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子育て支援の論理と方法−「豊津寺子屋」モデルの意味と意義−

平成17年10月15日(土)

三浦清一郎

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子育て支援の論理と方法  −「豊津寺子屋」モデルの意味と意義−

  「豊津寺子屋」モデルを提出する意味は、第1に、子どもの居場所にプログラムを付加して「青少年の健全育成」を果たし、第2に、子どもの指導を通して「高齢者の活力」を引き出し、第3に、「保育」と「教育」を融合して男女共同参画の条件を整備し、第4に学校施設を活用することを通して「コミュニティ・スクール」の実現を図り、最終的に、財政難時代の地域の複合問題に対処する官民協働の「総合的システム」を創造することである。

1  地域が当面する諸課題−問題の「複合性」とはなにか?

   子育て支援をめぐる問題は複合的であり、その停滞の原因も多種多様である。しかし、最大の原因は、現行の行政制度の「縦割り」の壁であり、保育と教育をバラバラに行っていることである。学童期における保育と教育の分離は、結果的に、子育て支援のシステムもプログラムも、人、もの、金、時間等社会的資源の無駄と徒労を生み出し、地域の複合的課題に応えるシステムを作り得ていない。
  地域社会が当面する課題は、少子化であり、高齢化であり、男女共同参画の条件整備の不十分であり、少年問題の多発であり、財政難であり、最終的には、これらの問題に対処する分業化された現行システムの制度疲労である。これらの諸問題は、同時多発的に発生し、それぞれに絡み合って、地域課題を複合化している。
  それゆえ、子育て支援の最適のシステムを構築するためには、保育と教育を結合することに留まらない。財政難を考慮し、高齢化も視野に入れ、社会に参画する女性の条件整備を果たし、学校のあり方を含め、従来の分業を見直し、行政の硬直的な縦割りを正さなければならない。

2  事業システムの「数鳥性」

  問題の複合化は、当然、解決策の総合化を要求する。複合化する地域社会の課題を解決する為には、それぞれの課題に関わる諸要素・諸分野を組み合わせた総合的なシステムが提案されなければならない。構想すべきシステムは複数の目的を同時に果たさなければならない。それが事業の「数鳥性」(山口県が使用した標語)である。「数鳥」とは「一石二鳥」の「鳥」が二羽以上になったことを意味する。子育て支援は従来の分業の論理に従って、子育て支援だけを目標にするだけでは十分ではない。高齢化も視野に入れ、財政難も考慮し、制度の効率的活用も果たさなければならない。複合問題は、システムの「総合化」と目的の「数鳥性」を同時に必要としているのである。「タコつぼ」化した従来の分業システムを統合して、複数の目標を同時に達成する仕組みを発明しなければならない。
  それゆえ、求められている事業システムは、少子化の防止に繋がり、熟年の元気に繋がり、子どもの自立を達成し、女性の社会参画条件の整備に役立ち、行政の連携・融合を促進し、学校をコミュニティ・スクールに変革し得るようなものでなければならない。
  果たして、そんな事業システムが可能か!?福岡県豊津町が展開している「寺子屋」事業はまさに「保教育」を原理に掲げた「数鳥性」事業の実践モデルの創造を目指している。資料1は実行委員会が町長に提出した「豊津寺子屋」の歴史と事業総合化の視点である。

 
資料1    
総合化の歴史と視点

「豊津寺子屋」事業の歴史と経過

 平成14年度 豊津町男女共同参画社会まちづくり懇話会が発足
         提言と行動計画の策定
 平成15年度 豊津町男女共同参画行動計画実行委員会
         子育て支援のための相談事業の実施
 平成16年度 子育て支援事業として「豊津寺子屋」の開設
         豊津小学校でパイロット事業の開始 毎週土曜日及び夏休みに開校
 平成17年度 町内にある3小学校を対象に毎週月曜日から金曜日の放課後と夏休みに開校

行政的視点から見た「寺子屋」事業の内容と方法

1. 放課後及び休暇中の子どもの居場所を確保し、異年齢の集団を組織化して、子どもの多様な活動を展開する。
2. 全小学校における「寺子屋」事業のシステム化によって、学童期の子どもをもつ家庭を支援し、特に、女性の就労及び社会参画の条件を整備する。
3. 対象は小学生、1年生から6年生までとする。
4. 学校の「コミュニティ・スクール」化を想定し、活動場所は学校施設の開放によって確保する。
5. 活動の指導は町の内外から熟年を中心とした指導者を募り、研修、登録、指導プログラムの立案によって豊津寺子屋有志指導者グループを組織化する。
6. 活動プログラムは「有志指導者」の指導可能領域を勘案の上立案する。
7. プログラムの時間帯は従来の「学童保育」の時間帯をモデルとして工夫する。
8. パイロット事業の経験に鑑み、寺子屋プログラムへの参加は「有料制」とし、「有志指導者」に対しては行政判断による若干の「費用弁償」を行う。
9. 万一の事故に備えて指導者には指導を依頼する行政の責任で、参加児童にはそれぞれの家庭の責任で安全保険をかける。学校が主体的に参加すれば文部科学省関連の「学校安全会保険」の適用も可能である。
10. パイロット事業の成果を踏まえて、活動方針及び指導の原則を継承し、参加児童の保護者からは寺子屋プログラム及び活動指針に対する同意書の提出を義務付ける。

3 男女共同参画条件の整備のための「保育」と「教育」の融合 −「保教育」概念の提唱−

   現状で提案されている子育て支援の方法は保育の視点から見ても、教育の視点から見ても極めて不十分である。保育には教育の視点がなく、教育には保育の視点が欠如している。それゆえ、子どもの「安全」と「発達」を総合的に配慮する視点を欠き、支援の方法は非効率的で、男女共同参画を推進する条件整備の課題に応えていない。また、支援の中身は、幼児に対しても、少年に対しても、地域プログラムは教育原理上のバランスを欠き、指導の体制も極めて不十分である。さらに子どもの参加者数が増大した場合、現行の社会教育施設では十分な活動を展開できないことは明かである。それにもかかわらず、地域の公共施設の中で、子どもの活動に最も適した学校は、人的、物的資源の地域開放において、極めて閉鎖的・非協力的であり、放課後や長期休暇中の学校施設は到底、子育て支援の「場」とはなり得ていない。
  子ども達にとっても、親にとっても、最も必要なのは安全な居場所であり、健全な成長を保障する「保育」と「教育」の同時提供である。これを新しく「保教育」という概念で呼びたい。従来の「一時預かり」や「学童保育」だけでは女性は安心して働きに出たり、心置きなく社会的活動に参画することは不安である。その理由は保育の機能が不十分であるというだけではない。もっとも肝心な点は、通常の「預かり保育」には、積極的な「教育」がなく、躍動的な「遊び」がないことである。
  その原因は、保育が保育行政だけに任され、教育は主として学校に分業化されたからである。一時保育や大部分の学童保育には、「預かり」や「安全管理」の機能はあっても、子どもの成長・発達を促進する十分な「教育」や「遊び」の視点がなく、教育プログラムを実行するシステムや機能が存在していない。2 −3人の保育者が数十名の、しかも異年齢の子ども達を小さな空間に閉じ込めて、教育や遊びのプログラムを展開することはそもそも不可能であった。
  それゆえ、「保教育」の概念は、「預かり」や「安全管理」と「教育」や「遊び」の視点を結合することである。換言すれば、保教育は、親の不在の時に、子どもの居場所と安全を確保し、同時に、成長期の子ども達にその発達を促す教育と遊びの指導を保障することを意味する。
   保教育を必要とする背景は、「女性の社会参画」条件の促進であり、放課後や休日に残された監督者のいない「異年齢集団」の子どもを想定した教育的補完の必要であり、失われた「地域の遊びや教育力の復活」であり、最終的には、保護者が安心できる子育ての条件を整備して「少子化」を防止することである。

