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生涯学習通信

「風の便り」(第82号)

発行日:平成18年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. Active Senior −熟年の危機と生涯学習の処方箋−

2. 学社「連携」の「片務性」、学社「融合」の空論

3. 保護者は何を見たか? 夏学期「豊津寺子屋」保護者調査の集計と分析

4. 第71回フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

Active Senior −熟年の危機と生涯学習の処方箋−

(来年に出版を予定している著書の前書きと最終章のつもりで執筆しています。表記・文体がバラバラなのは当面お許しいただきたい。)

● 1 ● 「老いていない」研究者の「老い」の研究

  かつて、熟年の危機を論じた際に参考にした多くの文献が余り役に立たなかった実感があります。その最大の理由は、いまだ「老い」を知らぬ現役世代の研究者がおのれの「想像力」に頼って分析や提案をしているからだと感じました。この分野の研究は、現役の若い研究者だけに任せておくわけには行かないのです。
  筆者が若かった頃と同じように、彼らはまだ「反応速度」の衰えも、平衡感覚の揺らぎも、「あれ、あれ」を繰返し、頻発する「物忘れ」も、硬直化する筋肉と関節の悲哀も知らないでしょう。「入れ歯」を入れたことはなく、息が上がって「駅の階段を駆け上がれなくなった」現実も知らないのです。要は、「老い」を知らない研究者が「老い」の問題を書いているのです。バリアフリーも、大きな活字も実感としてその必要性を感じてはいないのです。2007年問題は日本の社会保障を直撃し、人口構成上圧倒的な重要性を持つ「団塊」の世代を直撃します。戦後最大の定年者群が現役時代の想像を絶するダブルパンチを食らうのです。右のパンチは「定年」で社会から「無用者」の宣告を受け、左のパンチは「老い」で、心身が加速的に「衰弱と死」に向かって降下を始めます。この悲哀は若さを誇り、働き盛りを謳歌する元気な人々には中々分かってはもらえないでしょう。「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」国ですから。

 ● 2 ● 先輩世代の無惨な衰え

  私の研究のヒントは最も「タフ」であった筈の先輩世代の無惨な衰えにあります。筆者より10年先輩の世代は、いまだ貧しかった日本に育ちました。耐えるべき困難は日常茶飯の中にありました。更にこの世代は戦争の欠乏に耐え、その悲惨をくぐりました。なにも無くなった戦後の瓦礫の中から今日の日本社会を創り上げました。先輩世代は我々はもとより、団塊の世代に比べても、体力も、耐性も遥かに「タフ」で、働き者で、粗衣粗食に耐えた世代でした。

  しかし、その先輩世代ですら、定年後は見るも無惨に「おいぼれ」ました。「タフな世代」が「定年」と「老い」のダブルパンチを受けた時、国も個人もその対処法を誤りました。その結果はまさに今われわれが見ての通りです。例外の方々はそこここにおられますが、総体として、「タフな世代」は引退後にその体力と耐性を十分に持ちこたえることはできなかったのです。その何よりの証拠が現在の医療費の破綻であり、介護費の大赤字でしょう。定年後の「生涯時間」が20年にも達した現在、加齢がもたらす「衰弱と死」に向かって緩やかにソフトランディングを全うすることがいかに難しいか、先輩世代が身を持って実証してくれたのです。働いている間はタフで、がまん強く粗衣粗食に耐えた彼らが、職業を離れると同時に老い、衰えたということは熟年の活力が如何に「社会」や「労働」ということと密接に関わっているかを暗示して余りあると考えるべきでしょう。その点では高齢者大学も老人憩いの家の施策も大いに間違っていたのです。熟年の活力にとって「はたらく」ということの意味はどこにあったのか?現役世代の労働観には「義務や苦労や生活の手段」など労働に伴う「負」の部分のみを強調したきらいはなかったでしょうか?それゆえに、老後の答が「安楽」や「楽しみ」に限定されたのではないでしょうか?
  定年後、「労働」に代わる「活動」はどうあればいいのか?「労働」が「生産活動」であり、また「サービス活動」であったとすれば、定年後に社会と関わるにはどうすればいいのか?活動には何を選べばいいのか?定年後の活動は社会貢献や社会的生産やサービスのシステムを通した人間関係に関わらなくていいのか?それが筆者の研究課題です。熟年の活力を維持する当面の研究仮説の概要を一言で表現すれば「読み、書き、体操、ボランティア」になります。老後の安楽を拒否し、余生は「悠々自適」という人生論の蒙昧を排して、心身に絶えざる「負荷」をかけ、人生の蓄積を活かした社会貢献の努力の継続こそが熟年の活力源です。もちろん、それ以外に現行社会保障制度の破綻を回避する根本方策が存在しないことも自明のことでしょう。文部科学省の高齢者のための生涯学習施策も、厚生労働省の老人福祉施策も短期的には、確かにやらないよりはやった方がいいという場面もあるでしょう。趣味も、教養も、軽スポーツもその実行の時点で人々が元気になることは現象的に明らかであります。しかし、果して、高齢者人口のほんの少数を占めるリピーター学習者のために、一時しのぎの「安楽プログラム」を税金で実施したことにどれほどの意義があったのでしょうか?「安楽プログラム」の大半は、長期的に見れば、「タフな世代」ですらをも惰弱に導き、今日の高齢者福祉の危機を招いた元凶なのです。これらの施策に注ぎ込んだ公金を高齢者のボランティア活動や社会貢献に限定して活用すれば、生涯学習の風土を変え、日本人の定年後の行動様式を変え、相互支援のコミュニティ交流を創り出す上でどれほどの効果があったか、返す返すも残念に思えてなりません。

