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生涯学習通信

「風の便り」(第100号)

発行日:平成20年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性

2. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性(続き)

3. 知識と行動、学力と実践力−「生きる力」の定義と「学力」概念の構造と範域−

4. 「肉体の硬直、精神の停滞 −熟年者の進退と活動の「マンネリ化」防止−

5. 感謝の辞−100号総括

6. お知らせ&編集後記

「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性
−「生き甲斐」と「居甲斐」を創造し、熟年者の「生きる力」を補完する−

1  学校発「小老共生」

  昨年秋から漸次開設されて来た福岡県飯恷sの「熟年者マナビ塾」が初年度の締めくくりとして、平成20年3月30日(日)飯恷s庄内中央公民館において第1回「熟年者マナビ塾」実践研修交流会を開催しました。「マナビ塾」は熟年者の自主活動を創造し、合わせて学校支援ボランティアとして学校との交流を目指したおそらくは日本で最初の学校発の「小老共生」事業です。その目的・機能は複合的かつ総合的で画期的な少子高齢化対策事業だと思います。 「マナビ塾」は市内22の公立小学校のうち現在19校に併設されています。活動内容の枠組みは大方決められていますが(*)、中身そのものは参加している熟年者の自主性に任され、学校支援のあり方も各学校と参加者との合議によって決定されます。それゆえ、第1回研修交流会は各塾の実践の紹介に始まりました。
(*)活動は原則として週1回、活動スケジュールは学校の授業時間に合わせています。1時間目は自主的な自己トレーニング;「体操から脳トレ」まで様々です。2時間目は、通称「ワクワクタイム」と読んでそれぞれのグループの趣味的活動に充てます。3時間目が「学校支援ボランティア」の時間です。行政上の課題として、熟年者の「健康増進」、「生き甲斐づくり」、そして熟年者の活力を学校教育に導入することが謳われています。

2  「マナビ塾」機能の複合性

  熟年が集団的に、しかも異世代と交流しながら、社会貢献事業に関わるということは熟年者はもとより子どもにも、学校にも、保護者にも、これからの行政分業のあり方にも大きな影響を及ぼすと考えられます。

第1は、熟年者本人の活動の選択肢が充実し、心身の健康が増進されます。第2は熟年者の「孤立」や「孤独」を予防し、人間関係ネットワークの拡大と社交の促進になります。
第3は、子どもと高齢者、保護者と高齢者の異世代交流を促進します。
第4は教育分野における学校教員と一般熟年者の恊働の可能性が広がります。ゲストティーチャーや学校支援ボランティアが一気に拡大するということです。第5は、熟年者を受け入れた学校風土や文化がより開かれた方向に変わるかも知れません。熟年者の活動は公民館が支援しているので実質的な「学社連携」が推進され、少子高齢化時代の政策モデルの一つを提示することになります。当然、まちづくりの観点からも人間関係の密度が濃くなり、事業の成果が目に見えるようになれば、地域の活力は間違いなく向上します。
第6は高齢者の活力の向上が証明されれば、医療費の節減が実現し、介護費の先送りも可能になる筈です。かくして熟年者の「保教育」参加は、教育の目的に適い、福祉の目的にも適い、現在、教育とはバラバラに行われている学童保育に熟年者の活力を導入する道も開けてくる筈です。問題は、政治も、教育以外の行政部門も、いまだ「マナビ塾」の革新性と可能性を十分に認知していないということです。