4  保育における教育の不在−教育における保育の不在

  「保教育」が実現できない理由は保育が教育機能を考えず、教育が保育機能を考えないからである。保育には、教育プログラムが不在であり、プログラムを実施する指導者が不足している。反対に、教育には、保育の発想が欠如し、働く保護者への支援機能がほとんど全く考慮されていない。
  現に、教育行政が提案している子どもの活動プログラムは、教育や遊びの枠の中だけで発想され、保護者の労働時間帯はほとんど考慮されていない。したがって、地域における既存の教育プログラムは、親の仕事には関係なく、通常の学期中も、休暇中も、活動の時間帯・日数ともに、不定期、不規則にしか提供されていない。
  結果的に、教育分野における子育て支援のプログラムは質量ともに貧弱である。なにより、参加する子どもの数は少数であり、活動は不定期であり、参加者の延べ人数に至っては到底投入している公金の「費用対効果」の評価基準に耐え得ない。結論は、子育て支援の教育プログラムは、保護者に対する「支援」の名に値しない。保育機能を伴わない教育プログラムは、男女共同参画時代の子育て支援にはならないのである。すでに女性の就労率は7割を越えたといわれる。両親が就労している家庭にとって、たとえ教育上の意義はあっても、保護者の労働している時間に、子どもの居場所と子どもの安全が確保されない自由参加の教育プログラムはほとんど意味がないのである。
  したがって、真に、家庭の子育てを支援する為には、「保育」と「教育」の両方が不可欠であり、対応策は子育て支援施策における保育と教育との結合した「保教育」プログラムの実践である。現行システムの問題点は、行政の仕組みの上でも、プログラムの中身と方法の上でも、「保育」と「教育」を分業化して切り離したことである。その反省の上に立った「豊津寺子屋」のシステムは「保育」と「教育」を同時に遂行する「保教育」を目的としている。それゆえ、寺子屋のプログラムは子どもの活動の教育性を高めるに留まらず、保育の時間帯は女性の就労と社会参画の条件整備を意識し、夏休みは土日とお盆休みを除く毎日;8:00-18:00に設定し、通常日は15:00-18:00を設定している。
  家族、中でも女性が安心して子どもを育て、安心して社会に参画でき、安心して次の子どもを生めるようにすることが制度の目的である。寺子屋システムの最終的かつ最大の目的は「少子化」の防止であることは言うまでもない。

5  プログラムの実行を保障する指導者の重要性
 (1) 多様・多数の指導者の必要

  プログラムがあるだけでは子どもの活動は自転せず、子どもの遊びも自然発生はしない。「遊び場ひろば」を作れば、子どもが失われた子ども集団を取り戻し、健全に成長するというのは、現代の「迷信」である。福岡県が大金を投入した「アンビシャスひろば」の補助事業は、保育の発想を欠落した上に、上記の「迷信」の上に発想された事業である。文部科学省が補助する「子ども教室」事業の大部分も似たり寄ったりである。指導者が質・量共に不足しており、プログラムは散発的で貧しく、保育の発想は皆無に近い。
  「居場所」を準備しただけでは、現代の子どもは自らの集団も作り得ず、自分達で遊ぶことすらままならない。それゆえ、活動を組み立て、方法を工夫し、子ども達の安全を確保しつつ、彼らの活動を応援・激励してプログラムを実施する指導者が不可欠である。しかも、子どもの活動が豊かで、多様なものにしようとすれば、遊びから集団生活まで、プログラムも多種多様でなければならない。従って、多様な分野の数多くの指導者が必要になる。もちろん、財源さえあれば、指導者は発掘出来るであろう。しかし、地方の自治体には、すでに、放課後や休日の子どもの指導に振り向ける潤沢な財源はない。地域での活動を希望する子どもに十分な数の指導者を雇用する予算はない。指導者の数は、プログラムの質・量に関係するが、放課後や休日の保教育を念頭におけば、学校教員に優るとも劣らぬだけの人数が必要になるのである。しかしながら、財政難の今日、実際問題として、職業的指導者は諦めなければならない。それゆえ、時間と経験とエネルギーに富んだ熟年の方々に応援をお願いしなければならない。指導者を構成するのは熟年を中心とした地域のボランティアである。熟年の活動は、子育て支援の中核としてプログラムを支えると同時に熟年自身の健康と生き甲斐に寄与する。青少年育成が「表の目標」であるとすれば、熟年の活力創造は「隠れたカリキュラム」としての「裏の目標」である。
  熟年ボランティアの発掘と養成が急務となる所以である。

(2) 何故、熟年か?
   高齢者の活力維持条件−「社会的承認」と「活動の継続」
   定年を迎えるまで現代の熟年世代はお元気である。しかし、生涯学習や社会貢献の発想を欠いた高齢社会の悲劇は、定年を境に人々の心身が一気に衰えることである。高齢者の宿命は「老い」である。「老い」とは「『衰弱と死』に向かっての降下」(ボーバワ −ル)である。「老い」は放置すれば、例外なく「衰弱と死」への降下を加速する。日本社会の危機は、衰弱の加速に起因している。高齢者の「老い」を抑止する上で、現状の生涯スポーツや生涯学習は十分な貢献を果たしていない。医療費と介護費の大赤字がそれを証明している。社会教育に政治の評価が得られないのも、公民館や生涯学習センターの社会貢献が全く不十分だからである。
  急激な衰えは年齢からだけくるものではない。主たる原因は定年後の人々が日々の目標を喪失するからである。高齢者の目標の喪失とは、社会に「必要とされなくなること」を意味する。定年による労働の終りは、社会的生産とサービスの終焉を意味する。労働を通した社会「貢献」の終りであり、職業的「役割」の消滅である。
  結果として、定年後の熟年は人々に切実に必要とされる場面が激減し、自分の存在に対する社会的承認を得ることが難しい。この「無用」感こそが老いの最大の敵である。必要とされなければ必然的に心身の活動は激減する。使っている間は機能を保持出来るが、使わなくなれば、人間の機能は一気に衰退する。生理学的にも、必要でない機能を保持する理由はないからであろう。人間の心身は合理的である。使わない筋肉も、使わない頭脳も、使う必要がないことによって衰える。
  それゆえ、熟年の元気を保持・存続させる最重要の方法は、心身の機能を使い続けることである。「予防の医学」に倣って言えば「予防の福祉」である。その為には、生涯学習やボランティアの発想を具体化して、彼らの「活動の場所」を創造し、彼らが社会的に「必要とされる」条件を発明することが不可欠である。
  子育て支援の指導者の役割が「必要な活動」の工夫の一つであることは疑いない。なぜなら、子育て支援は緊急の地域課題であり、あらゆる子どもの活動の指導に熟年の能力を生かすことができる。特技を持っていない熟年でも安全の見守りはできる。ほとんどの熟年は子育て経験者であり、かつては多くの部下を指導した経験者である。しかも、他の世代と比べて、熟年が最も時間的自由に恵まれており、人生経験が抱負であり、経済的に一定の老後の保障も受け、エネルギーも残っている。
  ただし、取り組みは急がなければならない。定年後の「活動の空白」こそが危険の原因であるからである。何ひとつ社会的活動に貢献しない彼らが要介護者に転落するのは時間の問題であり、心身の故障を多発して地域の医療負担を増大させるのも時間の問題である。「豊津寺子屋」では活動を通して健康を維持した高齢者も、地域社会への貢献著しい高齢者も年度末に顕彰し、彼らに対する社会の感謝の思いを伝えている。資料2は毎年度末に行なう「表彰制度」の考え方である


寺子屋資料2


「有志指導者」表彰制度

   豊津寺子屋を支えてくださった「有志指導者」の功績に鑑み、子ども達、保護者および行政からの感謝を込めてそのボランティア・スピリットと地域社会への貢献を顕彰します。
1  (特別感謝状)
    「寺子屋」事業に対する多大の奉仕と参画に対する感謝状
     原則として、年間50回または150時間以上の指導実績
 2  (特定技術貢献感謝状)
     他に抜きん出た専門・特別の技能・技術を用いた貢献に対する感謝状
     貢献の種類/内容については実行員会で協議する
 3  (運営貢献感謝状)
     物的および財政上の貢献に対する感謝状
     寺子屋活動に対する材料や資金の提供による著しい貢献に対する顕彰
 4 (健康賞 )
65才以上の「有志指導者」で、1年間の指導期間を通じて20回以上の指導実績を持ちその間、病院や医者の世話にならなかった健康な熟年指導者の顕彰


