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(第57回生涯学習フォーラム 参加論文)

日本文化における知的風土の変革と生涯学習革命の軌跡
−中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会の25年−
(第11回生涯学習フォーラム参加論文の追加修正)

平成17年6月18日(土)

福岡県立社会教育総合センター

三浦清一郎

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日本文化における知的風土の変革−生涯学習革命の軌跡


1 IT−宅急便−コンビニ−生涯学習:生活革命の条件

   生涯学習の進展が「革命」の表現に妥当するか否かは、評価の分かれるところであるかも知れない。しかし、ITの発展やデジタル化が情報分野の革命であり、宅急便やコンビニエンス・ストアの登場が輸送や流通分野の革命であるとすれば、生涯学習理念の登場は明らかに教育と学習の革命であった。革命の条件は「状況の激変」であり、具体的には、「利便の制度化」である。利便の制度化とは、物理的距離の短縮、時間的距離の短縮、機会の拡大と多様化などである。日本人の生活に即して言えば、行動の迅速化であり、社会的意思決定プロセスへの市民の参加の拡大であり、生活内容の選択肢の多様化と拡大であった。要は、利便性の向上であり、生活機能の効率化である。生活革命が目指した共通のスローガンは、生涯学習革命と同じく、「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」であった。
   ITが情報・通信の思想を、宅急便がロジスティクス(輸送・兵站)の思想を、そしてコンビニが流通の風土を根本から変えたように、生涯学習の理念は日本の知的風土を根本から変革し、いまも変革し続けているのである。    

* 革命・・政治的には王統の交替や支配階層の交替を意味するが、一般的には「急激な変革。ある状態が急激に発展、変動すること」を意味する(広辞苑)。
 

2 知的風土の変革

(1)  「鑑賞者」から「創造者」へ

   生涯学習革命は日本社会の学習者の底辺を一挙に拡大した。市民生活における「パンとサーカス」の圧倒的な力は今も変わらないが、従来の多くの「鑑賞者」は「作成者」となり、「観戦者」は「プレイヤー」となり、「読者」はみずから「作家」となり、「視聴者」もみずから「演技者」や「演奏者」となったのである。生涯学習センターや公民館で行われる「生涯学習フェスティヴァル」や「文化祭」には素晴らしい焼き物、書画、彫刻、刺繍、木工物、演劇、コーラス、舞踊などが勢ぞろいして壮観である。みずからが創造活動に参加する市民の活動成果は増加の一途を辿っている。

(2)  「動員型」から「選択的参加型」へ

   多くのコミュニティにおいて、相変らず「動員型」・「全員集合・一斉主義」の町内会作業も健在であるが、その一方で、人びとは自分の志と関心を原点として様々なまちづくりの活動やボランティア活動に参加するようになった。青年団、地域婦人会、子ども会などの地域集団が崩壊の危機に瀕している一方、多種多様な自主サークルやクラブやNPO法人が誕生したのである。もちろん、従来型の地域集団の崩壊によって、いろいろな副作用も発生し、困難も登場したが、主体的に活動する人々の人口増加が、地域社会の文化風土を変革しつつあることも疑いないのである。それゆえ、コミュニティの現状に対する人びとの評価もそれぞれの立場によってまちまちであるが、未来の地域社会が、伝統的共同体の復活を求めて、時代の流れを逆方向に変えることは決してないであろう。「動員型」から「選択的参加」への行動転換は、生涯学習の行動原理であり、時代が目指したものであった。生涯学習の進展に伴って、市民が掲げた「主体性」と「選択」の原理が日本の知的風土を一大変革させたことは間違いないのである。


(3)  生涯学習革命の企業風土への浸透

   企業の文化・生涯学習活動への支援と参加も社会の生涯学習活動を著しく促進したことはいうまでもない。企業の社会参加は「メセナ」の旗印や「フィランソロピー」の理念を掲げた欧米の思想の影響を大きく受けるようになったのである。
   その根本の発想は、企業も社会を構成する一員であり、社員もまた、地域を構成する市民であるということであった。企業の社会参加はその活動の性質上、生涯学習の内容とほぼ一致することになるのは論理的必然であった。
   企業の社会参加は、企業活動の幅を拡大し、企業市民としての地位を確立し、それぞれの企業のCI(企業アイデンティティ)を確立しようとして、ある種の企業文化の変革運動の様相を呈したのである。
   メセナやフィランソロピー理念の導入によって、企業が支持する文化・生涯学習活動は一挙に増大したのである。もちろん、このことは現象的な結果であって、本質は、企業が生涯学習を動かしたのではない。生涯学習革命が企業を動かしたのである。文化や生涯学習を語らない企業はもはや一流の企業ではあり得ないという雰囲気が世間に登場したことが時代の風であった。生涯学習は、従来の「会社人間」に地域市民の感覚を呼び戻し、利潤追求一点張りであった従来の企業風土に新しい文化・生涯学習の血を輸血することになったのである。


