複数のメンバーでプロジェクトをやっていると、いろんなタイプの人がいることがわかる。計画立てて順序良くやりたがる人、先のことは考えずにとりあえずノリで前に進もうとする人、誰かが指示を与えてくれないと動けない人、人の意見に柔軟な人、自分の考えに沿わないものを受け入れるのが苦手な人などさまざまである。どういうタイプの人であっても、とりあえず重要なのは、問題に対応する力である。企業で求められる人材として、問題解決能力のある人、などがあげられるが、解決とはその環境になじんでいて経験も持っていないと困難なので、問題解決よりはむしろ、問題対応能力という方が適切なんではないかと思う。
では、問題に対応できることとはどういうことか考えてみると、何かをやろうとしていて、始めてみてぶつかるであろう問題点に事前に気づくこと、やっている途中で問題が生じた時に問題を解消あるいは軽減すべく方向修正することであったり、事後に活動を振り返って、問題があった点を次回は改善できるように処置できること、だいたいその3点に集約される。事前に問題点に気づく力は、斉藤孝の言うところの「段取り力」とも言い換えられる。さらに平たく言えば、「よく気の利く人」は事前、あるいは最中に問題点に気づく能力の高い人である。事後に振り返りのできる人はやや特性が異なるが、簡単に言えば、反省する態度と能力の高い人、というところだろう。
これらの能力は、いずれもフォーマルな学校教育のカリキュラムの中では扱われていない。生きる力だ問題解決能力だとセールストークとしては使われていても、実際のカリキュラムに落とし込んでしっかり実践できている例というのはほとんどない。問題解決型学習を取り入れたプログラムと言ってもたいていは、取ってつけたようなグループ学習であったり、部分的に実際の事例を使ってちょっとだけ演習しているようなものだったりする。
その程度の教育では問題対処できる人を育てることはできない。学校教育の中で対応できているものがあるとすれば、「ヒドゥンカリキュラム」として扱われている領域で、フォーマルな教育の枠外である。たとえば、指導教官が口やかましい人で、何か作業をするたびにあれこれ至らない点をガミガミ指摘されながら「オレって気が回んないんだな」と打ちひしがれつつも何とか認められるように努力する状況であったり、サークル活動や学園祭などでイベントを企画して、本物の聴衆や客を相手にしながら苦労する場面で鍛えられる。リーダーシップ教育とかコミュニケーションスキルトレーニングのクラス内で行なわれるロールプレイや演習には、そういったリアルの状況下にあるようなシリアスさに欠けるため、そうしたカリキュラム外のシリアスな活動の中での学習機会には到底及ばない。もちろん、対処のために役立つ知識は得られるので、何もやらないよりははるかにましである。ただし知識は得られても、その知識を実際の状況下で使いこなすための練習機会は少ない。しかしこの学習課題において一番重要なのはその練習である。
それゆえ、そうした問題対応能力に関わる教育を行なうには、どんな知識を教えるか、ということではなく、その学習者の問題意識にあった形でいかにシリアスな練習機会を提供するか、ということがデザインの肝になる。おそらく従来のクラスで完結する集合研修の枠組で考えていては不十分で、その枠組からは得られない機会を作っていく必要がある。よく用いられるのは、コンテスト形式で学習者同士を競争させるスタイルや、実際のクライアント向けに仕事をさせるスタイルなどがあるが、それらもマスメディアとタイアップして露出を高めたり、学校や会社で参加するコンペと連動させたりすることで効果を高めることができる。そうなってくるとすでに学校単体、企業の教育部門だけで片付く話ではなくなり、他の関係機関も巻き込んだものになる。そうなると面倒くさい。しかしその面倒くささがよいのであって、学習者個人だけではなく、その組織への刺激にもなり、一石数鳥のプロジェクトとなる。
書いているうちに、だんだん問題対応能力だけの話ではなくなってきたが(Xマスパーティで大酒飲んだ後なので勘弁)、本当に実践に即した能力を学ぶ環境を提供したいと思ったら、標準カリキュラムや、一クラス、一講師だけで完結する教育という制約から離れて、学習目標に対して、一番必要な学習機会は何かを考えて、それに必要なものはどんどん取り入れるつもりで考えることだ。教育プログラム、というよりはむしろ、教育プロジェクトという方がしっくり来るかもしれない。教育の質を劇的に高めようと思ったら、教育・研修の枠組で行なうプロジェクト型学習ではなく、本物のプロジェクトをやる中で派生的に教育も行なえるプロジェクトを企画して主導していく方向で考えることが一番のショートカットになる。これは間違いない。