 ● 3 ● 熟年期の危機

  熟年期には、人々のライフサイクルに関わる心身の発達課題の上でも、職業や実生活に関わる社会的課題の上でも様々な人生の危険要因が待ち構えています。それらは基本的に心身の機能の衰退であり、生活の変化に対する「適応」力の低下などの課題であると考えられます。それゆえ、加齢とともにやってくる危険要因についての知識と準備があれば、ある程度の問題は回避することが十分可能なのです。しかし、高齢社会への突入が叫ばれながら、労働や福祉の分野はもとより、生涯学習や生涯スポーツの分野ですら向老期に向けての知識も対応も極めて不十分でした。結果的に人々の準備対応はほとんど出来ていないというのが実情です。寝たきり老人の防止策から高齢者大学の学習成果の社会還元まで行政は人々の向老期準備を支援する施策に次々と失敗を重ねました。
  「準備不十分」の最大の理由は助言を行なうべき研究者も、実践の指導を行うべき指導者も、その大部分が「老い」を経験したことのない現役の若い世代だからであろうと思います。「老いを知らない」現役世代の立案能力の限界と言わざるを得ないでしょう。自分自らの若い時代を振り返っても、「若さ」が「老い」を理解することは難しいことです。「個体」の制約を受けている人間が、自分では「体験したこと」のないことをどうやったら理解できるでしょうか。ひとり一人が別々に分離されて存在しているという「人間の個体性」はいつも「共感」や「理解」を拒絶します。世代間の認識格差、感情格差、機能格差はその典型です。他者の痛みを分つことはできず、人の思いをわが思いにすることは至難のわざなのです。それゆえ、日本人は昔から、「他者の痛いのなら3年でも辛抱できる」と言ってきたのです。
  若い世代には、「入れ歯の不自由」は分らないのです。膝が痛いのも、腰が痛いのも、体力、気力が衰えるのも、若い人々の想像を越えているのです。未だ、親になったこともない人々に、子どもが巣立って親だけが取り残される状況の淋しさがどうして実感できるでしょうか。定年によって労働の季節が終ることは、見方を変えれば、熟年世代にとって、社会に必要とされない時間の始まりです。熟年期はこうした諸々のことが同時に起るのです。
  「老い」に伴う発達上の様々な変化への対応を体験したことのない現役世代に十分な理解を求めることは無理というものでしょう。また、彼らが十分に理解しないからと言って、その「鈍さ」を責めることもできないでしょう。彼らもやがて、次の世代から理解されず、順送りに「老い」の悲哀をなめることになるのです。人間にとって体験したことのないものを理解することは至難のことなのです。「存在の個体性」は頑固です。その頑固さ故に、人間は世界中に悲劇や不公平が存在していても平気で暮らすことができるのです。アイマスクをしたり、車椅子の体験をしても、その程度の事で障害者の状況が理解できるなどと想定する方が浅薄であることは言うまでもありません。人間は自分から切り離された他者の心身の状況を共有することは不可能なのです。それが人間の認識の限界であり、ひとりで生まれ、そして一人で死んで行く人間の宿命でもあります。それゆえ、「老い」もまたそれが現実のものとなるまで人々が実感できないのは当然なのです。いまだ老いを知らない現役の指導や助言の多くが役に立たないのはそのためでしょう。
  筆者もまた自らが「老い」の領域に踏みこんではじめて存在についても、老いについても「存在の個体性」をより一層実感するようになりました。眼鏡は3つも持っています。部分入れ歯の世話にもなりはじめました。腰も、膝もなだめなだめ使っています。子ども達はすでに遠く家を去りました。我が家は文字どおり親鳥だけが取り残された「エンプティ・ネスト」です。バリアフリーはもとより、階段には手摺を付けました。若い頃には想像も出来ない条件下で暮らしています。1日、2日でも使わなければ身体のあちこちが固くなり、交流を怠れば、時に言葉に詰まり、物忘れが起り、人と会うこと自体が億劫になります。読み書きを続けることは難儀ですが、止めれば立ち所に脳細胞の死滅が始まることでしょう。ボケまでの距離はほんのすこしなのです。それゆえ、老いの身にはますます生涯学習も生涯スポーツも必需品になったのです。昨年、まちの自治会から「紅白まんじゅう」が届きました。今年は初めて熟年のための書物を書く資格が整ったと実感しています。今度の著書はこれから向老期に向かう人々のための未だ見ぬ人生の風景についての理論的地図でありたいと切に願っています。

