食住」に「生涯学習」を加えて「衣食住学」の時代に入ったのに,生涯学習推進行政は後退の一途を辿っていると思います。政治も,学会も、行政幹部も勉強が足りない,と批判することは容易いのですが,問題は我々の実践ですね。我々が打ち立てるべきモデル事業がいまだ世間を動かすだけの力を持たず、貧しいのです。以下は大会に参加して感じた思考の断片−想像力の散歩の一端です。

1 女性の怒り―女性の不機嫌
(1) 女性の時代が来たのです
 実行委員の役目がら筆者は個別の発表プログラムにこだわらずにすべての会場をぐるぐる回り、断片的ながら満遍なく取材する形で事例発表を聞きました。初日の開会式から感じたことでしたが,この大会に「女性の時代」が来た,というのが第1印象でした。プログラムが進むに連れてますますその感が深まりました。各会場の発表者/質問者の3分の2は女性でした。
歓迎のごあいさつから司会・発表まで、既に「物怖じ」せず、「人怖じ」せず、男性に優るとも劣らぬ女性が雄弁に意見を発表し、疑問を呈し、討議に参加していました。 
 筆者は最終日の特別企画のインタビューダイアローグで、「子ども政策の総合化」の司会を担当しました。行政がどのように「少子化」や「子育て支援」の現状を診断し,どのような処方を講じようとしているかを総合的に問おうとした企画でした。登壇者には、近隣の現状で、最も先進的な行政の事例を選んだつもりでした。
 大会参加者の大部分が所属する自治体を始め、相変わらずの「たて割行政」は,現実の変化がもたらす複合問題にまったく無力で,無能だからです。

(2) 「家庭は教育の原点」!?
 先進事例を出したつもりでしたが、結果的には,子どもの幸福論も,子育て支援策も、少子化対策も、男女共同参画の推進を前提にしなければ女性に受け入れられることはない,ということがはっきりしました。したがって、実際に、男性の育児参加、女性の社会参画を前提としない子育て支援施策は機能しないということも明らかになりました。
 司会をしながら、登壇者が、「乳幼児を抱きしめるのは母」、という趣旨の発言をすると、会場のどこかが「しーん」となります。労働環境を整備して親が子どもと接する時間を持てるようにすべきだと言う発言がありました。しかし、その前提が,「早く帰って来るべき人は母」と分かれば、ふたたび客席の一部が「しーん」となります。もちろん,「沈黙」は無言の抗議に違いありません。「家庭が子育てに責任を持てるよう『一馬力』で生活が出来るような労働環境」を確立すべきである、という発言の背景は「稼ぎ手は父」です。したがって「子育て責任は母に帰する」ということになります。会場にはさざ波が立ち、やがて会場の一角が氷のような沈黙につつまれます。「子育てをまるなげするな」にも、「子育て支援機能をコンビニのように使うな」にも、「養育まで外部委託するな」の発言にも,第1線で活躍して来た女性の冷たい視線が返ってくることを、最優秀に属する男たちですら(時には女も)理解していないのです。今や「養育の社会化」は不可避です。行政の子育て支援策は未だ「入り口」に差し掛かったばかりなのです。施策が不十分なのは「女性の時代」が来たことを理解していないからです。教育基本法から子育て支援施策に至るまで、「子育ての原点は家庭である」という思想を疑ったことがないからです。熊本県が始めた「あかちゃんポスト」は言語道断だと思っているからです。社会が養育を引き受け,「子育ての原点は社会であってもいい」とは誰も言わないのです。
しかし,現実は事実そうなっているではないですか!?一方で,実力派の女性は家庭に籠ることを断固として拒否し,他方で,戦後教育で育った多くの親世代の家庭の教育機能は崩壊しているのです。多少の子育て支援策や「早寝,早起き、朝ご飯」ごときのスローガンで家庭の教育力が回復する筈はないのです。

(3) 養育・教育機能の衰退
 家庭の「養育・教育機能」を現状のごとくに崩壊させた原因は、教育学的には、現代の親世代すなわち過保護1世の子育ての失敗です。社会学的には、「男は外で稼ぎ,女は家を守る」という性役割り分業を女性が断固拒否したからです。しかも,男は女の拒否の意味を自分の日常の「生活スタイル」の変革に繋げることができず、家事も育児もいまだ女の仕事だと思っていることでしょう。政治が何を言おうと,行政がどんな施策を打とうと,女性が子育てや家事のためだけに家庭に戻ることは金輪際あり得ないのです。それゆえ、少子化は止めることはできません。男たちの結婚難は続き,女たちの非婚化傾向も続くことでしょう。彼女たちが今大会で見せた実力は、男が設定する育児や家事の発想と戦いながら勝ち取ったものでしょう。彼女たちは,男を育児から除外したあらゆる子育て支援発想を拒否します。あるいは結果的に男を除外することになる事を承知の上で,「家庭は子育ての原点」という誰もが当然とする思想を拒否します。閉会後,待ち構えていたかのように,「何よ、私たちが通って来た環境や実態を知らないあの発言」と筆者は何人かの女性から噛み付かれました。「女性の時代なのです。文句があるなら自分で立って言ってください!」「インタビューの3分の2は会場の発言に割いた筈です。」と答えました。怒りも不機嫌も分からなくはないが、司会者に当たらないで!!!

2 中学校専門熟年者「マナビ塾」の創設
 飯塚市の熟年者マナビ塾は開設間もないシステムですが様々な可能性を秘めている事は100号巻頭論文で論じた通りです。大会では開設に至るまでの理念の整理、展望、実務の困難点、活動の成果と今後の課題が論議されました。会場との対話の最後に、準備に関わった山本健志指導主事が「中学校での学び塾構想はあるだろうか」と将来の課題を投げかけました。
 山本先生の発言は、筆者に取って素晴らしい「問い」でした。瞬間的に、中学校の場合は、専門的職業に就いていた熟年者の「マナビ塾」だと直観しました。定年の専門職業人を組織化して中学校に導入すれば、「キャリア教育」などは半分解決したようなものになるでしょう。専門職業のロールモデルが学校の中にいれば、今の中学生といえども多少の尊敬や敬意は払うに違いありません。また,学校も礼節や分業の原理を指導しやすいのではないでしょうか?かつての専門職業の職名・職務内容・経験のエピソードに加えて、本人の氏名が「学び塾」の教室の前に張り出され、スケジュールを決めて,「面会自由」の札が下がれば、生きたモデルに対する中学生の興味や関心も高まることでしょう。過去の名刺にこだわって、「地域デビュ―」に困難を感じている熟年者も、中学生が相手で自分の過去の専門性が注目の的になるというのであれば、今は一介の年寄りに成り果てていたとしても、「地域のステージ」を得ることになります。過去の活躍の日々について問われることは、誇りになっても屈辱にはならないでしょう。老いたりとは言え、かつてのプロフェッショナルが校内を闊歩すれば、教員は多少萎縮するかもしれませんが、現在の学校の閉鎖的唯我独尊状況を打ち破るには「萎縮」もまた有効なのではないでしょうか。この問題を論ずるため、閉会後、岡山で、中学校を拠点に熟年者の「シニアスクール」を実施している藤井さんと話が弾みました。県の教育委員会でお仕事をしている福原さん、安田さん、塩飽さんの賛同も得て来年1月26(日)−27(月)に岡山移動フォーラムを実行することを仮決定しました。ご期待ください。
 


 

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