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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第80号)

発行日:平成18年8月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 幼少年教育の失敗−「教育公害」

2. 幼少年教育の失敗−「教育公害」(続き)

3. A小学校始動

4. 第69回フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

◆◆◆ 第70回生涯学習フォーラム(お知らせ) ◆◆◆
第70回のフォーラムは実行委員会方式で官民が協働している「子育てネットinふくおか」の経緯と手法を学びます。発表者は官からも、民からもお願いしようと現在交渉中です。大会が「子育て支援」である事はもとより、実行委員会の過程も、情報提供の仕方も、大会のプログラムそのものも、多目的、多機能の総合的生涯学習事業です。ご期待下さい。 論文発表のテーマは今のところ「学力向上の基礎工事ーA小学校の挑戦(仮題)」(三浦清一郎)を予定しています。
日時: 平成18年9月16日(土)15時〜17時、
研究会終了後、センターレストラン「そよかぜ」にて夕食会を予定しています。
どうぞご参加ください。
場所: 福岡県立社会教育総合センター
会場その他準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:朝比奈)092ー947ー3511まで。


● 編集後記1  Active Seniorと「老後の幸福」
  広島のホテルが読売新聞を部屋に入れてくれた。中に編集委員芥川喜好さんの「『閑』?老後の幸福」という一文が載っていた('06.7.29)。主題は「老後の幸福」。趣旨は「生き甲斐とか、前向きとか」、余り言うな!、と言う事であった。「前を向くも、後ろを向くも自由、それが定年の意味」だという。ドイツ文学者中野孝次の晩年を紹介し、ひなたぼっこの中で「すべてこともなく、よく晴れ、風もなき冬の午後にて、見ているとこれが人生だ、これでいいのだ、と静かな幸福感が湧いてくる・・・、」と引いている。「多忙を離れ、『閑』の状態に身を置く時、人間は本来あるべき自分自身になる。真の幸福はそこにしかない(芥川)」、と主張する。 
 しかし、勘違いしてはいけない。多忙な人間の「閑」と多忙でない人間の「閑」とでは全く意味が異なる。文学者に定年はない。自分が書いた一文はやがて出版されて世に出る。原稿料の対象にもなる。人間の認識はすべて比較相対的である。「忙」があって「閑」が際立ち、ウイークデーがあって日曜日が嬉しい。城山三郎さんが喝破したように「毎日が日曜日」は地獄であろう。多くの人々にとって定年は芥川氏が想像するような選択の許される優雅な時間ではない。定年は「自由の刑」である。どこへ行ってもいい、何をやってもいいが、満足も幸福も自分の責任で見つけなければならない。それが出来るくらいであれば高齢社会の問題の半分は解決する。貧乏に耐え、戦禍に耐え、粗衣粗食で働き続けた戦前、戦中の「タフな世代」が見るも無惨に衰えたのは、「安楽」や「閑」を求めた「余生」論と施策のためではなかったか!?文学者は最後まで書き続け、農夫は田畑で死に、商人は商用の途中で病いに伏し、講演者は壇上に倒れる。それならば「閑」の意味も分ろう。
  ゲートボールやグランドゴルフ、税金を費消する趣味の習い事三昧のアホな高齢者大学でいいのか!?唄と踊りと風呂に浸かって何が「閑」か!老後といえども「読み・書き・体操・ボランティア」で、自分を鍛え、社会のために働き続け、ぼけ衰えて社会に迷惑をかけない事こそ肝要である。あくまでも積極的に人生に挑戦し続け、Active Seniorとして生き続けない限り、「閑」の意味など分りはしない。したがって、「前を向くも、後ろを向くも自由、それが定年の意味」では断じてない!「前を向いて生き」、「社会と関わって生きる」以外に「閑」の優雅もなく、日常の充実もない。第一、老人があちこちで日がな一日ぼうっとひなたぼっこなどしていたのでは「はた迷惑」というものである。社会のため、自分のために死ぬまで働け!死ぬまで働ける状態に自分を保つよう努めよ!それが老後の幸福の条件である。

● 編集後記2 タッカー 
  カナダ・アメリカの旅から戻りました。探険の好奇心と多少の心配事を抱えた旅でしたが、心配事の方はタッカーのお陰で解消し、探険の結果はおいおいご報告申し上げます。
  タッカーはその不幸な生い立ちにもかかわらず、人懐っこいやさしい犬でした。幼いタッカーは飼い主に放置され、衰弱して半死半生のところを近所の人の通報でアニマルシェルター(動物保護施設)に引き取られ、辛うじて命拾いをしたそうです。獣医さんによると救い出されたタッカーは3才ぐらいで、ジャックラッセルテリアの血を引く小型犬です。飼い主はアパートの地下室に犬を閉じ込めて水も食事も与えずに10日近くも放置していたとのことでした。どこの国にもそういう事を平気でできる人間がいるのですね。後日飼い主は動物虐待で告発されたそうですが、シェルターの人々は彼をタッカーと名付け、ボランティアの人々の協力を得て交替で世話をし続けたということです。娘夫婦が"養子"縁組みの申請をした時には、シェルターの関係者はもとより、ボランティアの「里親」に至るまで厳しい面接があってようやく許可されたという事でした。アメリカ社会の健全さの底流を見た思いでした。
  その後1年の歳月が流れていました。私が逢った時のタッカーは広々とした庭のリンゴの木の下をボールを追って無心に遊んでいました。私が庭に出ると心得たように後を追ってきてすぐ仲好しになりました。2か国語を話す人をバイリンガルといいますが、犬の言葉を話す人は「バウリンガル」というそうです。私は片言のバウリンガルです。ある日の留守番の時、タッカーとは色々な事を話しました。行儀が良く、人間が好きで、明るいタッカーは新しい飼い主の健全性の「あかし」であろうと思いました。アメリカへ抱えてきた心配事の種はタッカーの幸せそうな日々がすべて解消してくれました。犬でも人間でもやさしい思いやりのある人々が周りにいなければ幸せにはなれない。礼儀正しい人々の周りにいなければ礼儀正しくはなれない。明るい人々の周りでは犬でも明るく元気を取り戻す。人生の基本は単純ですね。


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori@anotherway.jp

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