 ● 4 ● あとがき: Active Seniorの条件

「三屋清左衛門残日録」(藤沢周平、文春文庫)の教訓−高齢者の覚悟と生涯学習の意義

  上記の書は職を辞して以来、最も敬愛する小説のひとつである。文学者藤沢周平の勘は熟年者の生涯学習の原理と処方箋を見事に見抜いている。その意味では城山三郎の「毎日が日曜日」に肩を並べる。清左衛門が自得する老後の心身の課題やその対処法には大いに共感し、学ぶところが実に多い。筆者も「残実録」の年令に達した。紹介と分析をもって「あとがき」に代えたい。

 ● 5 ● 「異様な空白感」−「突然に腸を掴まれるようなさびしさ」

  清左衛門は君主を補佐する江戸屋敷詰めの側用人という活躍の舞台から隠居した。引きこもった清左衛門は、生まれ故郷の夜更けにひとり目覚めている。清左衛門はすでに十分に仕事をした。仕えた藩主も亡くなった今、彼は隠居を切望していた。悠々自適の晩年を過ごしたいと心から望んでいた。悠々自適の暮らしとは、「たとえば城下周辺の土地を心行くまで散策するというようなことだった」。「散策をかねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかりで、久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲き乱れている川べりの道を思い浮かべると、清左衛門の胸は小さく時めいた」(p.13)。
  ところが、隠居の実態はおおいに違ったのである。隠居をすることは「世の中から一歩しりぞくだけ」であると軽く考えていたが、全くそうではなかった。隠居は、「それまでの暮らしの習慣のすべてを変えることだった」のである。まず一日の計画を立てることがなくなる。終日ひとりの客も来ない。清左衛門が隠居したというより、「世間の方が、清左衛門を隔ててしまった」(p.14)のである。すでに昔に戻ることはできない。それは「異様な空白感」である。空白感を埋めるためには、新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかない。「うかうかと散歩に日を過ごすわけにはいかぬらしい」と、清左衛門は自覚せざるを得ないのである。
  「国元の夜は、時刻が五ツ(午後8時)にもなればもう夜更けで、塀の外を行く人の足音や話し声もぱたりとやみ、あとは時折の犬の遠吠えを聞くぐらいになる。」
  「夜更けて離れに一人でいると、突然に腸を掴まれるようなさびしさに襲われることが、二度、三度とあった。」「そういう時は自分が、くらい野中にただ一本でたっている木であるかのように思いなされたのであった。」(p.12)
  退職を経験したものはどこかで清左衛門と同じ経験をしているであろう。労働の季節を終り、仕事によって繋がっていた社会との関係が切れた時、われわれは往々にして「自分の定義」ができなくなるのである。「世間の方が隔てる」とは社会がおのれを必要としない、ということである。「定義」のできない己はすでに人生の意味付けができない「無用の存在」である。定年者の孤独はここにある。「生き甲斐喪失症候群」や「定年うつ病」の原因もおそらくは「異様な空白」であり、「突然に腸を掴まれるようなさびしさ」にあるであろう。

