★★★★★ 第73回 お知らせ 「ゆず湯」と生涯学習「忘年フォーラム」 ★★★★★
● 事例発表/研究 1「青少年の野外教育の現状と課題について」 (財)青少年野外教育財団(交渉中)
2 ポン太の森の青少年教育事業 福岡県小石原村レクリエーション協会 小野豊徳 氏
● 論文発表 「読み、書き、体操、ボランティア」 三浦清一郎
● 日時: 平成18年12月16日(土)15時〜17時、
研究会終了後、センター2F「和室」にて表記の「ゆず湯忘年会」を予定しています。忘年会は持ち寄りの鍋料理を企画しています。準備が大変な皆さんは会費2000円程度を当日徴集させていただきます。当日はセンターのお計らいで宿泊も可能ですので1年を振り返ってゆっくり語り合いたいと思います。遠くの皆様もどうぞ奮ってご参加ください。
● 場所: 福岡県立社会教育総合センター
会場その他準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:朝比奈)092ー947ー3511まで
*先のことですが、2月17日(土)のフォーラムは島根県益田市の綺羅星7事業に加する「移動フォーラム」です。ご都合がつきましたらご一緒に万葉の町に参りましょう。
*来年3月の定例フォーラムはセンター事業及び大学の卒業式等の関係で日程を第3土曜日から第2土曜日に変更し、3/10(土)に開催いたします。どうぞ日程の調整をお願い申し上げます。
●●● 編集後記 「教育公害」は必ず来る!!! ●●●
すでに現代の教育は「へなへな」で、「自己中心的」で、「欲求の固まり」のような子どもを大量生産し続けている。非行やいじめの横行を見れば、確かに子どもの一部は「被害者」であるが、同時に最大の「加害者」であることは疑いを待たない。社会規範を体得していない子どもはまさしく教育公害の産物である。現在の方策を続けても、「教育公害」は決して止まらず、その被害程度はますますすさまじくなるだろう。
先日我が家はホームパーティーのホストを務めた。筆者も妻を助けてかいがいしく働いたつもりである。記念すべき大事な会合だったので参加者はゆっくり話したかった筈である。それゆえ子どもの参加は認められていなかったのだが、不幸にも3人の子どもが来た。飼い犬のカイザーもレックス(生後3か月のカイザーの息子)も、騒ぎまくる子どもへの興奮と怒りで唸りっぱなしで、吠えっぱなしであった。監督をしない親は誠に非常識である。筆者も年をとって多少は丸くなったので最後まで怒りを堪えて怒鳴ることはしなかったが、子どもが帰ったあとのこの疲れかたはどうだ!!妻もへたり込んだが、犬達もへたり込んだ。子ども達はまさしく無秩序の離れザルのようであった。子ども会の役員の引き受け手がないのは当然である。
先日の講演で、「半人前」の言い分は「半分」だけ聞けばいい、と提案した。子どもの欲求を「人権」や「興味・関心」と混同して野放しにしたことが保育所から学校までを混乱に陥れた原因である。
また、子どもは「つ」のつく年(9つ)までは教えるべきことは叩いてでも教えよ、と子育ての経験則を紹介した。教育の「適時性」を逃せば後からの教育は何倍もの時間とエネルギーを必要とし、子どもが社会性を獲得するまでの諸々の「被害」も著しく拡大する。「三つ子の魂は百まで」、であり、まさしく幼少年期は人間に移行する「ひと」科の「動物」の段階なのである。
辛うじて言葉は通じるが、まだ「動物」の段階にある子どもの主体性や自主性を過剰に優先してはならない。礼節と作法の基本は叩いてでもしつけるべきである。我が家の犬達は不作法に騒ぎ廻る侵入者の「ひと科の動物」を吠えまくったのである。子どもが帰った後ようやく静かになった部屋で居残った人々が歓談したが、犬達はひとり一人を訪ねて大人しく頭を撫でてもらったのである。われわれ夫婦は二度と子連れの会合はやらないと確認した。
しつけ不在の子どももアホで、哀れであるが、関係者の怒りが見えない親は更にアホなのである。「児童中心主義」の副作用は、今や、火を見るより明らかである。文部科学省が何をいおうと「児童中心主義」を修正して、子宝の風土の過剰な「保護と放任」の同時存在を厳しく修正しない限り、家庭教育の支援など夢の又夢である。学校の再生も夢の又夢、「早寝」、「早起き」、「朝ご飯」も夢の又夢である。
月末には教員を中心とした研修会を担当する。筆者の問うべきことは以下の通りである。果して現代の教師に通じるか、それとも平等と人権の思想に反する笑止の沙汰と嘲笑われるか?
(1) 「自分でやる(自律)」ことを教えるのは「他律」ではないのか?
(2) 幼児を危険から守るのは「強制」と「強迫」ではないのか?
(3) 優れた少年は「育った」のではなく「育てた」のではないのか?
(4) 「児童中心主義」教育思想は「児童が中心でない社会」の教育思想ではないのか?
(5) 子どもが中心にいる「子宝の風土」の教育は教師が中心でなくていいのか?
(6) 子どもの欲求・興味にかかわりなく「教えるべきこと」を教えなくていいのか?
(7) 子どもの「主体性」・「自主性」に関わりなく止めるべきことを止めなくていいのか?
(8) 「指導をする者」が「指導を受ける者」より「偉い」ということを家庭に徹底しなくていいのか?
(9) 子どもの「基本的生活習慣」を崩したのは家庭である。だったら同じ家庭に再建が可能なのか?幼少年期の「自律」は「他律」の強制によって教えるのである。学校は子どもを親元から離して基本的生活習慣と社会性を叩き込む現代の「子ども宿」になるべきではないのか?
(10) 基礎学力の基礎が「基本的生活習慣」であるとして、基本的生活習慣の基礎はなにか?教育は「体力」と「耐性」のトレーニングの原点まで戻らなくていいのか?
『編集事務局連絡先』
(代表) 三浦清一郎 E-mail:
kazenotayori (@) anotherway.jp *尚、誠に恐縮ですが、インターネット上にお寄せいただいたご感想、ご意見にはご返事を差し上げませんので御寛容にお許し下さい。
|