3   生涯学習革命の発端

   日本の生涯学習革命は30数年前に始まる。革命の発端は昭和46年(1971年)、社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」の登場であった。当時の日本は、いまだ大部分の社会変革は行政の主導による時代であった。あらゆる分野の情報収集のアンテナは、ほとんど全ての許認可権を独占していた行政が占有していたと言って過言ではない時代であった。そのため、民間による「宅急便」の発想を先の見えない当時の行政が様々に妨害したというような極端に後ろ向きな事例も発生した。何を変革すべきか、は行政が情報を握り、どのように変革を進めるかも行政の決定をまたなければならなかった。
   それゆえ、この時代は行政が間違えれば民間につけが回り、行政が遅ければ市民につけが回った。農業行政の右往左往は農家を振り回し、環境行政の遅れは公害の拡散をとめることができなかった。近年の金融バブルの崩壊も金融行政の失敗であったことは大方の認めるところであろう。行政は変革の「水先案内人」を独占しており、国民は「お上」を信じてついて行くしかなかったのである。


4   社会教育行政の先駆性

   そうした一般状況の中で、生涯学習革命の進展は幸運な道程を辿ったと言っていいだろう。生涯学習の制度化は文部行政社会教育局の音頭によって始まったことは間違いない。したがって、先行したのは社会教育行政であって、教育行政全体ではない。そのため、学校および学校教育行政における生涯学習革命の認知は著しく遅れることになるのである。日本社会は、技術革新の連鎖が始まり、あらゆる分野において、変化のスピードが一気に増大した。まさに日々の暮らしの考え方も、それを支えるシステムも、時代の「曲り角」に差し掛かった時であった。社会教育審議会の答申のあと、国の中央教育審議会が生涯学習を認知するまでに10年の歳月が必要であったことを考えれば、当時の社会教育行政のリーダーシップが如何に時代の風を素早くとらえていたか歴史の評価に値するであろう。


5   生涯学習革命の国家的認知

   社会教育審議会に遅れること10年、昭和56年(1981年)、国の中央教育審議会は、ようやく教育行政の全分野において、生涯学習の重要性を正式に認知する答申を行った。ここまでは従来どおりの縦割り行政の分業に習った極めて狭い文部行政の範囲に限った話である。社会教育局に始まった「微細革命」が辛うじて教育行政全分野をカバーする「部分革命」に至ったのである。
   中央審議会の答申から遅れることさらに6年、昭和62年(1987年)、時の総理大臣の下に召集された臨時教育審議会は、初めて、日本人の全生活分野にまたがった生涯学習の必要性を答申した。「臨教審答申」は、生涯学習革命の国家的認知である。
   健康教育を担当する厚生行政も、職業訓練を受け持つ労働行政も初めて生涯学習の意味を考えざるを得なくなったのである。
   文部大臣の下で、各々の分野の、それぞれの審議会が「生涯学習」の重要性を謳ってもそれは高々教育行政の範囲にしか影響力をもたない。所管の異なる健康教育行政や職業教育行政には届かない。これらの分野が生涯学習の重要な分野であることは議論の余地がないが、現行制度のもとでは、これらを担当する厚生省も労働省も文部省の言うことを聞く「義理」はない。その他文部行政の範囲外にあった消費者教育、女性教育、農業技術教育、環境教育など国民の新しい学習に関係のある施策も同様である。行政主導型の革命が国家的革命になりにくい理由がここにある。それが縦割り行政の最悪の特性である。

6   「臨教審」の意味と意義

   言うまでもなく生涯学習の理念は日本人の全生活分野を網羅している。それは保健にも労働にも、ビジネスにも、消費にも、情報化にも国際化にも高齢化にも、少子化にも余暇時間の増大についても当該社会に起こるすべての変化に関係するのである。それゆえ、すべての行政分野に生涯学習革命の理念を浸透させるためには、文部大臣では明らかに役不足であった。中央教育審議会の答申は、教育行政に対する答申であり、行政システム上は厚生省の保健教育も労働省の職業教育も他の省庁は「自分たちに関係はない」と受取ることは眼に見えていたのである。
   それゆえ、臨時教育審議会が総理大臣の主導で行われたことの意味は大きい。総理大臣はシステム上、行政全体を取り仕切っているからである。それゆえ、総理大臣の認知は全体の認知となり、ここから生涯学習が社会全体の革命として進行しはじめるのである。総理大臣が取り仕切った審議会が生涯学習の重要性を認知したことは、全省庁が認知すべきことを意味しており、他の行政省庁に対して、答申の影響が及ぶ範囲が著しく拡大したのである。