3  「読み、書き、体操、ボランティア」のシステム化−使わない機能は衰える−

 幼少年の場合と熟年の場合では「生きる力」の養成・維持に関して、本人にも社会にも基本的な錯覚があります。それは「生きる力」に対する「努力の必要性」についての認識です。
 幼少年の場合、「生きる力」を育むために相当の努力と精進が要ることは誰も疑いません。これに対して熟年の場合は、すでにこれまで「生きて来た実績」があるため、その力を維持することに楽観的になりがちです。向老期の「生きる力」の維持には、幼少年の場合の「精進の過程」に優るとも劣らぬ努力が必要になります。しかし、壮年期の充実した経験があるので、向老期に入って、自らの「生きる力」の計画的、自覚的努力の必要を認識している人は必ずしも多くはないのです。子どもには頑張れ、勉強しろと言いますが、年寄りには余り「努力」を奨励しないのはそのためです。「熟年者マナビ塾」は高齢者に自助努力を促した点でまさに画期的なのです。しかし、問題は向老期の努力の結果が証明できるか、否かです。幼少年期と異なり、向老期の「生きる力」はゼロからの出発ではありません。「現状の実績」からの出発です。それゆえ、「生きる力」の評価は簡単ではないのです。
 人間は「感覚体」の総合です。感覚体の最大の特徴は刺激に忠実に反応するということです。運動機能も、精神機能も「負荷」をかければ、それぞれの機能が鍛えられます。しかし、負荷をかけ過ぎれば、それぞれの機能に故障が起こり、かといって「負荷」をまったくかけなければそれぞれの機能があっという間に衰えて、最後は機能そのものが消滅してしまいます。使わなければ「消滅する」ということも、使い過ぎれば「壊れる」ということも感覚体の法則です。それゆえ、労働から引退した熟年期に活動量を一気に落すことは心身の健康にとって最大の害をもたらすことは明らかです。熟年は「お元気だから活動する」のでは無いのです「活動を続けるからお元気」なのです。熟年のための生涯学習政策は、「読み、書き、体操、ボランティア」を同時に進行させることが重要なのです。中でも最も重要なのは社会的活動です。社会的活動を始めれば、必ず活動の目的に沿った学習や交流の必要が生じるからです。学び塾の革新性は「学校支援ボランティア」を含めたことにあるというのはそのためです。

4  病院とお寺以外は外出の機会がない−社交の創造/世代間交流の促進−

  マナビ塾を代表して発表された女性の方が、開口一番、自分の日常には「病院とお寺以外は外出の機会がなかった」という説明から始められました。労働や子育てや、この世の「必要課題」を為し終えた年金暮らしの高齢者の危機は、「することがない、行くところがない、会いたい人がいない」の3つに象徴されているのです。それがどうでしょう。マナビ塾を通して新しい出会いに恵まれ、新鮮な日常を取戻し、毎週マナビ塾の来る日を楽しみにしています、と語ったのです。定年後、引退後の高齢者の最大の課題は孤独と孤立です。健康問題も、生き甲斐も、社会参加もあらゆる課題は労働や子育ての終了後、高齢者が「世の無用人」(藤沢周平)となるところに発しています。孤独と孤立は「世の無用人」が陥る人生最終期の最大の課題です。働いている間は給料によって、あるいは家事や育児に対する社会の承認と認知によっておのれの存在証明が可能であり、自分がこの世で必要とされ、役に立っているということは日々の業務や家事労働によって自己確認が出来ました。引退後はそうは行かないのです。定年は「ごくろうさまでした」というメッセージに重ねて「あなたはすでに用済みです」という社会的宣告です。古巣の会社に戻ることはあまりにも辛く、独立した子どもの世話を焼き続けるというのもあまりにも無様なことでしょう。これまでの人間関係はほとんどすべてが労働を通して、社会の仕組みの中で形成されたものでした。定年はそのきずなをばっさりと切り離すのです。行くところがなくなり、会うべき人がいなくなるのはそのためです。しかも、定年期は「老い」を前提にして設けられたシステムであることを考慮すれば、定年者は心身共に衰えが始まるのです。年の暮れには友人知人の家族から不幸や訃報の知らせが届き、年末年始の「ごあいさつご遠慮申し上げます」のはがきが年々増えて行くことも周知のことでしょう。高齢化も、人生80年も平均寿命のことであることを思えば、自分の配偶者と共白髪になるまで一緒に生き抜くことは稀なことです。それゆえ、生き残った高齢者にとって、行く所は病院かお寺しかなくなるというわけです。孤独は必然です。

 


 

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