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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第83号)

発行日:平成18年11月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 熟年の体力維持とストレス・マネジメントの方法 −助言の論理矛盾と安楽余生の陥穽−

2. いじめの風景  T. Nさんへ 

3. 社会教育委員制度の活性化

4. 第72回フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

社会教育委員制度の活性化

1  制度の形骸化は行政の意志である

  毎年、ご依頼を戴き社会教育委員の研修事業を担当して来た。しかし、一向に社会教育委員がイニシャティブをとって動き出した活動や事業は寡聞にして聞かない。委員の皆さんが真面目であっても、結果的には無力である。そうした状況が続けばやがて人々の意欲は萎え、時間だけが過ぎる。「形骸化」というのはそういう道筋を辿るのである。
  社会教育委員制度を形骸化したのは行政である。社会教育委員を年寄りの「名誉職」に貶めたのは行政である。「立て前」は知らず、委員の提言をあたかも「やっかいもの」や「邪魔物」扱いにしているのも行政である。
  財政難を理由に、「厄介な」提言をほとんど聞かなくて良いように会議の回数を減らしに減らして、年3回程度に押さえ込んだのも行政である。市町村のこうした実態を見てみぬ振りをして何一つ指導していないのも上部の行政である。法律があるから仕方なく「かたち」だけ残しているが、行政はこの種の面倒なものは事実上無い方が良いと思っている、としか思えない。
  結果的に、年3回程度の開催では法律を形骸化したと言われても仕方がないであろう。1回目は行政の年間事業計画の説明である。2回目は中間報告。3回目は年度末報告で終りであろう。たった3回すでに決まったことや進行中のことを報告するだけの会議では、委員の意見を入れる余地は無いだろうし、行政の側に意見を入れるつもりも無いだろう。委員の大部分は高齢化し、自分の位置付けを名誉職であると納得し、諦めていないか?それゆえ、若い、意欲的な委員の出る幕は無い。生涯学習革命が30数年続いて日本社会は多面的に変わったのである。この間、情報革命も、コンビニに象徴される流通革命も、宅配便に代表される輸送革命も一気に進行した。社会教育委員のシステムが変わらなくていい筈はないのである。
  社会教育委員制度活性化の鍵は研修の中身でもやり方でもない。この制度に対する行政の姿勢と認識である。以下は、研修を繰返して来た筆者の無力感から生まれた提案である。

2  会議の回数を少なくとも3倍にする

  会議の目的は委員の意見の反映である。現状の会議形式と回数の制限のもとで社会教育行政に委員の意見を反映することは不可能である。本制度を大事であると思うのであれば、まずは会議回数を3倍にすべきである。量は必ず何処かで質に転化する。会議への出席謝金を戴いて何も貢献するものがなければ良心的な委員は恥を知るであろう。また、住民は税金の無駄だと怒るであろう。行政も会議にかける議題に工夫を始めるであろう。いずれにせよ、何処かに向かって会議が動き出すことは間違いないのである。

3  「モニター制度」に倣え

  一般の「モニター制度」に倣って、社会教育委員の会議も社会教育事業への実践参加を条件にした提案型委員会に改革すべきである。
  放送モニターは放送を視聴して自分の意見をいう。雑誌や新聞の読者モニターもそれらを読んだ上で感想を述べる。社会教育委員の多くは社会教育事業の実態を知らない。校長の代表は学校しか知らず、婦人会の代表は婦人会活動しか知らない。社会教育行政全般に提言を行う以上、自分の関心分野以外の事業もある程度参加・体験した上で意見をいうべきである。社会教育委員の会議は通常のモニター会議にも劣るのである。

4  委員構成の再検討

  委員構成を再検討して、できるだけ現行の「当て職」の委員を減らし、その他の委員は公募制に切り替えるべきである。
  あらゆる面で時代は変わったのである。なかんずく生涯学習の分野では、従来の「鑑賞者」は自ら「創造者」となった。「動員されたもの」は「自ら参加するもの」に変わった。生涯学習を選ぶのは生涯学習の企画者ではなく、参加者である。生涯学習の領域は学校を含めて生活の全領域をカバーすることになったのである。
  個人の参画と選択の意味が著しく拡大し、社会教育関係団体の力は相対的に後退したのである。子ども会の役員になり手がないのはすでに全国的な傾向である。婦人会が消滅して行くのも同じである。これらの傾向はやがてPTAにも及ぶであろう。
  生涯学習システムは集団の利害調整より、個人の「選択」を重視する。既存団体の代表の多くは、団体の利害が優先し、個人の選択の意義を見ようとはしない。社会教育関係団体のみにこだわれば、新しく生まれたNPOを「当て職」にすることはないであろう。形式化した集団の会員では、自分の興味・関心・意欲をエネルギー源として活動する個人の発想や勉強には到底追いつかない時代が来ているのである。当て職が全く不要であるとは言わないが、新しい状況を考慮すべきことは明らかである。公募制にすれば沢山の有能な女性の参加も得られる。これまでの社会教育には新しい時代を生きる女性の視点が決定的に欠落しているのである。それゆえ、社会教育行政は少子化の危機にほとんど何一つ有効な手は打てていない。子育て支援も精々が文科省の補助金に頼った週1〜2回の子どもプログラムである。討議に参加した委員の多くは、子育て支援が女性支援であるという基本すらも分かってはいない。男支配の社会教育委員制度に子育て問題の切実さを訴える人材が登用されていないことの証明であろう。
 

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