6  ボランティア指導者の養成と活用
(1) 日本文化への配慮と「他薦」方式の厳守

  「ボランティア」は輸入概念である。その適切な日本語訳がなく、いまだにカタカナを使っているのが何よりの証拠であろう。それゆえ、活用にあたっては、日本文化との整合性を配慮した工夫が必要である。ボランティアの発掘にあたって、最も配慮すべきは日本文化が強調する「謙譲の美徳」である。
  この社会では「慎ましい人」や「誠実な人」や「奥ゆかしい人」は遠慮がちで、自ら名乗り出る事はすくない。「手をあげる」こと自体が謙譲の美徳に反する事が多いからである。斯くして、「能ある鷹」は爪を隠し、実るほどに「稲穂」は頭を垂れる。満開の藤の花は「下がるほどに」その名は「上がる」のである。斯くして日本社会のボランティアの「自薦」式募集は禁物である。多くの自治体の「人材バンク」が機能しないのはその原因の多くが「自薦」方式を採っているからである。いささか乱暴な総括になるが、この国では、「自分で手を挙げて出てくる人」は多くの政治家の例を始めとして、危ないのである。そこで福岡県宗像市の「市民学習ネットワーク」事業の指導者も、同県豊津町の子育てボランティアの「有志指導者」も、募集に際して「自薦」は受け付けず、「他薦」の方式を採用したのである。
  日本の文化に照らせば、「他薦」の場合、被推薦者の行動については、推薦者が責任の半分を負わなければならない。他方、推薦を受けたものは推薦してくれた人の顔をつぶす事はできないので頑張る。被推薦者が評価に適わなければ、推薦者は目利きではない、という評価に繋がり、推薦者の顔に泥を塗ることになるからである。それが日本文化の「掟」である。斯くして、「他薦」方式には、推薦者の威信がかかっており、被推薦者の推薦者に対する礼節の義務が伴い、2重の意味で制御装置が働くのである。宗像市も、豊津町も推薦いただいた「有志指導者」の「落ちこぼれ」は極めて少数であった。文化の抑止力は機能しているのである。 

(2) ボランティアへの「費用弁償」−「存在必要」の証明

  日本社会の大きな失敗はボランティアを「ただ」でお願いしたことである。人間が働けばお腹は空く。移動すれば交通費もかかるだろう。それらを総て「手弁当」で賄った上、他者のための活動を続けてくれというのでは、頼む方に無理がある。「ボランティアただ論」の理論的根拠は、欧米社会が掲げたボランティアの「無償性」であるが、「無償」の概念に対する理解が浅薄である。
  「無償性」とは「労働の対価」を受けない、という意味である。無償性に含まれた「償い」とは報酬や賃金を意味し、活動に必要な経費すら受取らないという意味ではない。第一、活動費用の弁償がないのに、活動を継続できる人は基本的に恵まれた人だけである。ボランティアは恵まれた人だけの特権ではない。さらに、社会が「費用弁償」の制度まで整えて、「有志」の参加と貢献を呼び掛けるのは、それが社会的に意義のあることであり、必要なことだからである。それゆえ、「費用弁償」は「社会的必要」の象徴であり、そこからボランティア参加者のやり甲斐と社会に「必要とされているという実感」が生み出される。彼らが受取る「費用弁償」は彼らの「存在必要」の証明である。社会に必要とされることが彼らのエネルギーを生み出し、やりがいや生き甲斐に通じることは論を待たない。上記の通り、「豊津寺子屋」のボランティア指導者は「他薦」方式によって発掘している。また、ボランティアの指導には3時間を基準として1、500円の「費用弁償」を支払っている。「他薦」と「費用弁償」という二つの配慮の組み合わせによって、脱落者はほとんどいない。ボランティアの「無償性」原則を「ただ」と解釈したことが日本社会;特に教育行政と福祉行政の最大の失敗であった。「無償」とは報酬や賃金など「労働の対価」を受取らないという意味に限定すべきであった。

(3)  子育て支援研修の義務化

   子どもの居場所を作っただけでは子どもの成長は保障できない。問題はプログラムであり、その実施方法である。子育て支援の成否を決定する最大の試練は、指導者の確保と彼らが実施する指導の中身と方法の研修である。なぜなら、戦後日本の教育は、「子宝の風土」の副作用を抑止できず、子ども達は「へなへな」であり、社会規範は身に付いていず、礼節は不十分であり、思いやりややさしさの態度や行為にもおおいに欠けるところがあるからである。
  「豊津寺子屋」の少年プログラムはその構成と実施方法が従来の学校教育や社会教育、当然、家庭教育とも大いに異なる。原理的に、「半人前」の意志は「半分」しか認めない。教育の主導は指導者であり、指導の方法は子どもの生活に必要な「型」を楽しく工夫して反復に重点をおく。子どもは「一人前」に向かって体力も、我慢強さも、礼節も、共同の精神も、思いやりの態度も身に付け、日本語の基本を「体得」する。子ども集団は小学校1年 −6年までの異年齢構成である。
  それゆえ、ボランティアの指導者には「子育て支援」研修の受講をお願いしている。研修を受講しないものは指導の資格を与えないというルールである。子どもの自立にはプログラムが命である。プログラムを確立する為には、指導者の考え方が最も重要である。それゆえ、ボランティアは指導を開始するにあたって、戦後教育とは異なり、現行の学校教育とは一線を画した指導原理と方法の研修を導入している。基本は「守役」の機能であり、子どもの指導は楽しいことを旨とはするが、中身は「型の体得」に重点をおいた指導法である。ボランティア指導者が「指導の原則と方法」を納得した後は、指導カリキュラムの作成を委任し、チーム指導体制を導入している。養成研修の内容の一例は資料3のとおりである。子どもの指導計画は資料4の通り、指導者を20を越える領域別チームに編成し、内容・方法ともに、チーム内の合議によって決定している。

寺子屋資料3
事例:          豊津寺子屋有志指導者研修会レジュメ

「養育」の社会化−「豊津寺子屋」の基本理念

 講義・協議資料  

1  「養育」の社会化
    (1) 「守役」の再認識
    (2) 「生きる力」の恒常的プログラムの創造

2  学校施設の開放
    (1)  学校は「コミュニティ・スクール」になる
    (2)  学校は税金で建設された子どものための施設である

3  保育と教育の総合化
   寺子屋は「指導」と「看取り」の2つの機能をになっている
  「学童保・教育」の創造

4  「有志指導者」の活躍と熟年の健康
  「活動」こそが熟年の「生きる力」の保持存続のカギ

5  子どもの元気→熟年の元気→女性の元気
 


寺子屋資料4

「チーム指導」について

1. 目的: 

寺子屋のプログラム別に別紙のような「指導チーム」を編成し、指導者の配置と指導方法をチームの自主的な決定できるように配慮し、合わせて事務の効率化を図りたい、と考えております。

2.チームの編成方法:

* 「有志指導者」の現状の指導体制と活動分野を分類し、別紙案のような総計21のチームを編成しました。
* 各チームにはこれまでの指導の回数などを勘案して実行委員会が「リーダー」と「サブリーダー」を選出しています。

3. 「リーダー」及び「サブリーダー」のお役目

* 「リーダー」及び「サブリーダー」は編成された寺子屋プログラムの指導の中身と方法を相談し、指導のチームのメンバーを決めていただくお役目です。
*  2学期のプログラム日程をごらん頂き、リーダーの方にはそれぞれのチームから、当日の指導にあたるメンバーを選んでいただきます。その時、リーダーのご都合とプログラムの日程が合わなかった場合には「サブリーダー」の方が中心となって指導をお願いすることになります。
*  万一、「リーダー」も、「サブリーダー」も、ご都合が悪く、当日の指導ができないという場合もあるでしょう。その時は、お二人が相談してご自分のチームの中から当日のプログラム指導の責任者を選んで、チームを編成し、事務局までお知らせ下さい。

4.  特別プログラム

* 別紙の通り、寺子屋の通常活動は21の分野に分類いたしましたが、2学期以降は               少しずつ特別なプログラムを導入して参りたいと考えております。
 * 特別プログラムの例としては、「通学合宿」、「野外ハイキング」、「農業体験」、「地域清掃」「施設訪問」、「特別鑑賞プログラム」、「釣り」などを想定しております。
 * 特別プログラムの指導チームはその時々で臨機応変に編成いたします。
 


7  プログラムの中身と方法の転換
(1) 指導原理の再検討ープログラムの「質」・「量」は適切か?

