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生涯学習通信

「風の便り」(第82号)

発行日:平成18年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. Active Senior −熟年の危機と生涯学習の処方箋−

2. 学社「連携」の「片務性」、学社「融合」の空論

3. 保護者は何を見たか? 夏学期「豊津寺子屋」保護者調査の集計と分析

4. 第71回フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

保護者は何を見たか?
夏学期「豊津寺子屋」保護者調査の集計と分析

  今回の夏休み寺子屋アンケートは調査項目は5つ、指導者・実行委員会への自由記述・通信欄を加えて合計6項目で、すべて記入式である。回答率は50.9%であった。回答してくださった保護者からはこと細かく沢山の報告をいただいた。アンケートに記入してくださった保護者に関してはその熱意と感謝が伝わって来て日本の家族の健全性を象徴している。しかし、家庭教育の問題は熱意と感謝だけでは解決しない。寺子屋に限らないが、現在の保護者は見るべきものを見ず、聞くべきところを必ずしも聞いていない。
  いくら忙しいとは言え、保護者の中には、時に、迎えに来た時に、「車から子どもを手招きするだけ」で、子どもを引き取る確認も、指導者にあいさつもない場合がある。寺子屋に子どもを「捨てに来るのではないか」と指導者を怒らせるコメントが出るのもやむを得まい。恐らくは未回答の保護者の中にその種の無関心、人任せの親がいるのであろう。いずれにせよ、幼少年教育の危機は続いている。

1  子どもは「なに」を語ったのか?−保護者への報告事項

(1)  子ども調査の信憑性は低い

  子どもの家族への報告は圧倒的に未体験、初体験、困難体験に関する事項に集中していた。したがって、子ども自身が「保護者に対して報告したという報告」と「保護者が子どもから報告を受けたという報告」とは中身がかなり違う。
  調査実施時点で、目の前のことに引きづられる子どもの回答の危ういところである。子どもは夏休み全体を見渡し、長期的な記憶・反省に基づいて活動の評価はしない。評価に立ち会った実行委員の観察でも、子どもはアンケートを取った当日のこと、あるいは前日のことを中心に反応する。
  前回の子ども評価の報告ではずいぶん手間ひまをかけて集計と分析をしたが、保護者の意見・観察・評価と比べて、子ども調査の信憑性は残念ながら低い。学校教育でも、社会教育でも子どもの感想や意見に依拠してプログラムを組んだり、指導法を変えたりしてはダメだという証拠である。

(2) 寺子屋にも色々なことがあったであろうが、子どもは基本的に「楽しいこと」を報告している。報告は多岐に亘るが保護者の受け止め方は「子どもの熱中」や「子どもの楽しみ」に注目している。極めて健全であろう。「熱中時代」をおくれれば、哀しいことも、辛いことも子どもの心を傷つけることはほとんどない。

(3) 保護者アンケートを見る限り寺子屋のプログラムは「成功」である

  一日中遊んでも熱中している子ども達はまだ帰りたくない。それらは「迎えが早すぎると文句を言われます」とか「子どもはまだ遊び足りないのです」とか、寺子屋は「遅めに迎えにきて!」などのコメントに現れている。寺子屋への百万言を費やした評価に優る子どもの評価である。

(4) 子どもは日常では帰属し得ない異年令集団・異年令の共同生活を楽しんでいる

  「みんなでつくって、みんなで食べる楽しさを味わっているのです」。「これまで親の知らなかった沢山の友だちができました」。「年上の子どもと遊べるようになりました」。「班長さんが大好きでした」。
  保護者が書き留めてくださったコメントは現代の幼少年期の「欠損体験」を浮き彫りにしている。異年令の集団こそが後の社会の縮図である。異年令の共同生活をくぐることは社会生活の「予行演習」を行うことである。子どもが社会性を体得するとすれば、それは教室や家庭ではない。自然発生的な地域の異年令集団が消滅した今、「予行演習」の「場」は「寺子屋」の遊び型プログラム中にしか存在しない。

(5) 子どもの報告は未体験、初体験、困難体験事項に集中している

  報告数が多いのはキャンプ、魚釣りカレーづくりなどである。「キャンプ前日は嬉しくて眠れない」。「お皿を100枚洗いました」。「肝試しは恐かったけれどみんなで行ったから恐くない!」などなどである。聾者の生活体験の話や地球温暖化についての学習への反応など子どものアンケート調査には全く現れて来ない項目であるが、保護者には興奮して報告している様子が垣間見える。「家の電気を消して廻っています」、「地球温暖化の話を聞いてコンセントをまめに抜くようになりました」、などのコメントを書き留めてくださった保護者の笑顔を想像している。

(6) 子どもが張り切って報告したのは以下の項目である
  (全体は37項目。数字は保護者報告に出て来た回数、回答には複数の事項を含んだものもある。「事項」だけを示したものは報告内容・状況についての説明がなかったもの。省略するのは忍びないが上位5位までを掲載する)