 ● 6 ● 他者の目−「おのれを世の無用人と思う」

  隠居後、清左衛門は日記を書くことを思い立つ。「お日記でございますか」。気がついて、嫁が問う。「うむ、ぼんやりしておっても仕方がないからの。日記でも書こうかと思い立った」。「でも、残日録というのはいかがでしょうね。」「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは、とおもいますが」。「なに、心配ない。」「『日残リテ暮ルルニ未ダ遠シ』の意味でな」と答える(p.16-17)。しかし、息子の嫁は彼の「空白感」を見逃さない。老いて日記という名の「自分史」を書きはじめるのは己の終末を予感するからであろう。「残日録」は果して誰のために書かれるのか。「オーラ」というか、立ち上る「気」というか、胸に空白をかかえた人間は「自家発電能力」を失うのである。清左衛門の気に入りでもらった嫁は、実家の父親の隠居になぞらえて、(剣の)無外流の修業の再開(生涯スポーツ)と藩校での学問(生涯学習)、磯釣り(趣味、気晴らし)に打ち込むことなどをさり気なくすすめた。
  後に、昔なじみの友人にあった清左衛門は「「隠居はいそがぬ方がいいぞ」、「隠居というのは考えていたようなものではない」、と言った。「おのれを世の無用人と思うわけだ」。「油断ならん」。
  清左衛門はやがて少年達の剣の指導を始める。昔なじみの町奉行の非公式な依頼を受けて調査の手伝い(ボランティア)も始める。労働以外の場面を活用して社会に尽さない限り定年者が社会と繋がる方法はない。「無用人」になるかならぬかの分かれ道は江戸も平成も本人の「社会貢献」が鍵である。

 ● 7 ● 感想の違い−引退世代の断絶

  清左衛門は町奉行の依頼で一人の女の危機を救った。仕事を無事になし終えてホットしたふたりは春の花の道を無言で歩む。「これで終ったかな」とぽつりと言う。清左衛門は一人の女の人並みの幸せを祝福したつもりだった。現役の奉行は別のことを勢いよく言った。誰であろうと「よこしまに我意を通すことは許せぬ」。
  「隠居と働き盛りの町奉行とでは、感想にも差が出たな」と清左衛門は思った。現役と引退世代の断絶である。ましてや世代間のコミュニケーションはますます難しい。アメリカに高齢者世代の利益と権利を追求する急進的な「シルバーパンサー」(銀色の豹)が結成されることも頷けるのである。
  高齢者が現役と話が噛み合わないのは世の中を見る視点、感想の違いが広がるからである。現役は仕事の関心が自分の関心である。高齢者は人の世の喜怒哀楽が関心である。たとえそれが「仕事の話」でも、人生の哀歓に関連させて考えざるを得ない。建て前や事実の重要性を忘れたわけではないが、「仕事だけの話」など聞きたくはない、のである。現役と引退世代の感想の違いは如何とも埋め難いのである。
  現役の感想は仕事の責任から発する感想である。これに対して、隠居の発想は、人生に人の幸せ以上に大事なことがあってたまるか、という感想である。しかし、世の中は現役を中心に展開する。それが誰であろうと個人の引退に関わり無く、社会は極めてドライに、「権力」や「かね」や「法」や「原因と結果」だけを巡って進展する。労働の第1線から引いた以上すでに高齢者は無力であり、世の中の仕組みに口を出す幕はない。現役世代の引退者への本音も静かに引っ込んで暮らしていろ、ということであろう。

