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生涯学習通信

「風の便り」(第100号)

発行日:平成20年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性

2. 「熟年者マナビ塾」の革新性と可能性(続き)

3. 知識と行動、学力と実践力−「生きる力」の定義と「学力」概念の構造と範域−

4. 「肉体の硬直、精神の停滞 −熟年者の進退と活動の「マンネリ化」防止−

5. 感謝の辞−100号総括

6. お知らせ&編集後記

知識と行動、学力と実践力−「生きる力」の定義と「学力」概念の構造と範域−

1  「生きる力」の概念

  筆者の新著;「しつけの回復 教えることの復権」の中でどうしても自分自身で納得のできる説明が出来なかったものが「学力」概念の構造と範域の問題でした。「学力」は学校教育機能の中核概念ですから、学校が「生きる力」を言う以上「生きる力」と「学力」の関係も言わなければならないと考えています。先ずは「生きる力」とは何か、をはっきりさせなければなりません。

 これまでの実践研究を踏まえて、筆者は、「生きる力」の概念を次のように定義しています。「生きる力」とは、『体力、耐性を土台として、社会が要請するあるべき学力、あるべき社会性、あるべき感受性を総合化した力である』。

  「生きる力」は複合的な概念なので、その定義もなかなか納得のできる日本語になりませんが、現在、筆者の定義は上記のとおりです。定義を行う上で、留意すべきことは、概念を構成する要因の「中身」が分かることと、その「中身」を実現するための「方法論」を想定できるということです。
上記の定義からいえば、「生きる力」を育てるための「方法論」は、体力を鍛え、困難に耐えさせ、知識を教え、規範を守らせ、「感性」を磨け、という優先順位になります。
 もちろん、この定義を構成する「学力」も、「社会性」も、「感受性」も、その具体的な"中身と意味"は時代の変化とともに多少の変化を遂げます。上記の概念規定において「社会が要請する」という「枕詞:修辞」を使用したのは「社会の要請」こそが時代の変化を象徴しているからです。「コンピューターリテラシー」などは「学力」に追加されるべき新しい構成要因の典型でしょう。筆者の子ども時代には考えられなかった新しい要因です。また、社会性や感受性の中身も、現在進行している社会の変化に絡んで、「人権擁護・差別撤廃」論、「男女共同参画」論、「国際化」論など、時代が提起する新しい視点に伴って刻々と変化していることも間違いないでしょう。


2    「学力」とは何か?


 問題は「学力」の範域です。「生きる力」の定義との関係でいえば、範域の問題は具体的に「学力」と「社会性」はどう違うのか、「学力」と「感受性」はどのように関わるか、という問いに答えなければなりません。なぜなら、現代の通念に照らせば、「社会性」であれ、「感受性」であれ、その他の分野であれ、子どもの知識;「知っていること」は「学力」に含まれることがふつうだからです。子どもが「知っていること」は、大きく、「文明を理解する力」、「文化を理解する力」、両方にまたがる「言語や習慣を理解する力」に分類することが出来るでしょう。「文明を理解する力」とは「科学技術を理解する力」と置き換えても大きくは変わりません。それに対して「文化を理解する力」とは人間の歴史や共同生活に必要な知識や技術を意味します。学校が言っている「学力」は前者に深く関わり、社会性や規範や感受性などと言われるのは後者に深く関わっています。また、文明にも文化にも、両方にまたがる「言語や習慣を理解する力」は、当然全てに股がらざるを得ないでしょう。しかし、「知っているだけのこと」は、分野がなんであれ、いずれも「知識」に留まっていることは明らかです。
「生きる力」の定義では便宜的に「学力」、「社会性」、「感受性」を別のものとして区別しましたが、区別の根拠は何か、ということも説明できなければなりません。言語能力や基本的生活習慣などは明らかに文化にも文明にも関わり、「社会性」にも、「感受性」にも関わるので、分類は便宜的にならざるを得ないのです。
  「学力」の中核を為すものが知識であるという前提に立てば、子どもの生活の様々な場面で必要になる知識は、技術、言語、習慣、道具の使い方、遊び方などあらゆる分野に及ぶのです。果たして、「社会性」も「感受性」も、言葉の最も広い意味での「学力」と呼ぶことが妥当であるかどうかが問われているのです。