  保育の機能に教育の機能を付加するということは、子どもの「安全」に健全な活動を付加することを意味する。目的は立派に「一人前」を育てることである。「一人前」の定義は「保護」から「自立」へ向かうことだと簡単に考えればいい。保護の前提は「自分のことが自分では出来ず、自分のことも自分では決められない」ということである。それゆえ、自立の基準は「保護」が必要でない状態に達する事である。換言すれば、「自分のことは自分でやり、自分のことは自分で決めること」である。その前提がたくましい心身の育成である。
  しかし、現代の子どもは心身共にへなへなである。それゆえ、プログラムの重点は心身を鍛える「体力」と「耐性」の育成である。具体的には、躍動的な遊びと教育活動を組み合わせて、心身の挑戦を応援し、集団生活、社会生活の予行演習をたっぷり実施することである。
  プログラムの中身と方法こそがいわゆる「教育力」の主要な構成条件である。家庭の教育力の貧困化を指摘し、地域の教育力の衰退をなげくということは、それぞれの場で実施されているプログラムの質と量を問うことに外ならないのである。特に、重要な問題は、実施されている多くのプログラムが根本の発想において間違っている事である。「子どもの居場所」や「遊び場広場」へ出かけた子どもの態度や行動がいっこうに改善されないのはそのためである。子育て支援はプログラムの質を問い、指導上の教育原理と方法論を再検討しなければならないのである。

(2) 「四つの過剰」と「四つの欠落」

  「豊津寺子屋」の見学者は、異口同音に"わが町の子ども達はこんな風に整然と並んだり、ハキハキと返事をしたり、自分達だけで次のプログラムを準備したりすることはできません。どのような指導をしているのですか?"と質問する。また、"皆さんのような厳しい、他律的な指導をしたら、子どもは来なくなりませんか?"とも尋ねる。これらの疑問の背景には「四つの過剰」が存在する。多くのプログラムは子どもの「自主性に任せる」といって、わがままを放任し、「主体性を尊重する」といって、勝手な振る舞いを見逃している。子どもが整列できないのも、他律の中で躍動的に遊びかつ学んでいるという事実が理解できないのも、戦後の教育が間違ったことに気付いていないからである。
  「四つの過剰」は「子宝の風土」の宿命である。子どもが宝であるという前提に立てば、「宝」を守り、「宝」に奉仕することが子育ての指針になる。「宝」こそが中心であり、「宝」こそが最も重要な存在だからである。
 結果的に、日本の育児は「過保護」、「過干渉」の傾向を免れないのである。保護や干渉の過剰は、日常、「四つの過剰」として登場する。「四つの過剰」とは、「世話の過剰」であり、「指示の過剰」であり、「授与の過剰」であり、「受容の過剰」である。「世話の過剰」は子どもの自立と独歩を妨げる。「指示の過剰」は判断の停止と「指示待ち人間」の大量発生を結果させた。「授与の過剰」は子どもに感謝のこころを忘れさせる。「受容の過剰」こそはわがままと勝手の生みの親であり、「自己虫」を大量発生させた原因である。
  もちろん、世話も、指示も、授与も、受容も、子どもの発達・成長過程においては不可欠/重要なものであることは論を待たない。「四つの欠落」とは上記の4要素が不十分の場合を意味する。周囲の世話がなければ、子どもは育たず、指示がなければ、日常に対処することも出来ない。授与が欠ければ生活が頓挫し、周囲に受容されない子どもは情に飢えて、自信を失う。これらの要因の内のどの一つが欠けても、正常な発達を期待することはできない。要因の不足は断じて避けなければならない。それゆえ、子育て指針の結論は、「過剰」も「欠落」も避けなければならない。大切なのは、発達要因の「バランス」であり、子育てに必要な条件の「さじ加減」である。
  しかし、である。われわれの子育て実践の現実は通常「保護」に傾く。「子宝の風土」は「宝」を守ることが鉄則だからである。それゆえ、一般傾向として、「四つの過剰」は生じても、「四つの欠落」は生じにくい。「放任や虐待」は「四つの欠落」がもたらす現象であり、「甘やかしと放任」は「四つの過剰」の子育て実践である。この場合、「放任」は「過剰」にも、「欠落」にも双方に発生することに注意が必要である。日常の基本的世話すらしないのは「虐待的放任」であり、ルール違反の指導すらしないのは「甘やかし的放任」である。「虐待と放任」と「甘やかしと放任」はどちらが多いか?断然、圧倒的に、「甘やかしと放任」の方であろう。したがって、世間が受け継いできた「教訓」は「甘やかしと放任の戒め」であった。「可愛い子には旅」や「辛さに耐えて、丈夫に育てよ!」はその代表である。しかし、戦後育児はもとより、戦後教育においても、実行される事は稀であった。

(3)  幼児教育/少年教育の誤謬

  経済白書が「戦後は終わった」と宣言をした頃から、戦後教育の誤謬が明白になる。それまでは「貧乏という先生」がいたので辛うじて教育のさじ加減;保護と自立のバランスは保たれていた。「貧しさ」は子どもの責任も、協力も、自立も、日々の暮らしの中で厳しく問うたからである。
  暮らしが豊かになった時、幼児教育/少年教育は保護と自立の「さじ加減」のバランスを失い始めた。地域と家庭の子育ては「子宝の風土」の感情に流されて完全に過保護に傾き、時には教えるべき事を教えない「放任」との同時存在となった。この状況を修正すべき学校では、風土の特性を理解し、保護と自立のバランスをわきまえていた古い先生方が退職し、欧米流の「児童中心主義」が文字どおりの主流となった。学校教育は「守役」の本分を忘れ、「児童」こそが「中心」であるとして、規範の指導力を失い、「知育」に傾き、全人教育の役割を放棄したかのごとき様相を呈したのである。斯くして、子育てボランティアの養成研修の核心は、必然的に、「失った保護と自立のさじ加減の回復」が第1、子宝の風土に伝えられた「教訓の復活」が第2、子どもの主体性や自主性を過信する「児童中心主義の過剰信仰の戒め」が第3の目的である。具体的なプログラム中身と指導原理は、心身の鍛練と修養を重視し、礼節や規範の体得を主眼とし、異年齢の集団活動体験による社会生活の予行演習に力を入れる事を強調した。指導方法の中心は反復による「型」の体得である。言語能力は言葉の「型」の体得であり、礼義作法は社会における人間関係のあり方の「型」の体得であり、やさしい行為や思いやりに満ちた態度は「あるべき心」の「型」である。「型にはまり」、「型どおりにしか出来ない」ことを予防する為には、「型」を修得したあとで子どもに自由な発想で活動する機会を沢山作ればいい。それが世阿弥のいう「型より入りて、型より出ずる」に外ならない。資料5は、寺子屋の実行委員会がボランティアの「有志指導者」と約束した指導上の「原則」であり、資料6は保育時間の「自主学習」の考え方である。

寺子屋資料5
 

「豊津寺子屋」指導上の約束


   豊津寺子屋の目標は子どもの自立です。その過程で地域の大事な子ども達の「安全」と「生きる力」の向上を目指しています。実行委員も有志指導者も、子どもと保護者の信頼を勝ちうるベく指導には細心の注意と可能な限りの力を尽して当たりたいと思います。ここに「豊津寺子屋」指導上の約束事を定めて一同の自戒としたいと思います。

一  寺子屋の活動は、子どもの自立を最重点の課題とし、『やってみせて、教えるけれど、出来るだけ手は出さない、自分でやるように励ます、努力に対して最大の評価を与える』を指導原則とします。