 ● 8 ● 晩学の志ー「わしもまだ捨てたものではない」

  隠居後の「異様な空白感」から立ち直った清左衛門は藩校彰古館に入学を果たす。今で言えば社会人入学というところか。師となる保科笙一郎は清左衛門の「晩学の志」をほめて、「塾生と一緒に講義を聞いてはいかが」と言った。
  「経書をかかえて保科塾に通うことになるかと思うと気持が若返る感じがするばかりでなく、前途に、宮仕えのころは予想もつかなかった新しい世界が開けてくるような気もしてくる(p.72)」。清左衛門は無外流の道場にも再入門を果たす。初めは息が切れ、まったく動かなかった身体が少しずつ鍛練に馴染んで行く。「いやお若い。身体の動きも、技もです。」「年寄りを喜ばせようと思って、そんなことを言っておるな。」「いえ、本音です。もう少しでこっちが負けるところでした。」
  「多少は社交辞令が入っているにちがいない」と思っても、高弟にほめられて気分が悪いわけはない。足が弾んで当然というものだった(p.192)。かくして、清左衛門は子どもたちの剣の型のしつけもまかされるようになった。ボランティアという言葉がなかった時代のボランティアである。「わしもまだ、捨てたものではない」と思うことができるようになった。その感想こそが熟年の拠り所である。

 ● 9 ● 足掻く年齢−「生老病死」の終点が見える

  清左衛門は成功した昔なじみの"いくじなし"に再会する。昔の意気地なしも、今は、出世も果たし、金も残して隠居し、「妾」の若い女をかこっている。名は惣兵衛という。「今夜はおまえの手料理で一杯やろうと思ってな、友だちを連れて来たのだ」。女はちらと清左衛門を見て、はきとした返事もしないで台所の方に消えた。「幾つだ。まだ、子どもみたいな人じゃないか」。「あれで十九だ」。「少しはうらやましくなったんじゃないのか」。
  惣兵衛はしきりに若い妾を自慢した。しかし、娘の方は黙って酌をするだけで、さほど嬉しそうには見えなかった。
  惣兵衛は酔っていながらも若い娘の機嫌をとるような口を利いた。「勘定奉行もつとめた男が」と、御馳走にはなったが、いささか苦々しかった。悪酔いして清左衛門は昔なじみの男の妾宅をでた。
.............はたして............。「病気で倒れた時、あの若い妾が親身に看護してくれるかどうかは疑問だ」と、清左衛門は思った(p.295)。しかし、惣兵衛も自分も、そういうことで足掻く年齢になったのは確かだと思わざるを得なかった。老いとは「衰弱と死に向かっての降下」である。それ故「バイアグラ」も売れる。「介護予防」体操も盛んになるだろう。それでもやがて「生老病死」の終点は来る。年寄りはみんな強がりながら、足掻きながら、未来の暗い一点を見つめているのである。どう理屈を付けようと高齢社会が暗いのはそのためである。

 ● 10 ● 衰える宿命−戦う老年

  清左衛門の幼馴染みの平八が卒中に倒れた。中風は軽いものだったが、しばらくはリハビリも始められぬほどの弱りようだった。元気者のもう一人の幼馴染みの町奉行は、「で、歩いているのか」と尋ねた。「いやまだだ。床の上には起き上がっている」。「そこがあの男のふんぎりの悪いところだて」。「わしならあのへんの塀につかまってでも歩く」と言って毒づく。清左衛門は「貴公のようにはいかんさ。ひとにはそれぞれの流儀がある(p.360)」と倒れた友をかばう。そんなある日、別件の用事を終った清左衛門は思い立って倒れた友の病状を見舞うことにして、早春の道を辿る。
  道の遠くに動く人影があった。杖をつきながら、ゆっくりゆっくり動いているのは平八だった。ひと足ごとに、平八の身体は今にも転びそうに傾く。片方の足に、まったく力が入っていないのが見て取れた。身体が傾くと平八は全身の力を太い杖に込める。そしてそろそろと別の足を前に踏み出す。またからだが傾く。辛くて汗ばむような眺めだった。
  「そうか、平八。」「いよいよ歩く練習をはじめたか」。
  人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死が訪れるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。いよいよ死ぬるそのときまでは、人間は与えられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門はおもった(p.436)。その多くは「精神」と「肉体」の戦いである。それでも「戦える者」はまだ幸せである。先に精神が失われれば、残された肉体は朽ち果てるままに放置されざるを得ない。「クスリ止めますか、それとも人間止めますか?」という麻薬防止の標語の通り、精神の働きを失えば人間は人間でなくなる。認知症の進んだ高齢者の虐待の原因がここにある。
  この点に関して、清左衛門はまだ「精神対肉体」の問題を突き詰めてはいない。われわれは清左衛門の精神の幸運を祈るしかない。
  「今日の日記には平八のことを書こう」。清左衛門は嫁の里江に「釣り竿を出して来てくれぬか」と頼んだ。里江がくすくす笑った。「今年はお早いお手入れでございますこと」。清左衛門は機嫌よく、もう一言つけ加えた。「平八がやっと歩く練習をはじめたぞ(p.437)」。あらゆる生き甲斐論も、生涯現役のすすめも最後は熟年の覚悟に収斂する。しかも、最後の幕の下し方はいつも人生の秘事である。

