今週から新学期が始まった。気温が穏やかで、ゴルフでもできそうな気候なのだが、修了試験が2週間後なので、ひたすら準備で読書と資料作成に追われている。試験は、まず二日間の筆記試験で、一科目4時間で4科目、試験の日は朝8時から夕方5時までラボのマシンに向かう。科目は学習理論、インストラクショナルデザイン、リサーチデザイン、システム&チェンジの4つである。それにもう一つ、副専攻の課題が出される。筆記試験の二週間後に口頭試験があり、4科目の回答と副専攻の課題で書いた内容についての質疑応答がある。
今までに授業の課題で出された文献を読み直していると、前に読んだときにはさっぱり理解できなかったものが理解できるようになっていたりする。予備知識もなくいきなり一回読んだくらいではものになってないんだなと思うと同時に、これがわかってなかったとしたら、当時は何をわかった気になっていたんだろうかとやや情けない気がしてくる。試験勉強は苦手だが、これまで3年半で学んだことを復習する機会としてはありがたい。
ここ数日は学習科学の文献を中心にカバーしている。EduTechマガジンで、学習科学とISDの共通点と違いについて、両分野を代表する研究者たちが議論するという特集がちょうどいいネタになりそうだったのでカバーした。それぞれの立場から、学習科学はこういう特徴があって、ISDはこんなところが違う、というのをそれぞれに指摘し合っている。その中で、インディアナ大のBarabとかDuffyのようにISDプログラムがあるところにわざわざ学習科学プログラムを作っている人たちは「ISDはこういうところが弱いけど、そこは学習科学はこんなにすごいんだぞ」という主張をする傾向があって、それをISD側の代表エディターCarr-Chellmanが「そんなことはISDでもカバーしてきているので、イシューではない」と釘を刺していたり、逆にインストラクショナルシステムズプログラムの一員になったHoadleyやSmithのような学習科学者たちは、「違いはあるし今まで不思議と接点がなかったけど、どっちがすごいとかいう話ではなくて、これからはもっとコラボレーションしないと」という主張をしているところは面白い。違いを示すことで自分達の存在意義を示そうとがんばる人もいれば、細かいことはこだわらずにうまくやっていこうという人もいれば、自分達の領域にあまりよく知らない人たちがいるのに気づいて、居心地が悪いので相手を自分の中でどこかに位置づけたいという感じの人もいて、この辺は純粋に学問領域の話をしているというよりは、研究者同士の政治的な状況とか、研究者自身のアイデンティティの問題が反映されているようである。
学習科学とISDには、お互いの出所とフォーカスと研究アプローチの違いが若干あるにしても、それらは別に相容れないものではない。この特集で示されているメッセージは、よりよい学習環境を作るという点で目指すところは一致しているのだし、今後はもっとお互いの領域でうまく協力していきましょう、というところで、それは全くその通りだと思う。領域の中にいると違う気がしても、外から見ればそんな違いは違いとして認識できない。言ってみれば県民性の違いを云々しているようなもので、千葉県人と埼玉県人はこんなに違うと言っても、九州人にはそんなものはよくわからないし、関西人と関東人の違いだって、アメリカ人からすれば同じ日本人にしか見えないわけで、所詮はその程度の違いである。
行動主義と構成主義の間や、実証主義者と質的研究者の間でも論争が起こってきたが、それらもつまるところは研究者の政治とアイデンティティと個人のメンツの問題で、議論の中心にあまり柔軟でない人や強硬に自分達の存在意義をアピールし続ける人がいることでこじれているだけのことである。アカデミズムのディベートはちょっと見るには面白いけれども、メンツをかけてやる人たちがいるから話がめんどくさくなる。ディベートで論点が明確になったらあとはパーソナルに取らずに、感情的にもならずに、いいところはお互い取り入れつつ、仲良くやっていきましょうよ、というところで。