一  豊津寺子屋の活動は「異年齢の集団」を基本とし、社会生活の「予行演習」を想定しています。知識や技術を「異質の集団」に指導することの困難は承知の上ですが、寺子屋では、「社会の異質性」に適応し、上級生が下級生の世話や指導をすること、下級生が上級生を目標としてがんばることの方がさらに重要であると考えて異年齢集団の活動を重視します。

一  日常指導上の重点は、「礼儀」、「規律」、「後片付け」に置きます。

一  重点指導の基本として、指導者はもちろん、子ども達も、活動の開始、移動、終了などルールと時間を厳守します。

一  指導上、「師」と「弟子」の間の心理的距離を保つ為、実行委員並びに有志指導者は子ども達から「先生」と呼ばせます。指導にあたっては常に「先生の立場」で子どもに接して下さい。「師弟」の緊張関係が確立して初めて、「礼儀」も、「規律」も子ども達の「がんばり」も保つことが出来ます。

一  寺子屋の参加者は全員「名札」をつけます。子ども達に声をかける場合には必ず名前を呼ぶようにします。ひとり一人の子ども達を知り、子ども達が指導者の皆さんを知る時、地域における子どもの安全がより強化できると考えるからです。

一  指導に対して子どもから目に余る反抗や侮辱があった場合には、直ちに「塾長」、「会長」または「事務局」まで連絡して、対処方法を決定します。「不適切な行動モデル」は絶対に看過しないことを原則とします。

一  活動を担当する場合、「緊急時の対応法」、保護者からの「連絡帳」、「寺子屋通信」などを参照の上、指導にあたります。
 


寺子屋資料6

「自主学習」時間の時間割

1  「自主学習」を子どもの自主性に任せてはならない

 「保教育」の概念を全面に打ち出した「豊津寺子屋」事業がいよいよ新年度から本格的に始まる。学童保育の担当者が苦労したであろうように、「豊津寺子屋」でも、平日の放課後は、一度に子ども達は集合できない。子ども達が全員揃わない前半の1時間30分と全員が揃う後半の1時間30分はプログラムの対応を工夫しなければならない。学校の授業はさみだれ式に終わる。それゆえ、前半は、三々五々に集まってくる子ども達を収容して、静かに自主学習をさせなければならない。特に、今回は学校の協力が得られて、初めは、本校舎内の三つの教室に、順次、授業の終わった子ども達を収容する。それゆえ、低学年の授業が修了しても、高学年の授業は続いていることになる。集合した子ども達が走り回ったり、大声を出したりすれば、授業の妨害になるばかりか、預かった子ども達の教育効果は吹っ飛んでしまう。当然、「寺子屋」は信用を失い、"それ見たことか!"と学校側の失笑を買うことになるであろう。宿題をしなさい、本を読みなさい、というようなことでは保教育の指導をしたことにはならない。しつけの行き届いていない子ども達に「自主学習」を指示しただけでは事は全く解決しないのである。「自主学習」といいながらも、自主性が確立していない子どもの自主性に任せて放置すれば、「自主学習」環境は崩壊する。恐らくは、これまでの学童保育が苦労したであろう「自主学習」のジレンマがここにある。かくして「自主学習」といいながらも、全学年の児童の授業が終了するまでの約1時間30分の活動の「中身と方法」が問われることになる。それが「自主学習」の時間割である。学童「保育」が学童の「保教育」になるためには「自主学習」の時間割が決め手である。

2  「授業の束縛」からの解放
  わくわくする時間−くつろぎの時間をどう始めるか!?

 授業が終わって帰ってくる子ども達は解放感に溢れていることだろう。それを再び「自主学習」とか「宿題サポート」という固い「学習」概念の中に閉じ込めてしまうのは「酷」というものである。しかし、校舎内では高学年の授業が続いているのだから、スポーツや遊びに外を駆け回らせるわけには行かない。授業から開放された「くつろぎの時間」が必要であり、子ども達のエネルギーの方向転換を図る「わくわくする飽きない時間」の工夫が不可欠である。全学年が揃うまでの「待機」時間は、『自主学習−宿題サポート』の総称で呼んでいるが、中身は子ども達を「学校授業の枠」から解放できるわくわくするような楽しいことから始めなければならない。学童の「仕事」が勉強であれば、授業は「義務」であり、授業の終りは「義務」からの解放である。「義務」は束縛であり、その反対語は自由である。それゆえ、学童のくつろぎの時間は自由の感覚に溢れた「義務」からの解放でなければならない。当然、「仕事」の反対語は「遊び」である。室内遊びから自主学習時間割を始める理由がここにある。

3  低学年の自由感溢れる遊び

  低学年児童は長い集中や緊張には耐え得ない。だからこそ学校の授業も早く終わるのである。それゆえ、放課後の低学年の活動は気楽にくつろいで、楽しめる室内遊びから開始するのは必然である。しかし、寺子屋」の1時間目は通常、身体活動や大掛かりな遊びには使えない。体育館も、運動場も高学年児童が使用している可能性が大きいからである。
それゆえ、遊びは室内遊びに限定せざるを得ない。もちろん、室内遊びと言っても、中身は子どもの活力を取り戻し、好奇心や興奮をかき立てるようなものを工夫する事が重要である。授業に集中していたことを前提にすれば、気も、心も、肩や首筋、背中や足腰等の肉体も、がちがちに凝り固まってしまっているだろう。彼らが自由時間に奇声を上げて走り回り、ボールを蹴りまくるのは肉体と精神の凝りと固さをほぐすためであることは言うまでもない。しかし、「自主学習」の時間帯はまだ校舎内で高学年の授業が続いている。凝り固まってしまった心身をほぐすにしてもそれなりの手だてが必要になるのである。まずは寝ころんで背伸びをすることから始める。それゆえ、畳やじゅうたんを敷いた家庭科室を使うのが理想である。寝転んだり、車座に坐ってできる活動はなにか?それがカルタや読み聞かせであろう。紙芝居もいい。将棋やトランプゲーム、碁なども室内ゲームには適している。子ども達が十分リラックスしたら、次は「宿題サポート」に代表される自主学習を始める。まずは気息を整えるための音読である。先生に従って一行づつゆっくり声を出して読んで行く。全員が揃ったら又音読があるので、初めの歌とは別にカルタや短歌を応用すればいい。子ども達が気息を整え、気分を一新した段階で宿題はもちろん、読み聞かせ、読書、漢字の練習、計算練習、音読練習、カルタ取り、作文練習、家族や友だちへの手紙の練習、スケッチ、その他子どもが騒がない工夫をした室内遊びを導入することができる。

4  低学年による整理整頓活動

   通常、学校の授業は4時30分には終わる。1-6年までが揃えば、原則として、運動場や体育館に集合することになる。そのため、4時15分には使用した本校舎内の教室を清掃し、翌日からの学校活動に支障を来たさないように配慮しなければならない。本活動開始前の整理整頓は、日常の生活習慣を確立する上でも、社会的役割や責任を教える上でも重要な機会である。指導者は掃除の手順、整頓の方法、グループごとの役割と責任の分担などを徹底することが重要である。掃き掃除はもとより、寝転がったところはふき掃除が必要である。タオルも絞れない近年の子どもには絶好の練習機会である。遊びに使ったカルタでも、碁将棋でももとの箱に治め、学校の備品類は指導者の指示で、もとの場所に戻す。整理整頓は教室を利用した低学年の児童の役割であり、責任である事をしっかりと教え、整頓活動を習慣化することは自立の第1歩になる事は疑いない。「来た時よりも美しく」は寺子屋」活動の原則であることは言うまでもない。
 


8  保護者とのコミュニケーションー説明、同意、成果の発表

 (1)   選択的参加の原則と有料制

  「豊津寺子屋」プログラムは行政と住民が協働で支えるサービスシステムであり、家族による選択制である。したがって、参加しない家族に対する行政サービスと税金還元の公平を期するため、一日100円の有料制を採用している。経済的に料金の負担に耐え得ない家族に対しては現行のルールの範囲内で適切な行政的支援を行うことを原則としている。