3  知識と行動の落差

 
「生きる力」を論ずるにあたって、社会性や感受性に関わる知識を「学力」概念に含めれば、しつけや教育の成果を問う視点が大きく変わって来ます。学校教育が知識を重んじ、実践を軽んじた"お陰で"、現代の子どもは、社会の仕組みや人間のあり方についても、知識としてはよく知っています。彼らは、ルールの存在も、ルールの中身も、人権についても、平和についても、知識としては、良く知っています。しかし、彼らの社会性が育っているとは言わないでしょう。彼らは自らの知識を実践に移すことは出来ず、その多くがいまだ基本的な「社会規範」すら身に付けていないことも周知の事実だからです。知識が「学力」を構成する要因であるとすれば、子ども達の知識と行動は乖離しており、「学力」と「実践力」は当然別ものであるということになります。こうした現象は一般に「頭デッカチ」とか「畳の上の水練」とか呼ばれますが、要は「くちばっかり」ということです。「水泳についての知識はあるが、まだ泳げない」というのと同じように「社会についての知識=学力はあるが、まだ規範の実践は出来ない」ということです。
 思いやりや感受性についても、平和学習や人権思想について似たようなことが言えるのではないでしょうか?人権についての知識は得たが、まだいじめは続けているという事態はあるでしょう。平和学習はやったけれど、「切れる自分は抑えられない」というのもあるでしょう。人権討論も人権作文でいっぱしのことを、書いたり、言ったり出来るけれど、日常の態度・振る舞いは「無礼で」、「生意気」に2本足を付けたような子どもだ、ということもあるでしょう。要するに、いつの世でも、知っていること(理解)とやれること(実践)の間には無限の距離があるのです。水泳の知識と水泳が別物であるように、知識は行動とは別物であり、「共同社会についての学力」は「共同社会を生きる実践力」とは別物です。もちろん、社会のあり方、社会での自分自身のあり方についての知識と「社会性」も別物です。「感性」や「感受性」と呼ばれる感情のあり方と日々の生活における行為や態度もまた別物です。したがって、峻別されなければならないのは、「学力」と「社会性」でも、「学力」と「感受性」でもありません。峻別されなければならないのは、知識と行動であり、「学力」と「実践力」なのです。学校はこのことを曖昧にしたままに、「社会性」や「感受性」を育てるつもりで、人権や平和についての知識を注入して来たのでしょうが、知識は伝えたが、実践をさせなかったので子どもに社会性が備わっていないのです。「豊かな心」も同様です。
教育は抽象論では実践が機能しません。それゆえ、「社会性」とは、具体的には、共同生活の規範に従う(従わせる)ことです。そして、「感受性」とは、他者を配慮する優しい言動、親切な態度など実践に移すということです。
「社会性」は「道徳性」を含む他者との共同生活を営むための「最低限」の知識や技術や態度の実践;即ち「知識を伴った実践力」と解釈しています。換言すれば、子どもの社会性は、共同生活のミニマムスタンダードと言い換えてもいいかもしれません。また、「感受性」は、同じく他者との共同生活を「質的に高める」ための感情のあり方、考え方、態度;即ち「共感能力を伴った実践力」と想定しています。社会性がミニマムスタンダードだとすれば、感受性の方は、最大限に他者を配慮しようとする人間のあり方のマキシマムスタンダードだと言うことが出来ます。マキシマムスタンダードは、あるべき人間の「理想型」を追求することになるので、教育の過程において、具体的な実践の中身や範域を明確に設定することは困難です。一般論として「やさしい」事は大事ですが、何を持って「やさしい」とするかはなかなか議論の定まらないところでしょう。教育界が感受性を取り上げた時に、「豊かな心」というような言い方をすれば、常に抽象論に流れるのはそのためです。感受性も豊かな心も、人間が人間らしく生きることを目標とした、いまだ模索中の価値であると言っていいでしょう。
 このように知識と行動の隔たりを明確にしないまま、学力、社会性、感受性を並列に置くと、「学力」と「社会性」の区別がつかなくなり、「学力」と「感受性」の違いの説明がつかなくなるのです。「学力」が知識だとすれば、「社会性」は、実践力を伴った知識;実践力を伴った「共同生活のあり方」についての知識です。一方の「感受性」は行動や態度に翻訳された「対人・対物・対自然・対社会」の知識ということが出来るでしょう。
 体力や耐性のように、「生きる力」の根本を為す要因については、「老若男女変わりはない」と主張して来ましたが、「学力」概念についても同じことが言え、「社会性」や「感受性」も老若男女同じであることが分かります。生涯学習の概念が子どもから高齢者まで、文明から文化までのすべてを含むとすれば、生涯学習が目的とする「学力」も、「社会性」も、「感受性」も学校教育がいうところと異なる筈はないのです。結果的に、「生きる力」に老若男女の差異はないということになるのです。

 


 

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