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「風の便り」(第100号)

発行日:平成20年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性

2. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性(続き)

3. 知識と行動、学力と実践力−「生きる力」の定義と「学力」概念の構造と範域−

4. 「肉体の硬直、精神の停滞 −熟年者の進退と活動の「マンネリ化」防止−

5. 感謝の辞−100号総括

6. お知らせ&編集後記

§感謝の辞§−100号総括

1  難所の助言

 お蔭さまで「風の便り」が100号に達しました。思い出すことがたくさんあります。大学改革の挫折に伴う怒りと屈辱で、退職後の生き方を見失いそうになったとき、福岡県立社会教育センターの図書室に辛うじて通い続けました。明確な目的があったわけではないのですが、「勉強」の向こうに「希望」が見えそうな気がしたのです。当時の所長が現福岡県飯恷sの森本精造教育長でした。突然の闖入者に対して、自由に勉強の環境を準備していただきどんなにありがたかったことだったでしょうか。そんなある日、センターに四国から思いがけないお客様が失意の筆者の激励に駆けつけてくれました。高知県実行委員の明神宏和さんと小松義徳さんでした。通訳ガイドの道に行ってみようかと思っていた時でしたが、「あなたらしくもない。社会教育に戻ってくればいいじゃないですか!」と言ってもらいました。手みやげは生きのいい土佐の鰹でした。あの時のセンター所長室の「鰹のたたきパーティー」こそ筆者の再出発でした。以来、大学改革の苦い思い出は振り返らないことにして、前だけを向いて歩くように心掛けました。新刊「しつけの回復、教えることの復権」(学文社)に子ども達の「難所の助言」について一章を設け、応援とは「一緒にやるよ」と言うことだ、と書きましたが、「鰹のたたきパーティー」は筆者にとってまさに難所の助言でした。

2  「己を知る人のために」

 筆者の「労働」の季節が終わり、新しい「活動」に移行すべく、思いついたのが任意の学習会;「生涯学習フォーラム」の立ち上げと生涯学習通信「風の便り」の発刊でした。約9年前の12月のことです。「風の便り」の準備号は住所録を便りに、手探りで、100人を越える過去の友人・知人に送りました。お義理であっても「がんばって書け!楽しみにしているぞ。」と90円切手を送ってくれたのは15人でした。筆者は大学経営の修羅場の過程で経験した背信や裏切りで人間に失望し、「風の便り」準備号で己の人間観の甘さを思い知りました。友情とか、同志愛とかに幻想を持つことを止め、「持ちつ持たれつ」というような生き方を止めました。「風の便り」の評論も最低限の礼節は守るとしても、人間関係への気配りとか論理の手加減はしないと決めました。これまで書いた分析や批判の中に論理を離れて、大きく礼を失するものがありましたら筆者の責任です。どうぞご寛容にお許しください。
 準備号のあとの1号を発送した時、福岡県岡垣町の神谷 剛さんからお便りがあって1万円が同封してあり、"何かに使え、頑張れ"と一行だけ書かれていました。海のものとも山のものとも分からないよちよち歩きの「通信」にお金を出してくださるというお考えだけで胸の震えるような感激でした。「己を知る者のために書こう」。筆者が現役時代に負けない研究者になることを志したのはひとえに神谷さんの1万円が出発点でした。

3  社会的承認の不可欠性

 センターを舞台に「生涯学習フォーラム」を始めたとき、当時の森本所長から参加者に「お土産」を持たせてくださいという要望がありました。口頭の提案に留まらず、後々残るように論文の形にしなさいという助言でした。書くことは好きではなく、文章が残って衆目の批判にさらされるというだけで、若い頃から苦しんだ経験があるので実に辛いことでした。しかし、嫌いなことも、苦手なことも練習を続ければ克服できるということをだんだん実感するようになりました。前回99号の巻頭小論「熟達の証明-八木山プロジェクト」の総括に書きましたが、なにごとも「熟達」すれば、仕上がりが早くなるのです。この間、長年の思いと勉強の成果をまとめて4冊の本を出版できました。今になって、森本さんから与えられた生き方の「枠」や勉強に対する他律の環境が人生にどれほど大事であるかを実感しています。独立の小論は東和大学の正平辰夫教授のご好意で福岡県飯塚地方の月刊誌:「嘉麻の里」に毎月掲載していただきました。原稿を整理して「市民の参画と地域活力の創造」(学文社)をまとめることが出来たのはひとえに毎月の生涯学習フォーラムに執筆・発表し続けた小論文のお陰です。
 しかし、人間の努力には社会的承認が不可欠です。芝居に観客が不可欠であり、音楽会に聴衆が不可欠であるように、生涯学習フォーラムにも参加者が必要であり、筆者の論文発表にも聞いてくださる方々の評価が必要だったのです。島根の皆さんに救われたのはその頃でした。浜田満明さんをはじめ大畑信幸さん、渋谷秀文さんなどがお仲間を連れて遠路はるばると聞きに来てくださいました。1ヶ月をかけて書き上げた初のフォーラム論文は、環境問題を取り上げた「日本人はなぜみんなの海にゴミを捨てるのか」でした。大学改革の過程で教授会との苦い対立抗争の中で「みんなに良いこと」は必ずしも「われわれに良いこと」ではないのだという内向きのセクト主義を嫌というほど思い知らされ、「みんなの海」と「われわれの海」は異なり、「みんなの公園」と「われわれの公園」とは違うということを環境問題に応用したのです。大畑さんを始め、何人かの方が「おもしろい」と言って励ましてくださいました。人間が生きて行くには、他者からの支持、社会の拍手、社会からの共感、世間の承認が必要なのだと痛感しています。後日出版した「The Active Senior−これからの人生」(学文社)は熟年者の「安楽余生論」的生き方に対する批判ですが、主要テーマを「定年後の社会関係」においたのはこの時の体験が強烈だったからです。他者からの承認を得られない時、「パンとサーカス」だけでは子どもも、老人も生きられない、というのが筆者の信念になりました。熟年者の生き方処方を「読み、書き、体操、ボランティア」と提案し、最も重要なのは「ボランティア」であると主張し続けているのも、社会との関係を絶てば「読み、書き、体操」もしなくなるからです。