 ● 11 ● Active Seniorの条件

  過日NHKスペッシャルが「老化に挑む」を放送した。その中で科学者たちが、人間の「脳」と「筋肉」は鍛えることが可能であり、衰えの防止が可能であることをさまざまな実験によって証明していた。事実「脳」の神経細胞が再生される過程も検証された。我が意を得たり、の思いである。人々の定年が「労働からの引退」に留まらず、結果的に、「活動からの引退」にまで至った時、必然的にこれまで使っていた心身の機能は使わなくなる。活動が休眠すれば、身体も、頭も、気も使わない。筋肉であろうと、脳であろうと使わなくなれば必ず衰退する。ルーの法則は免れないのである。結論的に、活動の減速に繋がる「定年」は必然的に「老化」を加速するのである。
  高齢社会の医療費や介護費の高騰は単に「老人の増加」に原因があるのではない。「何もしない老人」の増加に主たる原因があるのである。「三屋清左衛門」の晩年の教訓はそこにある。
  本書において筆者は、繰返し「読み書き体操ボランティア」の重要性を訴えたが、それは心身の機能の維持と再生の可能性を重視する故である。なかでも最も重要なのはボランティア活動への参加である。ボランティアは「活動」を意味し、「社会との関係」を意味し、「能力の発揮」を意味している。
  ボランティアには本人に対する社会の期待や要請が含まれており、それこそが本人の存在の必要性についての社会的定義を意味する。労働と同じく、他者に関わる社会的活動には「気を使う」精神機能も、「読み書き体操」の知的・身体的機能も必ず含まれている。定年後は労働に戻る道はない。それが社会との約束である。唯一、他者に貢献し、社会との契約によってその意義を評価される活動はボランティア活動なのである。
  人間が社会をつくって以来、われわれの存在感の基本は社会的に決まるようになった。換言すれば、われわれが意義ある日々を生きるためにはわれわれの存在に対する他者の認知が必要になったのである。趣味や娯楽が多くの人にとって空しいのはそこには私的人間関係はあっても、社会の認知が稀薄だからである。ゲートボールやカラオケや踊りや風呂の楽しみだけでも「その日暮らし」はできよう。しかし、多くの人は、それだけでは生き甲斐を持って、未来の自分を生きることはできない。かつて多くの専業主婦達が趣味・教養の講座だけでは満たされなかったように、高齢者もまた満たされる筈はないのである。女性たちが「カルチャー難民」として漂ったように、熟年もまた「ゲートボール難民」になり、「カラオケ難民」になり、税金丸抱えによる「安楽プログラムの難民」として漂っているのである。老人憩いの家から老人学級に至るまで「安楽な余生」のプログラムは税金の無駄であるばかりか、老後の生活がそれだけに偏れば、熟年は定年後の安楽を当然とし、結果的に自らの活力を喪失するのである。仕事熱心にやってきた社会教育や高齢者福祉の担当者にとっては耳を疑う批判であろうが、老人学級も、高齢者大学も、憩いの家も、長期的には「タフな世代」の老いぼれを促進し、彼らの惰弱に貢献したのである。
  安楽な余生の施策は長期的に本人を衰退させるに留まらない。医療費を高騰させ、介護費を赤字に転落させ、財政上も極めて有害である。楽しく、安楽に暮らせば、熟年に「負荷」はかからない。問題の核心はそこにある。楽な暮らしは人間の機能を衰退させる。身体も、頭も、精神も衰退させる。高齢者もまた働けるだけ働き、定年後は己の心身の機能を鍛え、ボランティアによって社会に貢献を続けるべきである。国も、自治体も各種の『ボランティア促進法』を整備し、「高齢者ボランティア事業」を推進し、高齢者の社会的活躍の機会を保障するべきである。それが本人の健康と生き甲斐の秘訣であり、国家の社会保障制度が廻り続ける原理である。
 

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