 (2)  対象は小学校全学年、異年齢集団の活動の重視

  児童期の保育と教育の重要性に着目し、異年齢集団の教育効果を最大化するため、全学年から希望者を募集する。ただし、学校施設の開放や十分な有志指導者の確保などプログラム実施上の前提条件が整わない場合には、限定募集または地区を限定して実施する。

 (3)同意書の提出

  子どもの事故や事件の大半の加害者は子どもである。指導に従わず、ルールを守らない子どもは、躍動的なスポーツや遊びの中では、他の子どもを危険に曝す可能性が大きい。また、指導者を侮辱し、ルールに従わない子どもは活動を阻害し、他の子どもの修得や成長を妨害する。そうした基本的なしつけに欠ける子どもを放置すれば、教育も、指導も不可能であり、他の子どもの安全も保障できない。
  「豊津寺子屋」の指導方針は通常の子どもプログラムと大いに異なっている。学校の教育方針とも大いに異なっている。子どもは大切にするが、指導の主役は指導者である。寺子屋でも、当然、子どもの自主性を育てようとしているが、原則として、子どもは「型」に従い、彼らの自主性は指導の枠の中だけに限定している。それゆえ、プログラムに付いても、指導のあり方に付いても、保護者に対する十分な事前説明と途中経過の報告が不可欠である。中でも子どもの安全と成長の方向;とりわけ指導の方法と原則については十分に理解してもらうべきである。家庭の理解が得られ、その協力が得られた時、寺子屋の活動は一気に向上するからである。「豊津寺子屋」の指導にあたっては、塾長に限り、他の子どもに危険を及ぼす恐れのある行為を繰り返す子ども、ルールを無視して活動を著しく阻害する子どもに対しては厳しく対処し、「尻を叩く」などの体罰を導入するという方針を宣言している。「子宝の風土」の「甘やかしと放任」は限度を越えており、保護者の「過保護ー放任の考え方」も限度を越えている。寺子屋では事前の「親子説明会」を開催して、関係者全員に趣旨の徹底を図り、親からは、寺子屋の指導方針に対して同意書の提出を求めている。
 又、いじめや逸脱行動に付いても具体的な対処方法を事前に説明し、特に目に余るルール違反者に対する対処法も「寺子屋通信」等を活用して説明している。
  相互のコミュニケーションは学校教育以上に重要である。学校は「プロ」としての保護者から事前の信頼を勝ち得ているが、「寺子屋」は素人集団であるがゆえに、保護者とのトラブルは寺子屋活動を根底から破壊してしまう。当然、学期の終りには子どもの成果を保護者や関係者に披露すべきである。それが子どもにとっても、保護者にとっても、指導者にとっても、事業の成果を確認し、それぞれの役割と責任を自覚する最善の方法である。
資料7は「参加同意書」、資料8「寺子屋通信」の様式である。
 


寺子屋資料7

「豊津寺子屋」事業への参加同意書

  このたび豊津町では町内全小学校の全面的なご協力をいただき『豊津寺子屋」を拡充いたします。青少年の健全育成、子育て支援、地域教育力の活性化、男女共同参画の促進など多面的な視点から放課後や夏休みの子ども達に豊かな活動プログラムを提供することが目的です。
  学校を拠点として活動を展開する以上、本来の学校教育に支障のないよう施設の管理・運営には万全を期したいと思います。つきましては、「寺子屋」事業の活動ルールを別途定めました。参加児童の保護者のみなさんからは、安全を確保し、教育効果を高めるため、子ども達を参加させる上での「同意書」の提出をお願いします。

  1  活動の安全を保証し、万が一の事故に備えて指定された保険に加入します。
    
  2 「豊津寺子屋」事業の趣旨に賛同し、その任意参加制の趣旨を理解いたしました。子どもの参加に際しては、活動のルールを遵守し、学校施設利用上のルールを守り、「有志指導者」の指導に従うよう指導いたします。家庭での指導にかかわらず、万一、子どもが活動を阻害するような行為を止めなかった場合には「実行委員会」の判断に従います。

                     年   月   日

                     保護者氏名

                   ____________印

 



寺子屋資料8

「豊津寺子屋」通信


第 号
保護者各位


年 月  日
「豊津寺子屋」実行委員会
会長

いよいよ夏休み学期が始まります!!
   今日は開校式。毎日、持参品の確認をお願いします。
 いよいよ夏休み学期が始まりました。ご家庭ではピンクの「お知らせ」を注意してお読み下さい。持参品や準備を間違えるとお子さんが寺子屋の活動に参加できなくなります。「毎日必要なもの」、プログラムによって「毎日変わるもの」をお子さんと一緒にご確認下さい。

1  飲み物は十分に持たせて下さい
  夏休みは、遊びやスポーツを通してなによりもまず子ども達の身体を鍛えます。暑い日の体育館や運動場の活動は子ども達の身体に大きな「負荷」がかかり、汗をたくさんかきます。水分を十分に補給して、熱中症や脱水症状を防ぐ為、毎日、お茶やスポーツドリンクを二つくらい持たせていただけると幸いです。

2  お弁当には火を通したものを!!
  お弁当は学校のクーラーのある部屋に保存するようにいたします。しかし、猛暑の日々が続く事が予想されますのでおかずには必ず火を通したもの、酢や塩を使ったものなど「食中毒」の防止にくれぐれもご配慮下さい。

3  規則正しい生活、十分な睡眠を!
   寺子屋の一日を終われば、子ども達は心身共にくたくたになっている事でしょう。それが力を尽くした証拠、成長と向上の証です。遊びやスポーツで汗を沢山かきますので、お風呂に入れて、ゆっくり食事をさせて下さい。食欲は空腹の関数です。寺子屋では間食をさせませんので、お腹をすかせた子どもにとって夕食はどんなにおいしく感じる事でしょう。
  食事のあとは、ゆっくり休ませて、十分睡眠時間を確保出来る時間に寝るようにご指導下さい。寝不足は子どもの活力を奪います。事故や怪我の原因にもなります。現代の子どもは、毎日の24時間の内6時間余りをテレビとコンピューター・ゲームに使っているという調査結果もあります。不規則、寝不足は発達の大敵です。どうぞ、ご家庭でも就寝時間を守らせて、規則正しい生活をご指導下さい。

4  8月6日(土)のボート・カヌーの体験試乗には「水着」を着せて下さい。
   ボート・カヌーの試乗の日も、暑い日が続くと予想されます。B&Gのあるダムの周辺には日陰がありません。実行委員会ではテントを張って休憩所を作りますが、合わせて、子ども達には水をかけてやったりして暑さをしのぎたいと思います。当日は最初から「水着」を着用させて出してやって下さい。

5  「型」の指導と夏休みの可能性
  豊津小学校の1学期の寺子屋プログラムが無事に終わりました。子ども達はたった2か月で完璧に「俳句いろはカルタ」を覚えてしまいました。豊津の子ども達には俳句の意味を少しずつ説明して行きます。他の2校の子ども達もすぐに追いついて来るでしょう。子ども達は楽しく遊びながら、いろはカルタを空で言えるようになったのです。子ども達が学んだのは、日本語の「文型」の基本です。宮沢賢治の「雨にも負けず」は昨年からの続きですから毎日活動の初めに朗唱します。頑張る子ども達の「象徴」です。
  寺子屋は「型」の指導を重視しています。
  言葉使いは、社会的人間関係の「型」です。厳しく指導しますので、その他の集団行動も少しずつ出来るようになります。子どもがきちんとできるようになりましたら、是非、御家庭でも認めて、褒めて頂くようお願い申し上げます。文章の音読は「文型」を学びます。「文型」とは表現の型です。あいさつや作法は社会生活の「型」です。礼儀は道徳の「型」です。掃除や後かたづけは責任や役割遂行の基本「型」です。これらの「型」は、剣道の「型」や空手の「型」と同じく行動の土台となる基本なのです。基本の「型」が身に付いた後は、自然にその応用ができるようになります。宮沢賢治の詩も、名句の数々も、全部丸ごと覚えてしまう子ども達には少しずつそれらの意味を説明して行きます。必ずや彼らの人生の宝物になると確信しております。夏休みの寺子屋は毎日ですので、寺子屋活動の成果は一気に上がります。8月27日(土)には中央公民館で3校合同の発表会を計画しています。子ども達は一生懸命自分の到達点を発表します。今からご予定に入れていただき、是非ご家族お揃いで応援と見学にお出かけ下さい。