7   「コンビニ革命」に見習う

   しかし、生涯学習革命は臨教審答申の後に足踏みする。総理大臣の統括の下に臨時教育審議会までやっても行政の縦割りの壁を破ることはできなかった。また、教育行政以外の教育・訓練機能についても、統合されるべき生涯学習のシステムは確立されず、総理大臣のリーダーシップは発揮されなかった。
   臨教審のあと、いわゆる「生涯学習振興法」が制定されることになるが、参加したのは当時の文部省と通産省のみであった。要するに、それ以外の行政分野ではほとんど全く生涯学習革命の国家的意味を理解していない状況であった。
   「国益」より「省益」にこだわるというのは、縦割り行政の宿命といわれてきた。行政の縄張りとは仲間内の利益にこだわって、全体の視野に立てない、言わばタコツボ型の「派閥の論理」である。縦割り・派閥の論理は、国のレベルから、市町村自治体の行政に至るまで貫徹しているのである。国民に直結している最前線の自治体において、福祉と教育の総合化ができなければ、高齢者に対する効果的な健康指導も社会参加の招請もできない。学童保育における福祉と教育の協働もできない。「幼保一元化」も到底できない。その他の分野についても、問題の根源は同じである。解決処方の「総合化」ができないということである。行政を変えなければ日本を変えることはできないのである。経済の再生から世界との付き合いに至るまで、日本の革新は行政改革を徹底的にやることであるという議論は、生涯学習分野においても、故なき議論ではないのである。
   21世紀の生涯学習革命は、ITや宅急便やコンビニにならって、「派閥的思考の論理」との戦いから始まると予想される。情報革命も流通革命も革命要素の核心は、資源と機能の「総合化」と「連携」であった。それゆえ、これらの先行革命は教育資源の統合と連携を目指した生涯学習革命の社会的モデルである。


8   「チャーター公民館」、「チャータースクール」の実験の必要

   行政部局間の連携と協力を模索した国や自治体の「生涯学習推進会議」は実行するに越したことはないが、実態は会議の形が出来ただけで、具体的な成果に乏しい。財政の逼迫に伴って、社会教育行政が音頭をとっていた各地の行政間連携による「生涯学習フェスティバル」もいつの間にか尻つぼみになった。生涯学習革命の理念に比して、行政事務の総合化は歯ぎしりしたくなるほど生温く、なんとも遅々とした対応が続いている。
   宅急便があらゆる物流にコミットして、郵便局を置いてきぼりにしたように、公民館や学校もあらゆる教育資源を総合化するべきである。コンビニは銀行と組み、電話会社と組み、宅急便と組み、コピー機を配置し、弁当屋も兼ねて、従来の小売業に革命をもたらした。コンビニが果たした流通革命はショッピングの物理的距離の短縮と商品・サービスの総合化である。生涯学習の推進・支援はもとより、自治体の行政サービスはこの手本に全く倣っていない。
   IT革命はもちろん、宅急便やコンビニの開館・サービス時間の弾力性にいたっては、公民館、学校、大学など生涯学習の(潜在的)提供者は足下にも及ばない。これらはすべて迅速に生活上の受容に対応する「民間」だから可能になったことであろう。行政主導型の生涯学習事業は、生涯学習理念の紹介にこそ成功はしたが、市民生活にその理念が浸透すると共に、「親方日の丸」の悪弊によって、生涯学習普及の阻害要因に転化したのである。生涯学習はいまも重要な革命であることに変わりはないが、宅急便やコンビニに比して社会に強力なメッセージを送ることが出来ていない。学校も公民館も民間の活力と工夫を導入した「チャータースクール」、「チャーター公民館」の実験を開始すべき時である。そのためにこそ「指定管理者」制度は力を発揮するのである。


9   「変わらぬことは悪と思え」

   トヨタ自動車の未来を模索するにあたって、当時の社長は「変わらぬことは悪と思え」と社内に檄を飛ばしたと言う。技術革新の進展とともに、時代の全分野が自己変革を目指している以上、「自らも変わらねばならぬ」とする方針の確立は、けだし「名言」である。現在のトヨタの躍進は、従来のトヨタを変革することから始まったとビジネスの分析者が語っている通りである。
   「いつでも、どこでも、誰でも、何でも」という生涯学習のスローガンはタコツボ型の閉鎖的分業を拒否している。全体を見ようとしない「派閥の論理」と戦う発想なのである。生涯学習センターや公民館が、ITとまでは言わぬが、せめてコンビニや宅急便なみの発想をするようになれば生涯学習革命はさらに大きく進展することは間違いない。しかし、日本の行政の現状にサービス革命を期待することは「親方日の丸」の特性上おおいに無理があるのである。生涯学習革命にもまた、「変わらぬことは悪と思え」の論理が有効である。公民館の三割でも公設民営になれば、間違いなく「サービス」と「営業」の変革が起こる。民間の活力と工夫の導入が不可欠になる所以である。