 1  キャンプ  29
 2  魚釣り−また行きたいと言っています 20
 3  カレーづくり  17
 4  スポーツ/ドッジボール  12
 5  手話  11

2  「できるようになったこと」はなにか?−「寺子屋」の指導は成果を生んだか!?−

(1)  この質問には「無回答」が多かった。
  筆者は、保護者の観察の中に「できなかったこと」が「できるようになった」という視点が欠落しているのではないかという疑問を感じている。主催者の側から見れば、初めは「並ぶこと」も、「話を聞くこと」も、「返事をすること」も、「掃除」も、「あいさつ」も、「後かたづけ」も、時には「立つこと」すらできなかった子ども達を曲がりなりにも「寺子屋」の集団活動に参加できるまでに「鍛え上げた」という自負がある。ろくに日本語も読めなかった子ども達に宮沢賢治の「雨にも負けず」も、堀口大学の「夕暮れの時は良い時」も朗唱ができるまでに仕込んだという誇りもある。しかし、それらは必ずしも保護者の意識には登っていない。われわれが子どもの変化に驚いている程には保護者は驚いていないのである。すなわち、調査に回答してくださった保護者ですらも、子どもが当面している問題を問題として理解せず、子どもの危機を危機として認識していない。これこそが現代の家庭教育の危機ではないのか?以下は全体の30%程度の保護者が回答した子どもの「変化」である。

(2) 保護者が認めた子どもが「できるようになったこと」は以下の項目である。
(数字は保護者報告に出て来た回数、回答には複数の事項を含んだものもある。「事項」だけを示したものは報告内容・状況についての説明がなかったもの。全体項目数は37、上位5項目を示す。)

  出来てしまえば極めて簡単なことだが、「自分のものを整理整頓するようになりました」、「時間を守るようになりました」、「包丁を使えるようになりました」、「食べられなかったものが食べられるようになりました」、「外出先をきちんと言って出かけるようになりました」等々の変化がこの先の子どもの人生にどれほど重要な変化であるかを果たして保護者は理解したであろうか?

 1  プールを怖がらず、水泳ができるようになった  7
 2  手話  6
 3  靴を並べるようになりました  3
 4  あいさつができるようになりました  3
 5  将棋ができるようになりました  3

3  健康管理上の変化に着目したか?−夏の「寺子屋」を経て「食欲」、「睡眠」、「健康」、「たくましさ」などで変化は見られましたか?−

(1) 多くの「へなへな」は「へなへな」でなくなった

  寺子屋は「医者」でもある。子どもは風邪を引かず、病院通いもなくなった。また、寺子屋は計画外の「食育」機能を果した。食欲の増進はその一つの証拠である。余さず食べ、好き嫌いをいわずに食べるようになったのもその証拠の一つである。保護者は時に工夫して、時に楽しんでお弁当をつくっている。子どもは見事に平らげ、夕食についてもよく食べる。寺子屋活動は体力と耐性の形成を中核に置いている。とにかく子どもは動き、集団で数々の体験プログラムに挑戦する。夏の一日を目一杯活動すれば当然腹は減る。その時、「空腹」は最高の調味料であることは疑いない。ここでは比較的多くの保護者が変化に気付き、変化に驚いている。保護者の最大の関心が子どもの健康にあることの証拠であろう。多くの「へなへな」は「へなへな」でなくなったのである。
  寺子屋は「生きる力」の向上プログラムを通して体力や耐性はもとより、「生活習慣」をつくり、食育を果し、礼儀を教え、家庭教育の補完をしている。

(2) 保護者が認めた子どもの「健康管理上の変化」は以下の項目である。
(数字は保護者報告に出て来た回数、回答には複数の事項を含んだものもある。「事項」だけを示したものは報告内容・状況についての説明がなかったもの。全体項目数は31、上位5位までを示す。)

  保護者は子どもの変化を喜んでくださっている。「自分で早めに寝るようになりました」、「兄としてのたくましさが見えるようになりました」、「朝も自分からおきます」、「暑さに負けませんでした」、「お弁当も残さずたべます。うれしかったです」、「弁当箱を大きくしました。家では食べないものも全部食べます」、「間食が減りました」、「おやつなしで夕食をきちんと取るようになりました」などはその具体例である。

 1  「変化」は特になかった  14
 2  昼夜ともに良く食べるようになりました  6
 3  お弁当の量を日に日に増やしました  3
 4  良く食べ、良く眠り、夏風邪もひかず元気に過ごしました  3
 5  食欲が出て、体力がつき、夏ばてもありませんでした  3

4  寺子屋が重視した「社会性」:「生活態度」、「生活習慣」の変化は見られたか?