6  一日一日子どもの体調には十分御注意下さい。
  夏休み学期の活動は8時から18時の10時間です。プールもあり、かヌーの試乗もあります。スポーツや野外の遊びも毎日です。日々の子どもの体調にはくれぐれもご配慮下さい。万一、体調不良のため、活動を見学させたい場合は、子どもの状況を文章にして事務局へお知らせ下さい。そうしたお知らせが届いていない場合には原則として当日のプログラムに参加させますのでご了承下さい。ご家族による寺子屋活動の見学は大歓迎です。いつでも御自由にお出かけ下さい。

7  連絡先に御注意!!
  寺子屋に関するお問い合わせや連絡は学校にはしないで下さい!!
  連絡先は「豊津寺子屋」事務局です。
 


9  学校開放の不可欠性
(1) 「安全な居場所」ー「最適な活動場所」の確保

   子どもの拠点は「学校」である。利用施設は体育館、運動場、プール、図書室、家庭科室、理科室などである。学校を活用すれば、子どもは移動の必要がない。施設も環境も、子どもが日常親しんだ、子どものために設計された専門施設である。学校施設であれば、参加者数が増大した場合でも十分に対応でき、地方自治体にとっては最も経済的であり、保護者にとっては最も安心出来る施設である。最終的に、必ず、学校の閉鎖性の打破に繋がり、コミュニティ・スクールの創造に繋がる。
  子育て支援が全町(市)的に展開されるとすれば、居場所と活動の拠点は社会教育施設では不十分である。児童福祉施設でも不足である。
  理由は主として3つある。第1は子どもの参加者数が増大した時、公民館も、児童福祉施設のも、その収容能力はパンクする。第2に放課後の子どもも、長期休暇中の子どもも学校以外の施設に通わなければならない。校区内の子どもはともかく、子どもが校区外の施設に通うことは、負担であり、危険であり、結果的に利便上の不公平が生じる。慣れない施設までの子どもの道行きは安全上の問題も喚起する。交通事故しかり、犯罪への巻き込まれしかりである。指定の公民館に辿り着かないで、子どもが"蒸発"して大騒ぎになった事例も枚挙に暇がない。第3は公民館も、児童福祉施設も、通常は小規模であったり、成人との共用である為、子どもの多様な活動の同時展開には適していない。それゆえ、子育て支援の拠点には学校が最適なのである。

(2)  コミュニティ・スクールの創造
  
  学校は税金で建設された施設である。目的は限定されているが「公共施設」であることに変わりはない。しかも、なにより、学校は子どものために設計・配慮された施設である。学校教育法第85条には『学校教育上支障のない限り、学校には、社会教育に関する施設を附置し、又は学校の施設を社会教育その他公共のために利用させることができる。』とある。社会教育法の第44条は『学校の管理機関は、学校教育上支障がないと認める限り、その間利する学校の施設を社会教育のために利用に供するようにつとめなければならない。』とある。この場合の管理機関とは、市町村にあっては「教育委員会」を指すことはいうまでもない(44条の第2項)
  筆者の提案は別の学校の子どもに施設を開放すべきであるといっているのではない。当該学校の子どもに放課後や休暇中の施設を使わせて欲しいといっているのである。そうなれば、どこの地域にも存在する子どものために設計・建築された公共施設が子育て支援の拠点になることは論理の必然であろう。学校は日々通い慣れた場所であり、使い慣れた施設である。広くて、施設設備が充実していて、子育て支援が想定するあらゆる活動に対応が可能である。授業の終了が校外への移動も必要無い。保護者もさぞや安心であろう。学校施設が子育て支援の拠点足り得れば、この国に初めて本格的なコミュニティ・スクールが始動するのである。頑に門戸を閉じ、子育て支援にすら施設を開放しようとしない学校管理者は「少子化」政策の「天敵」である。学校関係者の言い分にのみ耳を傾け、明確に法が定めた学校施設のコミュニティ利用を促進しようとしない教育行政には、子育て支援も、地域の教育力も語る資格はない。
  校長の多くは施設を使わせて欲しいという多くの地域住民や母親に対して、学校教育に支障が出ると言い、バカの一つ覚えの『目的外使用』はできないのです、と繰り返してきた。試しに具体的な「支障」の数々を上げてみたらいい。又、『目的外利用』とは法律のどの条文に基づいて言うのか、その根拠も説明してみたらいい。政治家の不勉強は学校の閉鎖性を黙認し、その施設の占有と運営の独善を許してきた。少子化が喫緊の課題といい、次世代育成の政策を立案し、男女共同参画が国民的課題であるといい、その基本法まで定めるのであれば、子育て支援の拠点として学校施設を開放することが第1歩である。折しも財政難である。活用できる施設はフルに活用すべきである。子育て支援に学校施設を開放することは、財政の節約に繋がるだけではない。学校と地域の関係を強化し、教育と福祉の連携を促進し、コミュニティ・スクールにむかって学校を変革して行く突破口である。全国の首長は学校施設の開放に協力しない教育長を直ちに解任すべきである。

10  行政部局間の連携・協力と住民ボランティアとの協働

  保教育は「保育」と「教育」との結合である。それゆえ、保育を担当してきた部局と教育を担当してきた部局の連携・協力が不可欠である。また、子どもの指導に定年後の熟年層の力を借りようとすれば、高齢者の健康や福祉を担当する部局との連携協力も不可欠である。もちろん、保教育の事業を「子育て支援」と位置付ければ、それはとりもなおさず、「男女共同参画」の支援事業であり、女性政策の部局との連携も必然である。さらに、自治体全域の子どもが参加するようになれば、単一の公民館や児童センターでは到底、収容し切れなくなる。必然的に、放課後や休日の子どものために、学校施設のコミュニティ使用が始めなければならない。
  大量の子どもの活動を安全に支え得る施設は学校をおいてはない。学校こそが子どものために設計・建築された公共施設なのである。保教育の舞台を確保する為には、学校の協力は不可欠である。
  かくして、役場や市役所の中の「保教育」実行プロジェクトには、福祉と教育の関係部局が参加しなければならない。行政の異分野間連携は、縦割りの分業制を採っている現状では極めて難しい。行政の分野横断型のプロジェクトは、行政内部のイニシャティブに頼っては実現できない。それゆえ、行政による総合化のためのシステム化ができているところは皆無に等しい。しかるに、連携のためのプロジェクトは政治判断によらざるを得ない。首長のリーダーシップが問われるのはそのためである。以下は豊津町の町長が関係部局の連携を指示した時の方針資料である。連携は児童福祉行政、高齢者健康行政、女性行政、教育行政間のプロジェクトとして発想された。最終的には、住民の委員で構成する「実行委員会」と協働のあり方を模索したものである。
 
資料8
*行政内部の「プロジェクト」制

  (1)  行政内部の意志決定及び連絡調整のシステムとして町長の責任指導に基づく「豊津寺子屋」事業総合化委員会(「豊津寺子屋プロジェクトチーム」(仮))を創設する。

  (2) プロジェクトのメンバーは事業の実現に関連する人権対策課、住民課、生涯学習課、教務課および既存の実行委員の代表を想定する。必要に応じて拠点とする学校の代表者を加える。

  (3)  2004年度パイロット事業の経験と成果に鑑み、プロジェクトチームの主管担当課を人権対策課女性政策係(現在は企画調整課女性政策係)とする。

  (4)  パイロット事業の最大の問題点は事務局の過重負担であった。それゆえ、事務局体制の強化を図る為、現在、児童館及び小学校の学習施設に配置されている学童保育担当の「指導員」を人権対策課(女性政策係)の下に配置転換し、事務分掌を女性政策係の指揮下に置く。