10   「遅れてきた研究者」

   学校や学会が生涯学習革命を認知したのは、社会教育行政が生涯学習革命に着手したずっとあとのことである。その意味で学校や研究者は、当時の行政に比べてはるかに時代を察知するアンテナの感度が鈍かった。大江健三郎の小説に倣って言えば、「遅れてきた青年」ならぬ「遅れてきた学校」、「遅れてきた研究者」であった。生涯学習革命の初期には日本社会教育学会をリードしていた人々の論調は総じて生涯学習に批判的なものであった。生涯学習が一国の命運を左右する「革命」であるという認識も皆無であったろう。時代の展望において、行政にはるかに先を越された「出遅れ組」の警戒感があったのかも知れない。当時の社会教育学会の全体的な雰囲気は、明らかに国が着手しようとしていた生涯教育(学習)の政策を疑問視・敵視したものであった。革命の意味を理解しない研究者の時代錯誤は明らかであった。
   このような学会状況に飽き足らず、別途新設された日本生涯教育学会も、社会教育審議会答申(昭和46年)に遅れること9年、昭和55年(1980年)の発会であった。ちなみに、「中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会」の第1回大会が発足したのは昭和57年(1982年)である。
   こうした歴史を見れば、研究者を巻き込んで生涯学習の「審議会答申」を要請した当時の社会教育行政のお膳立てが如何に時代の風に敏感であったかを証明していて興味深い。革命の風が30年数年吹いて、今では誰もが生涯学習のスローガンを標榜するようになった。生涯学習は知的風土を変革するために時代が要請した新しい機能であり、新しいシステムと成りつつあるのである。生涯学習が生活の向上に繋がっている限り、いまだ進行途上であろうと、いまだ不十分であろうと、革命の進展は誠に目出たいことである。「終わりよければすべて良し」である。


11   最悪の「学校」

(1)  一方的なラブコール

   生涯学習理念に対する学校の反応は他の分野に比して、著しく鈍かった。生涯学習革命の出発点から、学校の大勢はその理念の意味を理解しようとしない頑な姿勢であった。初期の学校と社会教育の連携(学社連携)を担当した社会教育主事の悲哀は、連携事業の説明に行っても、取りつく島もない学校の無理解と無関心であった。その態度はいわゆる受験校においてとくに著しかったという。
   「学社連携」は学校教育と社会教育を車の両輪として、生涯学習革命を推進しようとする適切妥当なスローガンであったが、それは常に社会教育の側から発せられる学校教育への一方的なラブコールであった。
   「学社連携」のスローガンが「学社融合」と衣替えをして、学校教育と社会教育の連携が始まったのは、ごく最近のことである。それは少年非行・犯罪の多発、登校拒否、いじめ、閉じこもり、学級崩壊など学校をめぐる諸問題の多発にゆきづまった学校側の困惑が契機である。それゆえ、「連携」も、「融合」も、学校側の都合に合わせてしか行なわれない。生涯学習の理念が学校に浸透した影響はいまだごく一部分に過ぎない。特に、公立学校に見られる「親方日の丸」的、閉鎖的かつ自給自足的な組織は、文部行政の強力な政策転換や社会的混乱の多発に伴う強力な外圧が存在しない限り、内部から変革を遂げるという事は極めて難しいのである。

(2)  理由の如何を問わず

   現実には「学社融合」が唱えはじめられた最近の具体的事例を見聞しても、その実態はいまだ「連携」の初期段階である。学校教育と社会教育分野の資源や機能の「融合」の本質には程遠い。いわゆる融合策の多くは、問題解決の出口の見えない学校が、社会教育や生涯学習の人材や活動に救いを求めた結果にすぎないことは明らかである。その何よりの証拠は、学校教育と社会教育の間に、教育資源や教育活動の「融合」によって新しい教育システムが生まれたいうことは今のところ全くないのである。
   しかしながら、理由がどこにあるにせよ、学校と社会教育の協力関係が促進されることは理由の如何をとわず歓迎すべきことである。「けち」を付けることではない。生涯学習革命が求めているのは、学校教育と社会教育の協力に限らず、あらゆる教育資源の総合化と連携であることは疑いないのであり、学社の連携/融合はその先駆けであることは言うまでもない。 