4  編集者との出会い

 「風の便り」と「フォーラム論文」に綴って来た勉強と討論の成果が本になって世に出るまでには紆余曲折がありました。全ての結社と縁を切り、組織的な仕事から引退した筆者にはもはや「所属」も「肩書き」もなく、一介の研究者として活動していました。社会的評価を問いたいと思い立って、出版を打診した10以上の出版社からは、すべて「出版方針が違うので」というような体のいい理由でことわられました。
 また、たまに来た講演の依頼元からは旅費の計算が出来ないとか、「垂れ幕」の格好がつかないとかの理由で「元教授」の肩書きを使わせてくれと言って来ました。筆者も頑なになっていたので「昔の名前」では出ないと言って断り続けました。日本社会は「名刺社会」で、「名刺社会」は「肩書き社会」であることをつくづく思い知らされました。極論すれば、過ぎた昔の肩書きが大事で、肩書きのなくなった現在の本人の志や実力なんかどうだっていいのです。定年者に地域デビューが難しいのも、年をとっても肩書きを離そうとしない「老害」が起こるのも「肩書き」でしか人間を判定しない文化のあり方に関係があるのだということを実感しました。
  そんな時に20年前に「現代教育の忘れ物」を出版したことを思い出して出版の相談をしたのが「学文社」の三原多津夫さんでした。原稿を読んでいただいて二つ返事で出版を引き受けて下さった時に、こんなところに己を知ってくれる人がいたか、と感慨無量でした。熟年研究者が中央の編集者の評価を得てどれほど励みになっているか、現役の皆さんもやがて理解できる年齢に達するでしょう。心身の健康と勤勉の意志を支えるものは、結果に対する人々の社会的承認をいただくことです。三原さんの評価に応えて、今後一層の精進をお約束してお礼に代えたいと思います。

5  現場との遭遇

 毎月の「通信」を書く勉強を始めて最初の障碍は「抽象論」の「壁」でした。理屈だけを並べても役に立たない、読者の反応も来ない、という苛立でした。どんなに本を読んでも、理屈を紹介してもフォーラムの参加者にも、「風の便り」の読者にも、「滲みて行かない」ことは明らかでした。その時筆者に「現場」を提供してくださったのが「豊津寺子屋」と「霞翠小学校」と「山口県生涯学習推進センター」でした。
「豊津寺子屋」は今年度をもって顧問を辞任することにしましたが、都合7年の現場体験の機会を与えられました。舞台を下さったのは合併前の福岡県京都郡旧豊津町の平田敏子課長補佐と畑中茂広町長のお二人でした。「霞翠小学校」は合計3年。初めての本格的な学校指導でした。実践の現場は長崎県壱岐市の旧勝本町。久田清文校長先生と松田裕見子研究部長(いずれも当時)のお二人が全面的に筆者の考え方を受け入れて下さいました。先生方が「自分の子どもをこの学校で学ばせたい」とおっしゃったとき、私の任務は完了したのです。霞翠小のご縁で長崎県生涯学習課長浦川末子さん(現子ども政策局長)のご支持をいただいたのもその頃でした。昨年度は福岡県飯恷s「八木山小学校」の本田智子校長先生との出会いがあり、実践指導の機会をいただきました。これもまた「霞翠小」の延長線上にありました。
  山口県とのご縁は今年で6年になります。「実践を伴わない研修ではダメだ」という筆者の主張を直ちに理解され、研修計画を1から組み直してくださった赤田博夫主査(現下関市立神田小学校校長)が機会を下さった賜物でした。お陰で山口県には研修生の同窓会が成立し、今でも日常のおつきあいが続いています。現場を持つということは作戦の適否が試され、実践の熱意が試され、時代が求めるものとの「適合性、適時性」が試されます。しかも、現場研究は「結果」を出さなければなりません。一つ一つは生涯学習のささやかな実践に過ぎなくても、筆者にとっては、この国のモデルを創出し得るか、否かを問われる「戦場」でした。世の中の役に立たないものなら、なぜ老後の命を削ってまでやらねばならないのか!?最初はそのように思っていましたが、今は、質の良否を問わず、世の中のために働き続けることこそ熟年者の誇りと尊厳を守り、命の灯をともし続けることだと思うようになりました。さらに、一緒に仕事をする方々は人生の「戦友」になって行くことにも気づきました。しかし、やがて筆者も年を取り過ぎ、どこからも「現場指導」の依頼の来ない年齢に達するでしょう。その時は「風の便り」の筆を置かなければなるまいと思っています。
  この間、私は生涯学習の実践と並行して2人の作家を熟読し始めました。一人は時代物の名手、藤沢周平さん、もう一人は中国古代史に材料を求めた宮城谷昌光さんでした。生涯学習実践の現場を得、さらに人生に精通する二人の師匠を得て筆者の文体も現象の分析視点も変わったのではないかと振り返っております。豊津寺子屋と霞翠小学校の実践研究は「子育て支援の方法と少年教育の原点」(学文社)にまとめ上梓しました。