(1) 子どもの社会性は日々の「態度」と「習慣」に現れる

  寺子屋は「型」の指導を重視している。未熟な子どもに説明しても社会のルールや約束の重要性は理解できないことの方が多い。それゆえ、基本的生活習慣は「態度」や「行為」の型として指導している。基本的生活習慣の確立は「体力」、「耐性」に続いて、寺子屋プログラムの第2の目標である。しかし、ここでも寺子屋の指導体制と保護者の皆さんの受け止め方との間には微妙なズレが生じている。「何もできなかった子ども」は様々な角度で社会性を身に付けているが、そのことについての保護者の注目度は必ずしも高くない。社会性の開発が子どもの将来に及ぼす重要性についての認識も今一つ軽い。アンケート用紙が帰って来ない家庭はもとより、回答された家庭に置いても「特になかった」が3分の1を占めた。それが事実であれば、寺子屋プログラムの「敗北」であるが、筆者は保護者の側の観察視点の欠落ではないかと心配している。
  実際問題としては、保護者が忙しすぎて記入式のアンケート調査が面倒であったということもあるだろう。しかし、設問は子どものことであり、進行中の夏休みプログラムのことであり、設問はわずか6問である。
  また、寺子屋の指導が浸透していない子どももいるであろう。寺子屋と家を使い分けている子どももいるであろう。しかし、1日10時間に亘って毎日実践した行為と態度は何処かで子どもの日常に反映するはずである。家庭は果して見るべきものを見ているであろうか?こうした疑問が「分析者」の誤解に終れば幸いであるが、ここにも家庭教育の潜在的危機を感じている。

(2) 保護者が認めた子どもの「生活習慣の変化」は以下の項目である
(数字は保護者報告に出て来た回数、回答には複数の事項を含んだものもある。「事項」だけを示したものは報告内容・状況についての説明がなかったもの。全体項目数31、上位5位までを示す。)

  夏休みの初めとおわりでは子どもは大きく変わっている。関係者が保護者に観察していただきたかったことは次のような変化である。「自分のことは自分でするようになりました」、「整理ができるようになりました」、「食事をきちんと食べるようになりました」、「やさしくなりました」、「表情がいきいきしていました」、「落ち着きが出てきました」、「規則正しい生活をするようになりました」、「時間のけじめをつけるようになりました」。子どもにこうした変化があらわれれば、「期間中に宿題が終る」などということは当たり前なのである。

 1  特になかった  18
 2  早起きができるようになりました  6
 3  靴をそろえて上がるようになりました  3
 4  弟の世話ができるようになりました  2
 5  返事をするようになりました  2

5  「寺子屋」は家族の役に立ったのか?

(1) 寺子屋は子育て支援と男女共同参画の条件整備の同時遂行である。
(数字は保護者報告に出て来た回数、回答には複数の事項を含んだものもある。「事項」だけを示したものは報告内容・状況についての説明がなかったもの。全体項目数32、上位10位までを示す。)

  回答してくださった保護者の中に「役に立たなかった」というコメントはなかった。以下のコメントの通り寺子屋は子育て支援と男女共同参画の条件整備の同時遂行である。さらに、指導にあたった熟年の皆さんの心身の活力や生き甲斐の保持・存続に役立ったとすれば、寺子屋方式のプロジェクトこそが「少子高齢化」ー「男女共同参画」問題の解決処方である。
  保護者の評価は寺子屋の意義を浮き彫りにしている。実行委員会を始め関係者は自信を持っていいであろう。保護者が認めた「寺子屋機能」は以下の項目である。

 1  だらだらした夏休みにならなかった:規則正しい生活が出来ました  9
 2  家族や子ども同士だけでは得られない体験を得ています  9
 3  安心して仕事ができました  6
 4  何より子どもが楽しんでいます  5
 5  お陰さまで仕事に集中できました  5
 6  家が留守になる事情があったので本当に助かりました  3
 7  子どもも楽しそうで、私も安心して仕事に行けました 3
 8  安全で安心して預けました  2
 9  預けるところと学べるところが同じだということがすばらしい  2
 10  共働きを助けて頂きました  2

6  自由記述:意見・提案

  自由記述の大半は寺子屋のシステム及び指導者の皆さんへの謝辞が並んでいる。礼儀正しい日本文化は決して死んではいない。「宿題・勉強をもっと指導すべき」である、というような寺子屋の趣旨を履き違えた注文もあったが、総じて提案は前向きであった。ここでは「子どもの様子」、「指導
原理」、先生方への「特別コメント」などを重視して紹介したい。(全体項目数は32であったが、10項目だけを例示したい。)

1  指導者の励ましと賞讃とけじめのある指導に感謝しております
2  「明日は何をするんかね」と計画表を見て寺子屋へ出かけます
3  親身に「親代わり」をやって頂き感謝申し上げます
4  指導の内容と方法に共感しています
5  色々な先生方と顔見知りになれて本当に良かったと思います
6  朝の8時が待てない様子でした
7  友だちの顔を蹴るなど考えられません。そのような子どもはその日限りで止めてもらいたいです
8  別の町の「学童保育」の話を聞き改めて「寺子屋」の良さを知りました
9  子どもは先生方の特技や智恵を尊敬しています
10 指導に従わなかった場合はバシバシ叱ってやってください
 

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