(3)  生涯学習の対極理念

   生涯学習の目標理念が「いつでも、どこでも、だれでも、何でも」であるのに対し、学校の現実は、「特定の時期に、特定の場所で、特定の人が、特定の内容を、特定の学習者にだけ」教えるという原理に基づいていた。必要とするものは何でも揃えようとする「コンビニ理念」の対極が学校の理念であった。
   かくして日本の学校には「サマー・スクール」も、「イヴニング・スクール」も、「ウィークエンド・スクール」も「教員免許状をもたない人材」も正規のプログラムに組み込まれることはほとんど全くなかったのである。過去10年近くに2千校もの学校が廃止され。空き教室がたくさん出来たにもかかわらず、地域の人々の活用を想定したコミュニティスクールの理念が具体化されることはなかった。福岡県須恵町に「学校駐在公民館(社会教育)主事」が配置されたのは誠に希有なことであった。
   生涯学習革命の意味を理解しなかった学校現場は、外国の学校における生涯学習実践もほとんど参考にすることはなかったのである。周知の通り、大学に付設された生涯学習センターや社会人のためのプログラムでさえも受験生の減少?少子化対策を一つの契機として近年ようやく日の目を見た段階である。
   伝統的な学校の管理運営の発想に取り付いている「特定条件」を排除して、学校を旧来の概念から開放・解放することが生涯学習革命の一大課題である。
  

12   生涯学習の実学性

(1)  「陳腐化」への反応−実学の主張

   生涯学習は、スポーツ、健康実践、職業知識の習得を含め、人々の生活の一環である。生涯学習プログラムへの要請は、人々の実生活上の必要であり、欲求であり、実学の主張である。生涯学習が伝統的な教育の革命と成らざるを得なかったのは、時代が「変化」を要求したからである。時代の変化に置いていかれないためには人間は常に学んで、変化に対応しなければならない。変化の時代とは技術革新を「震源」として社会のあらゆる分野の知識やシステムが「陳腐化」し、「流動化」した時代を意味している。
   かくして生涯学習革命の時代背景では技術革新、知識革新、制度疲労、無境界化などの諸現象が連鎖反応をおこしてきた。既存の知識・技術・仕組みのすべてが再点検を必要とし、新しい視点から再構成・再編成が行われる。「変化」が生活の全領域に及ぶと言うことは、文明にも、文化にも及ぶという意味である。物質にも精神にも物心両面に及ぶのである。「変化」の原動力は人間の欲求であり、人々が求めた効率や利便性の結果である。それゆえ、変化が良い結果を生むにせよ、生まないにせよ、人々が希求する第2次的な変化も、第3次的な変化も、所詮は人間の欲求に基づく選択の結果である。「変化」に対応する生涯学習が人々の「選択」をキーワードとするのは、「変化」の大本が人間の欲求に基づく選択の結果に外ならないからである。


(2)   「革命」の目標は願望の実現

   生涯学習革命の目標は願望の実現である。宅急便による輸送革命も、コンビニがもたらした流通革命も、情報技術の進化が生んだIT革命も、すべて人間の願望の実現である。「変化」をもたらす根源は、人間の欲望であり、その目的は人間の願いの実現である。もちろん、領域によって変化の落差があり、時差がある。したがって、変化の部分部分では自分の不利益を言い立てて反対する人々も出てくる。しかし、それは「鉄道」が登場した時の「駅馬車」のようなものであり、銃砲が普及して刀を捨てねばならなかった武士のようなものである。決して、変化の流れを止めることにはならない。何よりの証拠は次々と押し寄せる変化への対応の困難さにも関わらず、人間は時間を遡って元の「不便」な状態には決して戻ろうとはしない。過ぎ去った日々が如何に人々の郷愁を誘おうとも変化を拒絶する「現代の仙人」は極めてまれである。逆に、変化に対応できない、「引きこもり」や、「閉じこもり」や「開き直りの抵抗勢力」は増える一方である。それほどに「変化」の力は既存の文明、文化を押しながして圧倒的なのである。
   「仙人」も「引きこもり」も世の中から外れる「現世離脱」の現象は似ているが、両者の理由は決定的に異なっている。「仙人」は「志願者」であるが、「閉じこもり」の大部分は「脱落者」である。
   スピード、規模、質のいずれをとってもアルビン・トフラーによって「第3の波」と形容された「変化」の影響力は凄まじい。影響力が大きい分だけ脱落者の数も多くなるのである。生涯に亘る適切な学習対応措置が講じられなかった場合、変化の時代は、変化の「副作用」が大きくならざるを得ない。生涯学習の効用が実生活に反映されない時、変化の「副作用」は脱落者を生み出し、社会的なマイナス要因とならざるを得ないのである。