6  読者とのコミュニケーション−MESSAGE TO AND FROM−

  「通信」が軌道に乗り始めた頃から読者の反応が寄せられるようになりました。MESSAGE TO AND FROMをコラムとして常設しました。
後半の「風の便り」を支えて下さったのは読者でした。「風の便り」は必要のない方には送らないことを原則にしています。したがって、1年更新の契約制にしました。年末にメッセージカードを同封して継続購読を続けられるか、否かを毎年お聞きしています。ここからたくさんのご意見が届くようになりました。インターネットに公開してさらに通信が増えました。在アメリカの藤本 徹さんにホームページの作成をお願いし、一気に読んで下さる人々の輪が広がりました。ホームページについても、自分でやろうとしてadobeなどのソフトも購入したのですが、結果的に藤本さんに依存して先延ばしにして来ました。昨年からアップルコンピューター福岡支社で若い先生のレッスンを受け始め、ブログぐらいは自分で作らなくてはと思うようになりました。何に付け、日本文化の中の年寄りが自立出来ないのは、若い部下や後輩の支援を当てにして、自助努力をしなくて済むからですね。日本文化の「年功序列制」が先輩世代の自学自習を妨げていることは至る所でみられる現象でしょう。筆者もその一人でした。若いコンピューター指導の先生から厳しい指導を受けるまでは不器用な自分から逃げ続けていたのでした。

6  100号の土台

  100号までの実質的発行作業を支えて下さったのは、フォーラム勉強会の会場から印刷室の使用まで長年お世話になった福岡県立社会教育総合センターです。歴代の関係者のみなさまに厚くお礼申し上げます。また、実務を手伝って下さったのは筆者の福岡教育大時代のいちばん最後の教え子です。現在の九共大准教授の永渕美法さんです。ここまで来ることが出来た最大の要因は永渕さんが編集−印刷−発送のプロセスを支えて下さったからです。彼女の辛抱強い協力の姿勢なしには、今日まで書き続けることは到底出来なかったことでしょう。満腔の敬意と感謝を捧げてお礼申し上げます。振り返れば、筆者の甘えと依存症とも呼ぶべき「油断」と「怠慢」がありました。筆者もまた、土居健郎さんのいう「甘えの構造」の中にいたことは明らかでした。今になって、彼女の援助なしには何も出来ない己に気づき、そうした状況を放置し続けたことを、何よりも恥じ入っています。「風の便り」に関わってくださった彼女の時間がすこしは意義あるものであったことを切に願うばかりです。長年のご支持とご協力、本当にありがとうございました。
101号からはようやくプロの業者と自分で交渉して「風の便り」を出し続ける予定です。「一人前」とは、「自分のことは自分でやることだ」、と主張して来た以上、遅まきながら、「先ず隗より始めよ」、を自分自身に課さなければならないと思いました。
折しも尊敬する友人から一枚のはがきをいただきました。はがきには、友人の友人が書いたという人生訓が書いてありました。

辛いときには
誰かに
頼ればいい
誰かが
辛いときには
頼れる人になればいい

その通りですね。読者のみなさまに置かれましては、次号からのよちよち歩きをどうぞご寛容に、暖かく見守ってください。生涯学習実践の状況が研究の舞台を提供し、筆者の心身の健康が続く限り頑張って書き続けるつもりです。

新しく生きんとすれば
胸熱く
四季折々の花に逢う
今日はふたたび帰ることなく
誰も代わりには生きられない
彼方の果ては茫々なれど
覇気に輝き行かんかな
 


 


 

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