  (5)  通信、連絡、印刷、広報、記録など指導事務以外の事務作業が集中する時期に合わせて、年間4か月程度の季節的なアルバイトの雇用が可能となるよう予算措置を行う。
 


11  豊津モデルの課題

  「豊津寺子屋」モデルはいまだ未完である。特に、参加する子どもの「量」において不十分である。学期中は全児童の10%、休暇中は同じく20%ほどの参加である。市町村合併のスケジュールのため1年間のフル活動は出来なかったため、当該年度に参加した延べ児童数は約1万人である。すべての経費を含めて、文部科学省の補助金を受けて約500万円を支出している。児童一人1日当り500円である。この「額」が公金支出の「費用対効果」の評価に耐えうるか、否かは議論の分かれるところであろう。しかし、参加児童数を平均20%にすれば、経費は半額になる。
  児童一人1日あたり250円で、1年を通して子どもの保教育が可能となり、指導者の熟年が活力と生き甲斐を取り戻し、女性の社会参画条件が整うのであれば、公金支出の「投資効果」の説明も出来るようになり、大方の文句は出ないであろう。
  豊津町では、現時点でも、地域に途中参加の希望者がいないわけではない。受入れに必要な指導者も収容施設も十分可能である。現に、各人の習い事や学校行事と重なれば、プログラムに集まるのは10数人に満たない日もある。にもかかわらず追加募集を行なわず、「量的制約」を課しているのは、追加募集事務の煩瑣と膨大な事務量に対する役場の体制が不十分のため、関係者のためらいと戸惑いが大きいからである。
  それでも「豊津寺子屋」は疑いなく突出した現代の子育て支援モデルである。子どもの変容、プログラムの質と量、指導者の数と種類はいうまでもない。学校の積極的支援は得られていないが、学校施設の開放にはほぼ成功している。公金の投資効果に付いても、他地域の「子ども教室」推進事業や福岡県の「アンビシャス広場」などのプログラムの「延べ指導時間」と「延べ指導日数」を比較してみれば明かである。
  資料10は年度当初に毎回、学校の協力を得て保護者に配付する募集用のチラシである。

寺子屋資料10
参加者募集用チラシ(広報紙上に掲載および学校を経由して配付)

みんな おいでよ!
『豊津寺子屋』チャレンジプログラム
放課後、夏休みを楽しく過ごそう!

                     『豊津寺子屋』事業実行委員会


 新学期が始まりました。みんな元気ですか?毎日どのように過ごしていますか?ひとりぼっちは淋しくて気持ちが落ち込むよ!ゲームやテレビでごろごろしていたら元気がなくなるよ!みんな『豊津寺子屋』へ出ておいで!豊津町のたくさんの先生方が待っているよ。スポーツあり、遊びあり、楽しい本の時間もあり、工作もあるよ。夏休みには、探険あり、冒険あり、宿題のサポートもあるよ。去年はキャンプもしたよ!カヌーも乗ったよ!釣りも、昆虫採集も、自分の椅子も作ったよ!カルタも、なわとびも、サッカーも、ドッジボールもしたよ!
 お父さん、お母さんと相談して自分でチャレンジ計画を立てて見よう。
みんな おいでよ!待ってるよ。

活動内容は?

今年は、昨年の指導者と合わせて110名を越える「有志指導者」が集まって下さいました。子ども達の生活の安全はもとより、次のような分野の活動を指導していただく予定です。

 (1) 学習支援、宿題サポート(宿題支援、ドリル、読み聞かせ・読書指導、漢字練習など)

 (2) スポーツ、レクリエーション:(水泳、サッカー、ソフトボール、フォークダンス、バレーボール、バスケット、キャンプ、サイクリング、自然探険、エアロビクスなど)

 (3) 日常生活・伝承文化:(昔の遊び、折り紙、紙芝居、わら細工、竹細工、木工、陶芸、料理、花づくり、魚釣りなど)

 (4) 趣味、稽古ごと、教養:(俳句、パソコン、英会話、音楽、絵画、書道、手芸、茶道、着付け、囲碁、習字・ペン習字、手話、植物採集、蝶の標本つくりなど)

「活動場所」は?

   豊津町内の全小学校を主な会場とします。もちろん、その他さまざまな町の自然や文化財や生涯学習施設を活用します。

活動時期は?活動時間は?

   1学期(5〜7月)、夏休み学期(7〜8月)、2学期(9〜12月)3学期(1〜3月)の4学期制をとります。1〜3学期は原則として土日を除く毎日の放課後(15時〜18時)です。夏休み学期は土日とお盆休みを除く毎日の予定です。学期と学期の間には、準備のため何日間かのお休み期間がありますので、保育の必要なご家庭はこの期間の措置をそれぞれの責任でご配慮下さい。

参加費は?

   傷害保険料500円および1日100円の参加費が必要です。ご家庭のご事情で、参加費の負担に耐え得ない場合には実行委員会にご相談ください。
尚、一家族から複数の参加児童の参加費については特別措置もあります。

安全への配慮は?−保険への加入、「同意書」の提出

 (1) 安全、規律、礼儀に付いての指導は、「寺子屋のきまり」を遵守し、実行委員会と有志指導者の協力できびしく徹底します。

 (2) 参加児童は保護者の負担で活動に対する保険に加入します。

 (3) 活動に際して、他の児童に危険を及ぼすような行為や寺子屋の活動を妨げるような甚だしいルール違反者については指導者と実行委員会が協議して参加を停止することがあります。寺子屋事業への参加は別紙の保護者の「参加同意書」を事前に提出していただくことが条件です。

対象児童とプログラムの目的は?
 
  * プログラムのねらい
    子ども達がお互いに助け合い、心身を鍛える活動プログラムを提供し、健全な成長を促し、社会生活への適応を助けます。

  * 子育てのお手伝い
    寺子屋通信、子どもの発表会などを通して、保護者に対する子育て支援の場を創造します。

  * 安全と交流
    「有志指導者」のお力を借りて子どもの安全を守り、地域の交流を活性化を願っています。
 
  * 最終目的
 寺子屋の最終目的は子どもの元気、指導者の元気、女性の元気を同時に達成することです。「保育」の機能を十分に考慮して女性が安心して社会に参画できる条件を整備します。
★ 子どもと保護者への合同説明会を行ないます

  日時:平成17年4月18日(月曜日)午後7時-8時30分(終了予定)
  場所:豊津町中央公民館ホール
  主たる内容:事業の主旨説明、必要書類の提出、有志指導者の紹介など

  『寺子屋』への参加にあたっては、子どもと保護者が説明会に出席し、事業の趣旨に対して所定の「同意書」を提出していただくことになります。

  *当日持参するもの:
@保険料:児童一人につき500円 
A参加費:5月から7月の夏休み前までの期間分児童一人につき5,200円
尚、同家族の二人目は2,600円、三人目以降は無料
B認印 
C筆記用具
 
*追記: 平成17年度からの新しい決まり

上限及び下限定員の設定
対象は小学生(1〜6年生)です。また、希望者多数の場合あるいは反対に希望者少数の場合には実行委員会が最高または最低の「定員」を決めさせていただきます。「寺子屋」の運営は保護者の希望に対応すべく可能な限り弾力的に行う予定ですが、原則として、1小学校当たりの上限の定員を総児童数の30%を目処に、下限の定員は10名を目処に設定します。

1家族から複数の子どもが参加した場合の特別措置
  「豊津寺子屋」は子どもの元気を引き出す活動プログラムを工夫し、それぞれのご家庭の養育方針に照らして選択していただく有料制を原則としています。しかしながら、合わせて、「寺子屋」の目的には、家族の子育てを支援し、最終的に少子化傾向への対応も含めております。そこで実行委員会では1家族から複数の子どもが参加した場合の特別措置を以下のように決定いたしました。

1家族複数参加の特別措置:
 1家族から複数の子どもが参加した場合2人目の子どもの参加費は半額とし、3人目からの参加費は無料とします。

親子説明会以後の参加申し込みの最終しめきりは?
     日時:     場所:     電話:
* 「親子説明会」に出席しなかったご家庭の子どもさんは原則として寺子屋への参加はできませんのであらかじめご了承下さい。
 

 

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