(3)   実学の宿命

   実学とは生活向上の「学」である。実学の「実」は「実践」の実であり、「実際」の実である。それゆえ、実学とは生活向上を目的とした「実践」・「実際」の学を意味する。もちろん広い意味で論じれば、「生活の向上に繋がらない学問はない」という議論は常に可能である。森羅万象回り回って物事は必ず何処かで繋がっていることは確かであるからである。「風が吹けば桶屋がもうかる」というのは落語だけの話ではない。事物や現象を関係付ける理屈はいかようにも付くのである。しかし、特定の学問研究が敢えてみずからを「実学」と呼んで他の学問の性格と区別しようとする理由は、当該学問の成果が直接的に同時代の生活現場の向上にむすびつくという「直接的関連性」にあることは疑いない。日本生涯教育学会の初代会長を務めた岡本包治は、この特性を生涯学習の「現場性」という言葉で表現している。(*)広辞苑によれば「現場」とは「物事が現在行われ、またはすでに行われた場所」とある。しかし、第二の使用法は「めのまえ」という意味である。岡本の言う生涯学習の現場性とは「目の前」の問題を解決することであったにちがいないのである。実学とは「理論より事物を重んじ、実際に役に立つ学問」(広辞苑)である以上、「目の前」の課題解決が何よりも優先さるべきことなのである。

(*)岡本包治、生涯学習の研究とは何か、日本生涯教育学会年報第20号、P.iii


(4)   分業の袋小路−実践しない研究者

   日本生涯教育学会創立20周年を期して、生涯学習研究の課題を問われた時、当時、日本生涯教育学会の会長であった白石克己は次のように書いた。
   「『研究と実践』との関係についての答は決まっている?両者の往復運動を限り無く続けることである。」(*)
   しかし、真の問題は「答」が分からないことではない。当然の「答」が分かっていても大部分の研究者が実務を実行しないことである。研究者の大部分は白石の指摘する「往復運動」を実行すべき「場」に身をおいてはいない。正確には身を置こうともしていない。「現場に近い」ものといっても精々が行政の審議会か委員会の委員の類いであろう。研究者が行政の「審議会」や「委員会」に招かれていたとしても、そこでの参加はほとんど大部分が「いいっぱなし」であり、報告書や答申書のまとめですらも大部分の下書きは行政関係者が行うのである。そしてもちろん、研究者の大部分は自分が直接的な責任をもって関わる生涯学習の事業はもっていない。要するに、彼らのいう理論は「現場検証」を受けていないのである。
   もちろん、一般論として理論と実践との間の距離は、ひとり教育分野の問題には限らない。あるべき「答」と可能な「実践」の間に距離があるのは人間の宿命である。日常の「適度な運動」が健康に良いことは科学的に証明されているのに、実際には実行しない人が多いのも同じことである。理論と実践との間には深い溝があって、時に、この溝を跳ぶことも、埋めることもおおいに難しいのである。「言うは易く、行なうは難し」である。研究と実践の関係もこの格言の真理の範疇にある。
   一方、人の実践を「さかな」にしてあれこれと論議すること自体はそれほど難しいことではない。「傍目八目」のならいである。昔から机上の空論を「畳の上の水練」といい、「理屈と膏薬はどこにでもつく」と言い習わしてきた通りである。ただし、日本の生涯学習研究者の多くが実践しないという欠陥は、人間の宿命にもとずくものではない。研究成果を実証しなくても身分の安定が保障されている終身雇用制と、第三者評価のシステムが存在しない研究環境の宿命である。なぜなら、アメリカを始め、多くの社会では、現に、研究者が白石の指摘する「研究」と「実践」との往復運動を繰り返し、厳しい外部評価にさらされているのである。

(*)白石克己、命題知と方法知との往復運動、日本生涯教育学会年報第20号、P.109


(5)   「研究者の第三者的評論は滑稽で無責任」

   日本社会の研究と実践は分業の袋小路に入っている。全分野の実状を知っているわけではないが、政治も、経済も、外交も、防衛も、文化も、教育も研究者の多くは現場を知らず、現場人の多くは研究者をほとんど信用していない。優秀な研究者がようやく企業の社外重役に抜擢されるようになったが、これらの事例もごくごく最近の現象である。
   終身雇用制度の下で、大学という孵卵器の中で生活している「研究者」が現場を知る機会はほとんど全くないのである。もちろん、小数の例外を除いてこれまでの研究機関が現場人の実績を尊重することもなかったことはいうまでもない。日本社会において大学の研究者と現場の実践者が生涯の経歴において、自由に行き来する環境はほとんど存在しない事が何よりの証拠である。
   このことは研究者は現場に遠く、実践者は研究の環境に遠いということを意味している。日本生涯教育学会の元会長の坂口順治は関係分野の研究者たちが「第三者的評論家」になっていることを嘆いている。「(我が国の研究者たちは)今の教育問題を生じさせた要因が自分達であることを反省することもなく、現代の疲弊している教育を論じているほど滑稽さと無責任さはない」。坂口のいわゆる「実践しない研究者」に対する痛烈な批判である。(*)
   しかし、このような状況は今に始ったことではない。分業が袋小路になっているわが国の制度の下では当然の帰結といわなければならない。この国で大学の研究者が実践者となることは、工学部の委託研究のように研究成果の「有効性」がただちに明らかになる領域を除いては極めて小数の例外に属するのである。

