アメリカンアイドルシーズン6開始

 「24」に続き、全米視聴率ナンバー1の歌手オーディション番組「アメリカンアイドル」シーズン6も今週から放送開始された。この番組もこれまでのシーズンと同じフォーマットを踏襲している。最初の数週は全米各都市でのオーディションの模様、次の数週を勝ち残った参加者がハリウッドでの2次予選に進み、上位12人での決勝からは毎週一人ずつ脱落していって優勝者がアメリカンアイドルとなる。
 毎シーズン、優勝者と準優勝者はメジャーデビューしてアルバムをリリースしていて、決勝に残ったうちで人気があったもう一人二人もデビューを果たしている。決勝に残った挑戦者の多くはプロとして十分通用する歌唱力を持っているが、この番組の持つ独特のノリと勢いによって下駄をはいている面が多分にある。番組が終われば熱狂に支えられたマジックは消えてしまい、一発屋で終わろうとしている人たちもいれば、人気を保ってそのままアイドルとしての地位を確立しようとしている人たちもいる。シーズン1優勝のケリー・クラークソンやシーズン2準優勝のクレイ・エイケン、シーズン4優勝のキャリー・アンダーウッドはトップアイドル入りを果たしている。Wikipediaを見ると、他の優勝者やメジャーデビューを果たした上位入賞者の何人かは数十万~100万枚のアルバム売上を挙げている。番組のマジックに依存していた人たちはメジャーデビューは果たしたがCDの売れ行きが伸び悩んでいる。そんな人たちはメジャーでシンガーとしてそのまま生き残るのは厳しそうだが、俳優や司会業、地域のアイドルなどの道を模索する人もいる。なかにはつい先日、映画「ドリームガール」でゴールデングローブ助演女優賞を受賞したジェニファー・ハドソンのような大成功例もある。いずれにしてもオーディションのおかげで開かれた、新たなキャリアの歩を踏み出していることには違いない。

 番組のシーズン後半は、そうしたアイドルの卵たちが毎週競って成長していく様子が番組の売りになるが、シーズン当初の数週の番組の売りは彼らではない。自分の実力を省みずに自分が次のアメリカンアイドルになると信じて疑わず、恥ずかしいパフォーマンスを披露してジャッジに酷評されては消えていく人々の滑稽さである。見ていると、アメリカの広さといろんな人が生きていることをしみじみと考えさせられる。
 自分のことを客観視する力がなく、痛い目に遭う機会もなく公共の電波でネタにされてしまう人たちは、気の毒といえば気の毒だ。あきらかに実力がないのに、家族や音楽の先生に励まされて参加してきて、ジャッジに酷評されて激しく傷ついて帰っていく人たちは見るにいたたまれない。
 競争環境での経験がよい学習の機会となる面はある。だが、競争の中で学べるのはそのための準備のできている人たちだけで、それ以外の人たちにはよい経験どころか逆効果でしかない。歌が好きな人でも、こんなところに出てきてひどい目に遭えば、それがトラウマとなって好きな歌が嫌いになってしまう人も結構いることだろう。
 競争のなかでやっていける人と違って、その準備ができていない人は、次の自分の学習課題を把握する力量もなければ、厳しさに耐える耐性もない。そういう人は、そもそも競争に身をさらそうなどと考えずにカルチャースクール的な平和な環境で気楽に楽しみながら学ぶか、上を目指すのであれば競争環境に放り込んでも大丈夫なだけの準備的な学習機会を提供する必要がある。
 アメリカンアイドル自体は教育番組ではないので、そんなことはお構いなしで視聴率が取れれば問題はないし、自己認識と実力にギャップの激しい人ほど観ていて滑稽で視聴者には受ける。なので番組のスタイルに異論があるわけではない。でも教育的な観点で見ていくと、少し違ったアレンジができる。それにそうした低レベルの参加者を切り出す形でもう一つ二つスピンアウト番組の企画ができる。そんなことを考えつつ、無数に出てくる下手くそな人たちの様子を見ていた。