お知らせ
第3回生涯学習フォーラム
日時:7月19日(土)15時〜17時
場所:福岡県立社会教育総合センター
テーマ:生涯学習時代のグループ・サークル
発表者:交渉中
参加論文:機能集団:グループ・サークルの「生涯学習と社交」の意味(仮題)(三浦清一郎)
フォーラム終了後センター食堂にて夕食会
事前参加申込みをお願い致します。(担当:肘井)09−947−3511まで
オンライン「風の便り」
公開を約束しておよそ1年になりました。米国ペンシルヴァニア大学院の藤本 徹さんのお力で「風の便り」がようやくオンラインになりました。URLは下記の通りです。これで一般に公開することになりますが、これまで通りの「風の便り」誌の発行も読者の皆さんがもういいぞ、とおっしゃるまでは続けるつもりです。
編集者はかつて体験した大学の陰湿で、汚辱に満ちた紛争以来、不特定多数の世間と交流する意志はありません。オンライン上で意見などお寄せいただく事があろうかと思いますが、ご返事は差し上げませんので、あらかじめ紙上を借りてお断り、お詫び申しあげます。お許し下さい。 URL:
http://www.anotherway.jp/tayori/
編集後記−碧梧桐の宿
島原の宿は「南風楼」。俳人碧梧桐が愛したという宿に泊めていただいた。38年ぶりという5月台風が来ていた。噴火で隆起した「平成新山」の真下まで行くと、雲仙普賢岳は厚い雲の下に聳え立ち、自然界の威厳を誇示するかのようであった。溶岩や火砕流で焼けこげた筈の大地にはすでに若木が育っていた。自然の回復力には眼を見張るものがあった。大会が終って疲れた身体を心地よい湯に沈めて30分も夜の音を聞いた。海に突き出した深夜の露天風呂は他に客もなくたったひとり。台風が運んで来た南風が轟々と木々を揺すり、宿は文字どおり「南風楼」であった。普段は穏やかな有明海もこの夜ばかりは波が高く岩に砕け散って波音が絶えなかった。筆者は社会教育関係の懐かしい方々との歓談の余韻醒め難く久々に夜更かしをした。島原市教委の原 洋さんのお骨折りで大会に関係した現役とOBが集まって下さった。なかでもかつて長崎県庁でお世話になった宮崎金助さんとの再会は自分に新しい衝撃をもたらすことになった。
Wilcadoo
この変な横文字は英語の「will」と「can」と「do」を合成したものだという。日本語に約せば”なんだってやれるさ”ということになる。宮崎先生の娘の美奈さんは大学時代の不運な事故が原因で下半身が不自由な車椅子の生活になった。その彼女が家族の励ましと自らのがん張りでオーストラリア大陸4、200キロを車椅子で横断したという。
基調講演で筆者は、「柔な日本の子どもを鍛えよ」と声張り上げて力説した。「体力と耐性の土台を確立しなければすべての指導は不可能である」と強調した。迫りくる台風にもかかわらず集まった大ホールの皆さんは熱心に聞いて下さった。その直後のことなので、宮崎さんの話は様々に衝撃であった。まず、美奈さんのやったことは「鍛える」などというレベルを遥かに越えている。親の耐えた苦しみも想像を絶している。その彼女が書いた本のタイトルが「なんだってやれるさ」(荒木書店、1993年)であった。「子宝の風土」の”家庭に自立の教育力はない”、というのが私の持論であるが、当然例外もある。宮崎家は眼を見張るような例外であった。美奈さんは旅の途中で見つけたWilcadooの立て札を借りて書名にしたということなのであろう。いただいた本は帰途の車中で読み始め一気に最後まで読んだ。子どもが目標を見つけた時、プログラムにごちゃごちゃした理屈は要らない。要するに、「生きる力」を育むということは、彼等の挑戦に向かってまっしぐらに進む事である。「お前ならできる」という応援と事物の準備が大人の務めであろう。美奈さんは今、アメリカで結婚して新しい生活を始めていると宮崎さんがおっしゃっていた。天晴れの気概である。
「老齢期するところはないが、、」
私はこの本を自分に引き寄せて読んだ。加齢とともに、諦めかけていたことがある。この辺で良いかと見切りを付け始めていたこともある。「足ること」を知らねばと思い定めていたこともある。それゆえ、彼女の挑戦にむち打たれた感がある。序文を寄せられた栗原一登さんも同じ思いであったようである。序の末尾に次の一文があった。「私は西洋医学で車椅子を宣告され、リハビリテーションで歩く力を得た。未だに後遺症の数々があるが、未知の東洋医学で何かを得たいと貪欲である。老齢期するところはないが、宮崎美奈さんの若さに煽りを受けての奮いたちである。」東洋医学を己に試すために栗原さんは北京へ渡ったという。
高齢期はふと油断をすれば、心身の機能が一気に衰える。青壮年期とは多いに異なる。しかし、「生きる力」の中身に少年との違いがあるはずはない。確かに「老齢期する所は少ない」が、日々己を鍛えて「やれるところまでやる」。それが我が愛する作家藤沢周平氏が小説「三屋清左衛門残日録」に書残した遺言であった。藤沢氏の名作「三屋清左衛門」をだれか映画にしていただけないだろうか。ただし、「たそがれ清兵衛」のように勝手に原作の設定を変えないでもらいたい。高齢社会はモデルとしての三屋清左衛門やたそがれ清兵衛を必要としているのである。清左衛門は隠居の悲惨と生涯学習の可能性を示し、「たそがれ清兵衛」は妻の介護を通して、新しい武士像(男像)を示しているのである。映画界も読みの浅い観衆に媚びて、エンターテインメントの機嫌取りをやるようでは到底発展はない。 |