(*)坂口順治、学習現場で先頭に立つ研究を、日本生涯教育学会年報第20号、P.108


(6)   現場の停滞−研究しない実践者

   「前年踏襲」という言葉は「研究しない実践者」を象徴している。研究しない実践者にとって大学の研究者からの批判や提言は痛くも痒くもない。なぜなら彼らは大学人というのは実践しない研究者であることを知っているからである。また、研究者の助言の多くが現場感覚とずれた的外れなものであることも体験的に知っているのである。それゆえ、「現場を知らない奴が何をぬかすか」と一喝すれば済む話である。実践者もまた、終身雇用で身分は安定しており、第三者評価のシステムも、もちろん、不在である。研究しないからといって身分にさわるほどの悪影響はないのである。


(7)   感覚のすれ違い

   中国・四国・九州地区の生涯学習実践研究交流会が、なんとか研究者と実践者の実質的な交流を実現したいとして努力していた初期のころのことである。ある町から当時としては先進的な生涯学習事業の実践研究発表が行われた。これに対して出席していた研究者から批判的な質問が出されたのである。質問は論理的で、理論上は妥当なものであった。しかし、発表を聞いていれば、実際の事業の制約条件は始めからあきらかであった。担当者の説明や苦労にもかかわらず、事業の「先進性」のゆえに、なかなか町行政の責任者たちの理解が得られなかったからである。それゆえ、担当者は事業の組み立てが理論的に十分でないことは分かっているのである。もちろん、批判の「妥当性」も十分承知している。承知はしているが、「いままで何を聞いていたのか」、「理屈どおりに行くのならあんたが自分でやってみたら!」という思いが強かったのであろう、「その質問はうちの町長に聞いてください」と応答したのである。一瞬気まずい空気が会場を支配したが、誰かが小さく拍手したので、一転、笑いが渦巻いた。実践者と研究者のあいだのこのような意識と感覚のズレが何回かあって、「交流会」では初期の努力をなかば諦めて、研究者への参加呼びかけを余り熱心にやらなくなったことは事実である。


(9)   評価対象は外部講師のみ

   上記のような研究者と実践者の感覚のすれ違いの事態はあちこちで起こったであろうことは想像に難くない。
   かくして、一方では現場を知らない空疎な研究紀要が量産され、他方では専門雑誌一つ読むこともない現場の担当者が事業の消化に追われているというのが生涯学習の風景である。もちろん、個別の事業に必要な外部講師は大学から呼ばざるを得ないが、選択権はあくまでも現場の側にある。万が一講師の選択にしくじっても二度と呼ばなければいいのである。
   講師が不評の場合、「他の町でも、あの人を使っていると聞いたのですがね....」というのが釈明の基本である。講師の力量を比較評価できるほど現場は研究していないのが実状である。「研究者というのは浮き世離れしていますね、ウ、フ、フ、フ」と苦笑いをしておけば大概は済むことである。市民という第三者が存在する以上、外部講師については「二度と呼ばない」という評価は存在するのである。
いささか極論のそしりを免れないが、講師の任用・選択だけが研究と実践の唯一の実質的交流の場であり、現場担当者による評価・研究の具体的な場面である。


13   「行政主導型生涯学習」の宿命

(1)   最大の責任者

   日本の教育や文化は「市民参加」を標榜しつつもその大半は行政主導型の活動である。その傾向は生涯学習革命の発端以来、継続して著しい。昭和46年に社会教育審議会答申「急激に変化する社会構造に対処する社会教育のあり方について」が日本社会における生涯学習の必要性を宣言したことは先述の通りである。以来、生涯学習革命を進行させた最大の力は行政にあり、最大の責任も行政にある。生涯学習を紹介したのも、その制度を社会的に普及させようとしているのも行政である。生涯学習の推進における行政の功績と役割は極めて大きく、従って停滞の責任も重いのである。
   ここでも生涯学習推進上の問題は教育機関間や行政部局間の分業と縦割りの弊害である。当然ながら生涯学習は教育行政だけの守備範囲には納まりようがない。学習の必要は生活の全分野に及ぶからである。
   建て前としての生涯学習は市民の自発的な活動であるが、実際は行政のリードに従った長い助走距離のある「自発的な活動」なのである。それゆえ、行政の働きかけが弱くなった時に、本来独立しているはずの「自発的な活動」の多くが沈滞してしまうのが日本の不思議である。

