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生涯学習通信

「風の便り」(第90号)

発行日:平成19年6月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. しつけを不能にし、教育を崩壊させる「子ども観」(教育公害を助長する「論理」と「実践」−その3)

2. しつけを不能にし、教育を崩壊させる「子ども観」(教育公害を助長する「論理」と「実践」−その3) (続き)

3. しつけを不能にし、教育を崩壊させる「子ども観」(教育公害を助長する「論理」と「実践」−その3) (続き)

4. 原点は「学習交換」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

原点は「学習交換」

● 1 ●   学習/教育活動の出発点
  インターネットのホームページやメルマガから、小学校の「ゲストティーチャー」の活用まで生涯学習や教育の原点は「知らない者」が「知っている者」から学び、「知っている者」が「知らない者」に教えることです。学校や教育制度が整えられる前は誰でもそうして学んでいたのです。それゆえ、教育の原型は家族のしつけや日常生活指導の中にあり、学習の原型は生活を共にしている仲間や集団の中の学びあいに合った筈です。
  しかし、知識も、技術も「力」を秘めています。「知っている」ことと「知らない」ことでは、時に、生活に「天と地」ほどの「差」がつくからです。それ故、いつの間にか教育も生涯学習の勧めも「専門化」し、「職業化」し、結果的に「タコつぼ化」し、「特権化」して今日に至っていると思われます。教育再生の発想は教育機能及び学習活動の原点から考え直すべきときではないのでしょうか?
  過日久々に「むなかた市民学習ネットワーク」事業の研修会に出席し、教育の原点は「学習交換」であることを再認識しました。市民が市民に「教授」する「市民学習ネットワーク」はもとより、豊津寺子屋の熟年ボランティアによる子どもの発達支援プログラムも、飯恷sが始めようとしている小学校に併設する「熟年学び塾」も、原則は「知らない者」が「知っている者」から学ぶ仕組みです。学習者は児童でも生徒でもなく子ども一般です。指導者は「専門家」でも「先生」でもなく、指導者一般です。「知らない者」が「知っている人」から教えてもらうということは、誰が先生でもいい、誰が習ってもいいという原則から出発しています。

● 2 ●   Free Universityの思想
  かつてベトナム戦争が泥沼化し、アメリカの学生達が既存の大学の授業に飽き足りなくなった時、「Free University運動」を創設しました。彼らは教育の原点、生涯学習支援の原点に返って「誰が習ってもいい」、「誰が教えてもいい」("Anyone can learn, anyone can teach."*)をスローガンにしたのです。専門化し、職業化し、「タコつぼ化」し、「特権化」した当時の教育システムへの最初の異議申し立てでした。そこから「学習交換(Learning Exchange)」や自主講座が始ったのです。
(*William Draves ,Free University , AP/ Follett,1980)

● 3 ●   成人教育システムの原点
  「学習交換(Learning Exchange)」の思想は教育における「手形交換所」の発想の応用でした。「知らないもの」が「知っている者」から学ぶために「教えあい」?「習いあう」ことを「仲介」するシステムを作った人がいました。教え合いをコミュニティの全域で展開するため、出会いの場を設定することは不可欠でした。また、人々の「相互学習」・「相互指導」を教育の職業にしないことが最大の特徴でした。生涯学習の原点がここにありました。学生達はこの原理を応用して、自分たちが聞いてみたい人を講義に呼んできました。それが「自由大学(Free University)」です。日本では大学の自主講座と呼ばれました。カリキュラムの自主編成は生涯学習のスローガンと一致したのです。「いつでも、どこでも、誰でも、何でも、何からでも」は生活の中の成人学習の原点だったのです。

● 4 ●   学習の副次的効果
  現在、血縁、地縁、職場の縁に加えて、「生涯学習の縁」や「志の縁」が注目されるようになりました。学習経験の共有は人の出会いを演出し、交流を促進するからです。学習の場を共有することが、副次的、自然発生的に「市民間交流」を発生させることに気づいた時、生涯学習は世代間交流やまちづくりの有効な「武器」となったのです。「むなかた市民学習ネットワーク事業」の陰の目的も,新旧住民の交流と融和でした。事実、年間5万人が学ぶ相互学習のシステムは行政の全く意図しなかったところでたくさんの市民の生涯学習の縁を取り持つことになったのです。
  「豊津寺子屋」も想像を超えた世代間交流を生み出しました。子どもの「保教育」を担当することで,「有志指導者」はたくさんの仲間に会いました。保護者にも会いました。もちろん彼らを慕うたくさんの子どもと仲好しにもなりました。「寺子屋」学習の副次的効果は本来の目的以上にまちづくりの効果を上げているのです。カギは「生涯学習の縁」なのです。

● 5 ●   学習者主体

  「学習交換」の原理は,少年教育と違って、成人が主体です。還元すれば,「学習者」が主体です。少年教育は社会の要請を受けた学校主導、教師主導であるべきですが、生涯学習は「学びたい者」が学習機会を創造するべきなのです。生涯学習は確かに生涯教育のシステムに支えられるのですが,選択の主体はあくまでも「学習者」においたのです。この意味で「自由大学運動」も「自主講座」も生涯学習の出発点になったのです。1976年に成立したアメリカの「生涯学習振興法(Lifelong Learning Act of 1976)」が大いなる議論の末に「生涯教育」振興法から「学習者」主体の「生涯学習」振興法に変わったことはよく知られたことでしょう。
「むなかた市民学習ネットワーク事業」の原理は学校のシステムと自主講座を組み合わせました。5人集まれば,自主講座が開けます。また、ひとりでも「公募方式」と呼ばれる公開されたカリキュラムに参加することもできます。事務局が「学習交換」を仲立ちする方式でシステム化したのです。
  これからのコミュニティは「学縁」や「志縁」の人間関係が支えます。そうした「縁」は「学習交換」の仕組みから生まれるのです。そえゆえ、市民が自由に参加できる「学習交換」を可能にする生涯学習のボランティアを振興する施策がますます重要になります。教育基本法の改定も大事ですが,生涯学習ボランティア振興法の創設はコミュニティの崩壊を食い止める緊急の手段として有効なのです。生涯学習の原点はAnyone can learn, anyone can teach、なのです。

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