(2)  「日本株式会社」

   生涯学習は自主選択の原理によって動くことは当然であるが、自主選択と見えるかのごとき多くの選択は、実は行政に「促された」選択に外ならないのである。行政が手を抜いた時、市民の選択意思は明らかに萎んでしまうのである。その是非を論ずればいろいろあろうが、「お上」を中心に暮らしが進んで行く傾向はいまだこの国の歴史的特性のひとつである。「日本株式会社」と呼ばれてきた行政主導のやり方は生涯学習推進の場面でも所与の条件のひとつである。それゆえ、一般的な傾向として、生涯学習理念の浸透は行政の勉強と理解度を反映し、生涯学習活動の充実と質の向上は当該市町村の行政の質を反映しているのである。生涯学習を選挙のスローガンとして地方の政治家が戦う時、様々な施策が提案され、「生涯学習宣言都市」のような行政方針が取られた時、その理念が人々の中に浸透して行く。


14   「お上の風土の宿命」

   近年「行政の文化化」の必要が指摘され、最近になって「行政の生涯学習化」が言われるようになったのは、行政の質がまちの質を決定する最重要要因であるからである。このような風土のまちづくりはまちの政治が基本である。要は優れた首長を選出し、そのリーダーシップによって行政の力量を向上させることに尽きるのである。
   社会が給料を与え、活動の舞台を保証し、常時、職分として自分のまち(県、国)のことを考えるという役割は行政職員をおいては存在しないのである。生涯学習における市民の自主活動は重要であるが、生涯学習革命の進行過程にあっては、市民の自主活動を促し、応援する行政職員の奮起は、時にその何倍も重要である。あまねく市民の参加を促すための行政の奮起と配慮がない限り、ひとにぎりの「自主的市民」のみが生涯学習の恩恵を享受することになり、生涯学習の進行による市民間格差は拡大する一方となる。それは行政主導で物事が進む「お上」の風土の宿命である。


15   「いつでも、どこでも、誰でも、何でも」

   生涯学習のスローガンは「いつでも、どこでも、誰でも、何でも」である。このスローガンは生涯学習の本質を表している。要するに対象、内容、方法、時間、場所の規制を取り払って、学習やスポーツ活動の「自由」と「総合性」が本質である。条件を制限しない事が特質であるということは、生涯学習概念の「範囲の広さ」と「抽象度の高さ」を表している。対象は全市民であり、津々浦々に及ぶ。内容は、生活の全般に亘り、学問の全体系を網羅し、行政の全分野を範囲とする。要するに、この世も、あの世も含めて森羅万象に及ぶのである。
   生涯学習に比較対照できる概念は、その範囲の広さと抽象度の高さにおいて「文化」が最適である。生涯学習の総合性は文化の総合性に似ているのである。要するに生涯学習も文化もあらゆる領域の区分を越えて人間生活の全範囲に及ぶのである。
   文化が「ファション文化」、「食の文化」、「住まいの文化」というようにあらゆる領域にわたって細分化できるように、生涯学習も「ファッションの生涯学習」、「食の生涯学習」、「住まいの生涯学習」というように、すべての分野にわたって細分化が可能である。「行政の文化化」が唱導され、同様に「行政の生涯学習化」の必要が指摘されるのは、変化の時代にあって、あらゆる分野に「適応」と「質の向上」のための学習が必要だからである。
   もちろん、細分化された学習は各々の専門分野間の連携を取り戻すために再び統合され、総合化されなければならない。その現象は、小売り商店がデパートの形態に総合化され、再び専門店として分化し、今度は三たびショッピングモールとして総合化されていくプロセスに対比することができる。
   食文化やファッション文化が「文化庁」によってカバーし切れないように、各分野にまたがる生涯学習も「文部省」のような単独の「省」によってカバーできるはずはないのである。それゆえ、生涯学習は人間の一生にわたる学習機会の時間的な縦の統合、あらゆる分野にまたがった横の統合といわれる所以である。
   生涯学習にあたる英語がLifelong Integrated Learningとして提唱され、「Integrated」(統合された)の意味が重要であると強調された所以である。それが生涯学習スローガンのよって立つ根拠である。既存の公民館や生涯学習センターは、生涯学習「革命」が要求する総合化と連携のシステムを開発する事ができるか?いささか大上段の物言いであるが、生涯学習拠点の変革には、日本の未来、知的風土の変革の成否がかかっているのである。
 

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